【瞳さんとお好み焼き】

 博巳は今日も待つ。

 博巳の病室を通って、あのバス停に行く瞳さんを。

 ぱたぱたぱた。

 来た。

 判で押したかのようにぴったり、十一時十五分四十二秒にやってくる。


「かくまって。お願い」

「どーぞ」


 真っ赤なノースリーブのワンピース。

 白いリボンの麦わら帽子。

 ユリのいい匂い。

 大好きな瞳さんだ。

 誰も追いかけてはきてないけれど、そうすると落ち着くみたいだ。


「ボク、ありがとね」


 そのままだと一分くらい潜り込んだ後、一人で外に行ってしまうので、必ず呼び止めないといけない。


「ボクじゃないです。倉敷博巳です。十四歳です」

「ありゃ。あたし、逢沢瞳。十五歳。……にひひ。やっぱボクね!」


 そう言ってから、中庭に窓から出る。


「あんたたち、ほんと仲良いわねえ」


 博巳の病室に遊びに来ている今日子さんが微笑む。

 紫の着物を着て白い手袋をして、ベッドに座ってる。

 いつも、どこかの病棟から男性用の博巳の病室に遊びに来るのだ。

 ギリお姉さんと呼べるくらいの女性だ。

 日差しが、柔らかい。

 九月の、暑さの和らいだ日光が、瞳さんを包む。

 予め茂みに忍ばせてた、白くて可愛いサンダルを履く。

 博巳も一緒に外に出る。


「ありゃ。どして付いて来るの?」

「だって瞳さん、病気ですよね。心配ですもん」

「ははーん……わかった、さてはあたしに惚れたなー?」

「ええ。大好きです」


 博巳はこの頃から、そう答えられるようになっていた。


「!」


 瞳さんは、何度告げても、耳まで真っ赤になる。

 それが博巳にはとても愛おしい。

 そして。


「ば……バイちゃ! きーん!」


 照れ隠しに両手を広げて走り出す。

 これも、全く同じ。

 もういつもの日課だ。

 いつもの、愛しい瞳さんだ。


「ききーっ! とーちゃーく!」


 九月とはいっても、まだ暑い。

 汗をかくのはもちろん、脳腫瘍のある博巳は走ると頭が痛くなるし息も上がる。

 でも、瞳さんは、白血病のはずなのに、息も切らさないし汗も一滴もかかない。

 いそいそとバス停横に置いてある、日傘と旅行カバンを取り出して、バス停の横に立った。

 ここからバスが通過するまでは、どんなお話をしてもいい。

 瞳さんがここから離れることはない。

 ……実は、博巳が一番好きな時間は、ここだったりする。

 今日は、瞳さんの好きな食べ物が知りたくなった。


「瞳さんって、どんな食べ物が好きなんですか」

「粉物!」


 お、即答した。


「特にお好み焼きが大好き! 死んだお父さんが、よく作ってくれたんだー」


 あ……


「お父さん、亡くなってたんですか」

「ま、昔のハナシよ……今のお義父さんは……酷い人だったから」


 何故か、表情が曇った。


「酷いって、どんな……?」

「いいのいいの。気にしないで。……オジサンが今度作ってあげよっか? ボク」


 にひひ。

 いつもの笑顔に戻った。


「作れるんですか?」

「あたぼーよー! あたし、六歳の頃から英才教育受けてきたからね、お好み焼きの! ……お母さんにも、よく作ってあげたんだけどなー……」


 

 最後の一言が、気になった。


「……瞳さんのお母さんって……」


 ぶろろろ。

 あ、バスが来た。

 時間切れ。

 ここからバスが通過するまでは、瞳さんは何を言っても返事をしない。

 まるで、一つの儀式を執り行っているみたいに。

 ぶおーっ。

 バスはいつも通り、そこに誰もいないかのように通過した。

 瞳さんは背筋を伸ばして、大事なお客様を待っている旅館の女将みたいに、その瞬間を迎える。


(本当に。お家に帰りたいんだな……)


 いつか帰してあげたい。

 お好み焼きの匂いのする、瞳さんの大好きなお家に。

 いつの間にか日傘と旅行カバンを置いた瞳さんが、走り出した。


「バイちゃ! きーん!」

「あ、待ってくださーい!」


 遅れをとった博巳が、後から走り出した。

 瞳さんはぐんぐん坂を登っていく。


(あ。今日は水色かあ)


