【拝島ぼたん】

「貴女。死者に許しを乞うていやしないかい?」


 朱のチャイナドレス。

 長い赤毛をポニーテールに束ねて、赤縁のメガネをかけて。

 拝島ぼたんは大都会の喧騒に紛れている。

 いつも、特に何か問題がなければ……新宿の歌舞伎町の片隅で座っている。

 七星剣・魔断の力で結界を張っているから、周囲からはチャイナドレスの女が占い師をやっているように見えるはずだ。

 実際は、ただ座っているだけである。

 そして、「魔」に近いヒトを見つけると、こちらから接近する。

 接近されたヒトは、自分から占い師の元にやってきたと勘違いするはずだ。


 ……


 その人からは、魔の気配が濃密にしていた。

 血縁か、恋人か、配偶者に魔がいるはず。

 接近……成功。

 七星剣・魔断がカタカタと懐で鳴っている。

 間違いない。

 魔と関わっている。


「恋人が……突然倒れてしまって」


 その人……岩崎愛は、半泣きで、そう訴えた。

 第三の眼、開眼。


(見える。はっきりと。これは……血縁でも、親の次に濃厚な……きょうだいか。髪の長い……赤いワンビースの…………姉、か)

「わたしなら、魔のモノから連れて戻せるかもしれない。貴女の、お姉さんから」


 そう告げると、岩崎愛はひどく驚いた。


「どうして……お姉ちゃん……姉だと?」


『許せるわけないじゃない。あたしは……あれから何度も愛を呼んだのにっ! あれから! 何度も!』


(聞こえる。お姉さんの、この子を求める心が。生を羨み、渇望する死者の心が)

「何か……お姉さんに……後ろめたいことが、あったんじゃないのかな?」


 そう伝えると、岩崎愛は、両手で顔を覆って泣き始めた。


「私……岩崎愛っていいます……あの、わたし……行けなかったんです……お姉ちゃんが酷い目に遭ってる時も、入院してる時も……」


 震えている。

 心が。

 後悔と懺悔に。


「わたしが行けば助けられたのに……わたしは、行けなかった」


 恐怖している。

 大切なモノをまた失う孤独に。


「だから、連れていこうとしてるんじゃないかなって。わたしの、わたしの命より大切な……倉敷くんを……」

「倉敷くんと言うんだね。『もっていかれた』のは何時だい?」

「二年前の……ちょうど今頃です。晩ご飯を作ったら、急に倒れて……」

(食事か。生に直結している。ヒトがよく魔に引き込まれる時に多い)

