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 学校から帰った。

 今朝の父との「あかり」の騒動を母にどう説明しようかと迷った。けれど、どうせ父はこのことを覚えていないだろうと思ってやめた。お父さんには記憶障害がある、とお母さんは言っていたからだ。本当のところは、お医者さんに行ってみないとわからない。でも、父をお医者さんに連れて行くことすらできないのだ。

 どちらにせよ、父は自分の子供の顔すら覚えていない。


 家の鍵を開けると、母が電話で話し込んでいた。暗いような、明るいような口調で、丁寧な言葉遣いだった。相太、という、父の名前を何度か聞いた。


 その日から、いろんなことが変わった。

 母は、父をなんとか病院に連れていった。父の入院と薬漬けの生活が始まった。何年も何年も通って、相真が大学に合格したころ、ようやく父はまた働き始めた。でも、その頃には両親は離婚していた。相真は母の実家から高校に通ったのだ。


 相真が高校に進学するとき、あの日の電話の内容を詳しく聞いた。

 父の会社の元同僚が電話をくれたらしかった。

 俺は、もう仕事辞めるんだ。高津くんもよくがんばったよ。今廃ビルかどっかに行っちまって大変みたいだけど、うちの会社よりはマシだよ。ひとり、別の部署のやつが、首吊ったんだ、この前。それで、やっぱりこんな会社はおかしいって思って。ホームレスでもなんでも、辞めてやるって、覚悟した。


 母は、泣いていた。本当は、あの電話のずっと前から、相太さんの会社がブラックだってわかってた。分かってて、頑張れって、言い続けちゃった。相真もまだ子供なんだから、二人で、ちゃんと育てていかなきゃねって、言い過ぎちゃった。すごく反省してる。でも、そうするしかなかったの、それ以外知らなかったの。


 ちょうど高一になったその頃には、相真もいろんなことがわかるくらいには大人になっていた。

 母が廃ビルに籠った父を許せずに、「優しさは悪だ」と言った理由。優しさは、悪ではないけれど、毒になることはあるのだ。

 記憶障害になったのは、嫌なことを忘れるためだったのかもしれない。

 そして、会社にも妻にも虐げられた父が、ボロ人形に初恋の女の子の名前をつけた気持ちも、なんとなく。


Fin.

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