 振り返った瞳さんが、笑った。


「もう、ほんとえっちなんだから。ボクは」


 ……


 ……博巳は今日も待つ。

 博巳の病室を通って、あのバス停に行く瞳さんを。

 ぱたぱたぱた。

 来た。

 判で押したかのようにぴったり、十一時十五分四十二秒にやってくる。


「かくまって。お願い」

「どーぞ」


 真っ赤なノースリーブのワンピース。

 白いリボンの麦わら帽子。

 ユリのいい匂い。

 大好きな瞳さんだ。

 一応暖房は効いてるけど……寒くないのかな。

 誰も追いかけてはきてないけれど、そうすると落ち着くみたいだから、入れてあげる。


「ボク、ありがとね」


 そのままだと一分くらい潜り込んだ後、一人で外に行ってしまうので、必ず呼び止めないといけない。


「ボクじゃないです。倉敷博巳です。十四歳です」

「ありゃ。あたし、逢沢瞳。十五歳。……にひひ。やっぱボクね!」


 そう言ってから、中庭に窓から出る。


「あんたたち、ほんと仲良いわねえ。風邪ひかないでよー?」


 博巳の病室に遊びに来ている今日子さんが微笑む。

 紫の着物を着て白い手袋をして、ベッドに座ってる。

 いつも、どこかの病棟から男性用の博巳の病室に遊びに来るのだ。

 ギリお姉さんと呼べるくらいの女性だ。

 今日は芯まで冷える。

 もう落ち葉がほとんど残ってない木の木漏れ日が、瞳さんを包む。

 予め茂みに忍ばせてた、白くて可愛いサンダルを履く。

 博巳も一緒に外に出る。


「ありゃ。どして付いて来るの?」

「だって瞳さん、病気ですよね。心配ですもん」

「ははーん……わかった、さてはあたしに惚れたなー?」

「ええ。大好きです」


 博巳はいつもみたいにそう告白する。


「!」


 瞳さんは、何度告げても、耳まで真っ赤になる。

 それが博巳にはとても愛おしい。

 そして。


「ば……バイちゃ! きーん!」


 照れ隠しに両手を広げて走り出す。

 これも、全く同じ。

 もういつもの日課だ。

 いつもの、愛しい瞳さんだ。


「ききーっ! とーちゃーく!」


 晩秋の空気が冷たい。

 脳腫瘍のある博巳は走ると頭が痛くなるし白い息も上がる。

 でも、瞳さんは、白血病のはずなのに、息も切らさないし汗も一滴もかかない。

 いそいそとバス停横に置いてある、日傘と旅行カバンを取り出して、バス停の横に立った。

 ここからバスが通過するまでは、どんなお話をしてもいい。

 瞳さんがここから離れることはない。

 ……実は、博巳が一番好きな時間は、ここだったりする。

 今日は、話の続きが知りたくなった。


「お好み焼きが好きなんですよね」

「ありゃ、なんで知ってるん?」


 切れ長な目をぱちくりと見開いた。


「お好み焼き、大好きなんですよね? 死んだお父さんが、よく作ってくれたって聞きました」

「あー……」


 瞳さんは目だけ横を向いた。


「言ってたっけ? あはは、忘れっぽくてこまっちゃう……ま、まあ、昔のハナシよ……オジサンが今度作ってあげよっか? ボク」


 にひひ。

 またいつもの笑顔が眩しい。


「お母さんにも、作ってあげたんですよね?」

「なんで知ってるのー?」


 瞳さんは驚愕する。


(いいんだ。もう、それにも慣れたから)

「お母さんはね……お父さんが死んじゃってからは……まあ、いいや。お好み焼きはね、妹に、よく作ってたんだー……」


 妹?

 初耳だ。

 瞳さんに妹が居たなんて。

 ぶろろろ。

 あ、バスが来た。

 時間切れ。

 ここからバスが通過するまでは、瞳さんは何を言っても返事をしない。

 まるで、一つの儀式を執り行っているみたいに。

 ぶおーっ。

 バスはいつも通り、そこに誰もいないかのように通過した。

 瞳さんは背筋を伸ばして、大事なお客様を待っている旅館の女将みたいに、その瞬間を迎える。


(本当に。お家に帰りたいんだな……)


 いつか帰してあげたい。

 お好み焼きの匂いのする、瞳さんの大好きなお家に。

 いつの間にか日傘と旅行カバンを置いた瞳さんが、走り出した。


「バイちゃ! きーん!」

「あ、待ってくださーい!」


 遅れをとった博巳が、後から走り出した。

 瞳さんはぐんぐん坂を登っていく。


(あ。今日は水色かあ)