「その時、何を作ったか、覚えているかい?」

「ええっ……もう二年も前だから……ほんと、なんてことはないものでしたから……」


『お父さんが死んじゃう前、たった一人のお姉ちゃんがね、わたしによく作ってくれてたの』

『だから、思い出の味ってやつかな。わたしの』


「たった一人のお姉ちゃんがね、わたしによく作ってくれてたの」

「!」

「だから、思い出の味ってやつかな。わたしの」

「!」

「……そう言って、作ったのでは?」

「! はい、思い出しました。お好み焼きです。たしか、お好み焼きを作ったんです、そう言いながら……でもなんでそんなに『分かる』んですか……?」

「はは。職業柄ね……でも、だとしたら、危ない」

「……どうしてですか?」

「魔が、あなたの記憶から溢れ出して、『お好み焼き』を伝って伝播した。あなたの記憶の中で、確実に大きく、膨れ上がっている。魔が、すぐ近くまで迫っている」

「魔って、お姉ちゃ……姉なんですか」

「確定している訳では無いけれど……まずはそう見るべきかなと考えるよ」

「でも……『魔』って、なんなんでしょう」


 岩崎愛は、口に手を当てて考えている。


「魔とは……ヒトに仇なすもの」

「幽霊とか……ですか」


 岩崎愛が恐る恐る聞いてくる。


「それだけじゃない。妖……自然界にいるモノだな。後は生きてるモノの怨念や執念だ」

「生きているヒトも、魔になるんですか?」

「なり得る。貴女、生霊とか聞いたことないかい。ああいう類だ」

「そうなんですか……じゃあ、もし姉がそういう『魔』なら」

「斬る」

「え」

「魔は斬らなければならない。生者の為にも。死者の為にも」

「死者の……為……お姉ちゃんは、姉はどうなるんですか」

「還る。元のあるべき場所へ」

「あるべき……場所……」


 岩崎愛は、黙ってしまった。


「まずは、倉敷……くんだっけ? 彼の所へ明日、案内してくれないかな」

「わかりました。……あの、お代は……」

「はは。魔を喰わせてくれれば、要らないよ。この剣に」


 そう言って、七星剣・魔断を見せた。


「ほんとに……斬るんですね」

「退魔師、だからね」


 ぼたんはそういうと、八重歯を見せてにこりと笑った。

 待ち合わせ時間を指定して、一旦、岩崎愛とは別れた。


「ぼたん、今回ノ魔ハ、濃イゾ」

「だな」

「早ク、早ク食ワセロ」

「焦るな。真実を見極めてからだ」


 がちゃん。がちゃんがちゃん。

 七星剣・魔断のカラクリが「きゅう」を指した。


きゅうか。大物だな」


 はっ。

 ぼたんは短く息を吐くと、立ち上がった。

 そして、夜の雑踏に身を隠した。


 ……


 翌日。

 文京区にある東京で二番目に病床数の多い大学の医学部附属病院にやってきた。

 岩崎愛も、「倉敷くん」も、元々はここの学生らしい。

 倉敷くんは、脳外科医を目指していたようだ。

 それが今ではここの脳外科の患者として入院している。


「皮肉ダナ」

「何か言いました?」

「いや、なんでも」


 子供の頃、脳腫瘍があった、と岩崎愛から説明を受けた。


(脳腫瘍か。せっかく生き延びたのに。今度は魔に執着されるとは)

「ククク。不運ダナ」

「あの?」

「すまない、なんでもない」


 病室へ向かう清潔で無機質なエレベーターの中。

 ぼたんは誤魔化した。

 それにしても。

 七星剣・魔断がよく喋る。

 こういう時、大物が多い。


(果たしてどんな魔と出会うことやら)


 倉敷博巳様。

 そう書かれた部屋をゆっくりと開けた。

 ぴー。ぴー。しゅー。しゅー。

 機械のことはわからないが、様々な機械が繋がれて、色々な音を立てている。

 そして。

 一目見てぼたんはわかった。


「だめ。このヒト、魂がここに無い」

「魂が、無い?」

「連れて行かれたのか、自分で行ったのか。それはわからない。けれど、今、このヒトは空っぽだ」

「そんな……」


 岩崎愛は口に手を当てて涙ぐむ。


「もう、助からないんですか」

「だいぶ危ない。現実から乖離が進んでいるはずだ」

「乖離……ここにはいないってことですか」

「そう考えてくれて構わない。思い当たる場所は、他にない?」


 十五秒程、岩崎愛は考えていた。

 いや、もう答えは分かっているけれど、口に出すのが怖かったのかもしれない。


「あの……」


 眼を左右にきょろきょろと動かしながら、まるで自分の言葉を踏みしめるかのようにゆっくりと、ゆっくりと口を開いた。


「姉は……白血病でした。もう末期だったのか、入院してあまり間を開けず亡くなりました。……お見舞いには行けなかったんですが……そこは、癌の総合病院になっていて……子供の頃脳腫瘍があった倉敷くんが、倒れる直前、姉の名前を口走ったんです」

「その病院の名前は?」


 そして、岩崎愛は口にした。

 その総合病院の名前を。

 ぼたんの退魔師として、最大級の魔の討伐の場所となる、その名を。


「茜坂病院、といいます」


「ククク、大物ノ予感ダナア、ぼたん」


 七星剣・魔断が、不敵に嗤った。

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