【博巳と彼の愛する魔】

 博巳の意識は朦朧としている。

 確か、瞳さんとバスを待ちに走って、それから……?

 バスが、普段は止まらないバスが、停って、それから……?

 バスの中から、聞いた事のある様な声がして、それから……?

 何か割れる音がして、瞳さんの顔が割れて……それから……?

 思い出せない。

 なんで、また病室のベッドに寝ているのか。

 思い出せない。


(なんで、瞳さんが裸で僕のの?)


「ボク、ボク、そう、そう! 上手、上手だよぉ!」


 真っ白な瞳さんの身体。

 少しだけ膨らんだ胸。

 薄桃色の……乳首。

 アバラの浮いた脇腹。

 凹んだ下腹部。

 綺麗だった。

 でも、何をされているのか、よくわからない。


(瞳さん? 何してるの……?)

「あっ、あっ、いいよ、ほら、ちょうだい、ちょうだいっああっ!」

「うあっ」


 堪らず、博巳は果てた。


「はあっはあっ……上手だよ……上手だよひろみくん……愛してる……」


 瞳さんはキスをして、またそのまま動き出した。


「はあん、あんっ、あんっ」


 ……


 もう、何時間も、何日もそうやっている気がする。

 そして果てる度、命が吸われている気がする。

 もう、体を起こすことすらままならない。

 瞳さん。

 瞳さん。


「そこまでだ」

(どこかで聞いたことのある声だ……たしか……退魔師の)

「おや、随分遅かったのう」


 瞳さんが、博巳の上で舌なめずりをする。


「この魔は極上じゃ。お前も喰ろうてみるがよい」

「倉敷くん! 倉敷くん! ……って、なにしてんのよ!」


(あれ。君……どこかで会った……?)


「見るな。あれは愛さんのお姉さんではない。狂狐だ。妖だ」

「ほほほ。その何時までも抜けぬナマクラで、わらわをどうする気じゃ?」

「どいてっ! 倉敷くんからどいて!」


 どこかで会った事のあるお姉さんが、瞳さんを突き飛ばした。


「嫉妬、じゃのう。美味しそうな心をぶら下げて。お前も喰ろうてやろうかのう? 愛とやら」

(愛……? 愛。だめだ、思い出せない)


 見ると、裸の瞳さんの姿が変わった。

 瞳さんより長い、黒髪。

 つり上がった細い目。

 真っ赤な瞳。

 手の爪は紫に塗られ、肉食獣のように鋭い。


(この人を知っている。確か、今日子さんだ。瞳さんは?僕の、命より大切な)