 振り返った瞳さんが、笑った。


「もう、ほんとえっちなんだから。ボクは」


 ……


 ……博巳は今日も待つ。

 博巳の病室を通って、あのバス停に行く瞳さんを。

 ぱたぱたぱた。

 来た。

 判で押したかのようにぴったり、十一時十五分四十二秒にやってくる。


「かくまって。お願い」

「どーぞ」


 真っ赤なノースリーブのワンピース。

 白いリボンの麦わら帽子。

 ユリのいい匂い。

 大好きな瞳さんだ。

 春だけどまだまだノースリーブは肌寒いと思う。

 誰も追いかけてはきてないけれど、そうすると落ち着くみたいだから、入れてあげる。


「ボク、ありがとね」


 そのままだと一分くらい潜り込んだ後、一人で外に行ってしまうので、必ず呼び止めないといけない。


「ボクじゃないです。倉敷博巳です。十四歳です」

「ありゃ。あたし、逢沢瞳。十五歳。……にひひ。やっぱボクね!」


 そう言ってから、中庭に窓から出る。


「あんたたち、ほんと仲良いわねえ。今日はお散歩日和よ!」


 博巳の病室に遊びに来ている今日子さんが微笑む。

 紫の着物を着て白い手袋をして、ベッドに座ってる。

 いつも、どこかの病棟から男性用の博巳の病室に遊びに来るのだ。

 ギリお姉さんと呼べるくらいの女性だ。

 今日はいつもより暖かだ。

 もう新芽が芽吹く綺麗な黄緑の木の木漏れ日が、瞳さんを包む。

 予め茂みに忍ばせてた、白くて可愛いサンダルを履く。

 博巳も一緒に外に出る。


「ありゃ。どして付いて来るの?」

「だって瞳さん、病気ですよね。心配ですもん」

「ははーん……わかった、さてはあたしに惚れたなー?」

「ええ。大好きです」


 博巳はいつ何度でも、そう告白する。


「!」


 瞳さんは、何度告げても、耳まで真っ赤になる。

 それが博巳にはとても愛おしい。

 そして。


「ば……バイちゃ! きーん!」


 照れ隠しに両手を広げて走り出す。

 これも、全く同じ。

 もういつもの日課だ。

 いつもの、愛しい瞳さんだ。


「ききーっ! とーちゃーく!」


 春の空気は暖かだ。

 脳腫瘍のある博巳は走ると頭が痛くなるし息も上がる。

 でも、瞳さんは、白血病のはずなのに、息も切らさないし汗も一滴もかかない。

 いそいそとバス停横に置いてある、日傘と旅行カバンを取り出して、バス停の横に立った。

 ここからバスが通過するまでは、どんなお話をしてもいい。

 瞳さんがここから離れることはない。

 ……実は、博巳が一番好きな時間は、ここだったりする。

 今日は、この前からの話の続きが知りたくなった。


「妹さんがいるんですよね」

「ありゃ、なんで知ってるん?」


 切れ長な目をぱちくりと見開いた。


「お好み焼き、妹さんと作ってたって。お父さんが教えてくれたレシピで、よく作ってたって聞きました」

「あー……」


 瞳さんは目だけ横を向いた。


「言ってたっけ? あはは、忘れっぽくてこまっちゃう……ま、まあ、昔のハナシよ……オジサンが今度作ってあげよっか? ボク」


 にひひ。

 またいつもの笑顔が眩しい。


「妹ね。愛っていうんだ。おかっぱが可愛くて、あたしよりクールで。ずっと、姉妹で一緒だった。今も、たくさんお見舞いに来てくれるんだよ! いい子でしょ!」

「愛さんっていうんですね、よければ詳しく……」


 ぶろろろ。

 あ、バスが来た。

 時間切れ。

 ここからバスが通過するまでは、瞳さんは何を言っても返事をしない。

 まるで、一つの儀式を執り行っているみたいに。

 ぶおーっ。

 バスはいつも通り、そこに誰もいないかのように通過した。

 瞳さんは背筋を伸ばして、大事なお客様を待っている旅館の女将みたいに、その瞬間を迎える。


(本当に。お家に帰りたいんだな……)


 いつか帰してあげたい。

 お好み焼きの匂いのする、瞳さんの大好きなお家に。

 いつの間にか日傘と旅行カバンを置いた瞳さんが、走り出した。


「バイちゃ! きーん!」

「あ、待ってくださーい!」


 遅れをとった博巳が、後から走り出した。

 瞳さんはぐんぐん坂を登っていく。


(あ。今日は水色かあ)

「きみ」


 唐突に誰かに後ろから呼びかけられた。

 振り返ると、瞳さんがいる。


(……いや、違う。おかっぱ頭で切れ長の目の、瞳さんに似ていて。あれは、どこだ? どこで見かけたんだろう……)


 その人は、八重歯を見せて笑顔を見せた。


「いくら親しいからって、スカートの中を覗くのは、どうだろうな」


 あの、「にひひ」と、同じ顔だった。

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