【花火】
「花火、見たいなあ」
いつもの夏の暑い日。
サビて字の読めないバス停。
瞳さんが、ぽつり、とそう呟いた。
「いいですね、僕も見たいです」
そうは言ったものの。
瞳さんと会える時間は毎日十一時十五分から十一時三十分までの間だけ。
会える場所も、博巳の病室からバス停の間だけ。
(はて。どうしたものか。打ち上げ花火は……この辺でやってるのをみたことないし……そうすると手持ちの花火か。あ、でも、バス停、日陰でちょっと暗いから、見えなくはないか。手持ちの花火とか、線香花火とか。どうだろうか)
「せんこーはなびぃ?」
(あれ。なんだか、瞳さん、不満そう)
「ちっちっちっ」
瞳さんが人差し指を降る。
「打ち上げ花火よ、打ち上げ花火。どーんと、大っきいのが見たいのよ、オジサンは。わかるー?」
「ええっ。そんなこと言ったって……」
八王子市の市街地ならいざ知らず、こんな外れの山奥の、しかも昼間に打ち上げ花火なんて聞いたことない。
ぶろろろろ。
八王子駅北口行きの西東京バスが通り過ぎた。
腕時計を見る。
あれ。何故か五分遅れている。
「じゃ、考えといて。ヨロシクー。バイちゃ!」
きーん。
瞳さんはご機嫌そうに両手を広げて走って行ってしまった。
「ええー……」
後に残されたのは、途方に暮れた博巳だけ。
「何か悩んでるみたいだね」
どこから見ていたのか、どこに居たのか、どこから聞いていたのか。
拝島ぼたんが尋ねる。
「いや、それが……実は」
……
「ふむふむ。なるほど。打ち上げ花火か。きみは見た事あるのかな? 打ち上げ花火は」
「そりゃありますけど」
(たしか……川越でやってた……大きな花火大会だったな。あれは)
……
「倉敷くん。どう?」
「うん。綺麗だ。すごい大輪だったね」
「でしょ! わたしが小さい頃からここでよくやってたんだ」
「綺麗だよ」
「うんうん。わかる、綺麗だよね」
「ううん、君だ。その浴衣、綺麗だよ、■■さん」
「え」
「綺麗だ……」
「……んんっ」
「今度、■■さん家にも、ご挨拶に行きたいな」
「……うん。来て。健おじさんも喜ぶよ」
……
「大丈夫かい?」
「え……」
(あれ。なんだ? いつの思い出だ?なんで僕は……大人の女の人と……キスしてたんだ?)
「顔色が悪いぞ」
「え……」
「何か、思い出したんじゃないのかい?」
「……ううん、なんでもないです」
そんな思い出、要らない。
(僕は、瞳さんとの思い出が欲しいんだ。キスだって、するなら瞳さんとしたいんだ)
「……そうか。残念だ……まあ、それはいいとして。見たことあるんだろ、花火大会。なら、大丈夫。頭で考えるだけでいい」
「頭? なんですって?」
素直に意味不明だった。
「ふふ。『ここ』だからだよ。『ここ』は、そういう場所だからね」
にっこり笑って、そうとだけ言うと、拝島ぼたんは病院の方へ歩いていった。
(頭で考えるだけで? そんなこと普通に考えて……出来るわけ、ないじゃんか)
……
「ボクー? 花火大会まだー?」
いつもの夏の暑い日。
サビて字の読めないバス停。
瞳さんが、退屈そうに言う。
「えと……打ち上げ花火が見たいんですよね?」
「そー言ってんじゃんかー。忘れちゃったの?」
ぶー。
瞳さんがほっぺたを膨らませている。
(頭で考えて……頭で)
「瞳さん! 今から花火、打ち上げてみせます!」
「……へ?」
(頭で考えればいいんだ。頭で……)
(花火よ……上がれ!)
「はあーっ!」
博巳は、手を上空に伸ばしながら叫んだ。
……
みーんみんみん。
みーんみんみん。
ぶろろろろ。
八王子駅北口行きの西東京バスが通り過ぎた。
今日は定刻通りだ。
「……花火、上がんないけど」
「あれえ?」
「ボク? 大丈夫?」
瞳さんが博巳の額に手を当てる。
「……あ」
ひんやりしてすごく心地よい。
「うん、熱は無いね。よかったよかった。……バイちゃ!」
きーん。
瞳さんは走り去った。
(って、よかない! くそう、拝島ぼたんめ。何が頭で考えれば、だ。適当なこと抜かしおって……大恥かいたじゃないかっ)
萎れた青菜のように、しおしおになって、倉敷博巳は自分の病室に帰って行った。
……
「花火大会?」
「うん、わたしの実家の近くで、この時期やってるんだ。……一緒に行こうよ」
「いいね、行こうか」
「やったあ! 倉敷くん、約束だからね!」
……
「うわあ、大盛況だね」
「倉敷くん、場所取ってて! お好み焼き買ってくる!」
……
「あれ、お好み焼きは?」
「いつもの屋台、なかった……たこ焼きで我慢して……」
「ぷ、あははっ」
「なによう」
「いや、ほんとにお好み焼き好きだなって」
「ミートソースばっかり食べてる人に言われたくないわよっ。……ほら、もうすぐ始まるよ!」
……
「うわあ、大輪だね」
「でしょ。もっと大きいの、これから上がるよ!」
……
「楽しかったね」
「ねえ、さっき言ってた、ご挨拶って……」
「おつき合いしてるし、行った方がいいかなって」
「そ、そだよね。おつき合いのご挨拶だよね」
「? そだけど?」
「あ、あはは、そーだよね、オジサン、びっくりしちゃって」
「……」
「どしたの?」
「今の口癖……どこかで聞いたことあるなって……」
どこかで聞いたことあるなって。
……
「ボクー?」
「はっ」
「起きた?」
(あれ、僕、なにしてたっけ。あれ……なんで。なんでこんなに薄暗いんだ?)
「ボク、昼寝って、夕方にするタイプ?」
(夕方?)
外を見る。
もう、ほとんど日が落ちかけている。
「ほら、もうすぐ始まるよ!」
『ミートソースばっかり食べてる人に言われたくないわよっ。……ほら、もうすぐ始まるよ!』
なぜか、聞いたことのある言葉のような気がした。
「あ、待って、瞳さん!」
「バイちゃ! きーん!」
(なんで、夕方なんだ? なんで、瞳さんがこの時間に来るんだ?)
……
「ききーっ! とーちゃくっ!」
いつものバス停だ。
街灯がないから、ほとんど真っ暗だ。
ひゅるるる。
「間に合ったっ! ほらっ、見て!」
どーん。
八王子の山奥に、虹色の大輪の花が光で描き出された。
「うわあ、大輪ですね!」
「でしょ。もっと大きいの、これから上がるよ!」
ひゅるるる。
どーん。
ぱらぱらぱら。
虹色の光が、赤いワンピースの瞳さんを柔らかい光を照らす。
それはまるで、優しい色合いで描かれた肖像画だ。
「綺麗ですね」
「うんうん。わかる、綺麗だよね」
「ううん、瞳さんです。すごく綺麗です、瞳さん」
「え」
「綺麗です……」
ひゅるるる。
どーん。
「……んんっ」
この世界の花火は、終わることなく上がり続け、茜坂病院と、入院する二人を、照らし続けた。
博巳は、何度もキスをした。
まるでそうしていないと死んでしまうかのように。
瞳さんも、目をうるうるとさせて、何度も受け入れてくれた。
永遠の夏。
永遠の夕方。
瞳さんの唇は、■■さんと違って、ひんやりしていた。
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