「……瞳さんは、命より大切な、瞳さんはどこ……?」

「ほほ、聞いたか、愛よ。命より大切な、と。悔しいよのう? ……そうじゃ。このままこの場でこ奴とまぐわうなら、くれてやってもよいぞ」

「倉敷くん……と?」


 愛さんはぐったりした博巳を見つめた。


「いいの……?」

「だめだ、愛さん、そいつの言葉を聞くな」


 拝島ぼたんが釘を刺した。


「もちろんじゃ。ほれ、お前が知っているより若くて『熱くて』元気じゃぞ?」


 舌なめずりをしながら、扇子をぱちぱちと折りたたんで、博巳を指した。


「狂狐。お前の相手をしている暇はない。抜刀した七星剣・魔断の消し炭になりたくなければ、倉敷博巳と逢沢瞳を渡すんだ」


 ほう。

 そういうと、狂狐は指を前に出した。


「逢沢瞳……と言うたかの? 可哀想に。父親に食い物にされて。見てみるかの? その可哀想な姿を」


 ぱちん。

 右手を鳴らした。

 しゃー。

 壁だと思っていた所はカーテンで、指の音を合図に勢いよく開いた。

 ベッドが置かれている。

 そこに、裸の瞳さんが寝ている。

 上に、知らないおじさんが、のしかかって。


「いだいっ、いだいよお、やめて、おとうさん、やめてえ!」

「オラッ、このメスガキがっ! もっと股を開かんかっ」

「いや、いや、いやだぁぁああ!」


 びくん。

 瞳さんは動かなくなった。

 お義父さんは自分よりうんと小さな瞳さんの中に、欲望を吐き出した。


「あー……あー……」


 瞳さんは痛みと抗えない絶頂のあまり、力無く声を漏らすだけだった。

 それでも、お義父さんは止めない。

 腰を振り続けた。


「やめろ……」


 博巳は立ち上がろうとする。

 だが、ふらふらして立ち上がれない。

 這いずって、ベッドから落ちて、それでも瞳さんの所へ行こうとした。


「やめろ……瞳さんに……」

「倉敷くん……」


 とん。

 でも、ガラスのようなモノが張ってあって、瞳さんの手前でそれ以上近づけない。


「瞳さんに、ひどいことをするなー!」


 博巳は、声の限りに叫んだ。


「ほう、酷いこととな? なら、慰めてやらんとな?」


 ぱちん。

 ガラスが無くなった。


「瞳さんっ」

「だめだ、名前を呼ぶなっ!」


 拝島ぼたんが叫んだが、遅かった。

 お義父さんが消え、裸での瞳さんだけが残された。


「ひろみ……くん……?」

「瞳さん!」


 瞳さんは、信じられない。

 いちばん大好きな人に。

 いちばん見られたくない所を見られたことを。

 女として、人間として、いちばん見られたくない所を。


「いや……見ないで……見ないで……」

「大丈夫だよ、瞳さん、大丈夫」

「いや、いや……汚い、汚いの……あたし……あたし……」

「だいじょ……」


 見られてしまった、その意味を。

 その悲しみを……


「汚いあたしをみないでぇーっ!」


 がっしゃーん。


 瞳さんが「弾けて割れた」。

 ごおおっ。

 宙に穴が空いて、中から黒い沢山の「手」が溢れ出した。

 そして、血のついたカーテン、汚れてしまったベッド……そこらじゅうのモノを引きずり込み始めた。


 きぃぁぁぁああああ!!


 瞳さんの絶叫が、衝撃波となって窓を全部割った。

 そして、無数の手が、博巳と愛に取り憑き始めた。


「きゃあ! お姉ちゃん、お姉ちゃん目を覚まして! お姉ちゃん!」


 愛さんが悲鳴をあげる。

 ざんっ。

 愛さんに取り憑いた手は、拝島ぼたんが七星剣・魔断で祓った。

 ……愛さんの分、は。

 博巳には、その手は取り憑き続け、もう姿が見えない。


「瞳さん。辛かったね。寂しかったね。でも、大丈夫。僕が居ますから」


 そして、優しく宣言する。


「……瞳さんは、僕のだ。誰にも渡さない。誰にも……」


「ほほほ、見よ! 間もなくじゃ、間もなく特大の魔が目覚めるぞ!」


 狂狐が、嬉しそうに絶叫する。


「来るぞ! 愛さん、下がれッ!」


 ……ぱりん。


 博巳も、弾けた。

 そして、瞳さんのよりずっと大きな穴が空いて、瞳さんの穴を飲み込んだ。


 がちゃりっ。


 七星剣・魔断の最後の歯車が回った。

 剣の柄の「いち」の大字が「れい」に変わった。


 刹那、第三の眼を開眼させ、剣を抜刀した光り輝く拝島ぼたんが、狂狐の首を刎ねた。


「あらあ。ざんねん。せっかく面白くなってきたのに……」


 穴は拡大し続けた。

 首を刎ねられた狂狐も。

 悲鳴をあげる愛さんも。

 開眼した姿の拝島ぼたんも。

 茜坂病院も。

 思い出のバス停も。

 八王子市の山の一角全てを飲み込み、消えた。


 ……


 次の日の朝のニュースでは、こう報じられた。

 昨晩遅くに起きた土砂崩れで、営業を停止していた病院が一軒、飲み込まれた、と。


 短く数秒、そう報じられた。

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