第11話 花見の季節 この地域の商店地図を作る

2021年4月


今年の桜は予想通り早くて、3月の終わりには満開になった。

聞いていた通り、何となく人が集まってきて花見を楽しんでいるという光景が見られた。

梢も、最初から人が集まっている場所へ、民宿のメンバー皆んなと一緒に参加した。

昼は昼で空の青を背景に満開の桜が美しく、夜は夜で幻想的な雰囲気が楽しめる。

夜は、誰かが照明を持ってきたらしく桜がライトアップされていて、昼間とはまた違う雰囲気が楽しめた。


普段から、この辺りでは野外で演奏を披露する人も多い。

ギターの弾き語り、トランペット、フルート、ハーモニカ、伴奏の音源を持ってきて歌を披露する人もいる。

一人で演奏する人もいれば、数人のメンバーでやっているグループもあった。

聴きたい人は立ち止まって聴いて、演奏が気に入ったらお金やら食べ物やら置いていく。

誰が決めたわけでもないけれど、何となくそうなっていた。


この日の花見のように、何かある時はいつも以上に路上で演奏をする人が多い。

順番が決まっているわけではないけれど、適当に譲り合っていい流れになっている。

常にだれかが何かやっていて、観る方も色んな演奏や歌が楽しめて飽きることがなかった。

食べ物を求めて集まってきた通いの動物たちも、聴きながらリズムに乗っている様子。

演奏の合間には、昔懐かしい紙芝居をやっている人もいて子供たちが喜んでいた。

工芸作品など普段店で売っている物を、持ってきて売っている人もいる。

皆それぞれに、好きなところにレジャーシートを敷いて、ライトアップされた桜を眺め、好きな飲み物や食べ物を楽しむ。

座らずに、ゆっくり歩いて桜を楽しむ人もいて、人それぞれだった。


梢は花見の様子を写真に撮って、前の職場の3人と作っているグループラインに送った。

数日後には、京都でも常連のお客さんを交えて花見をしている写真が送られてきた。

知っている顔ばかりで懐かしい。世の中がどう変わろうとも、変わらない場所がある。ここにも、そして京都にも。

この流れはきっと、もっと広がっていく。それを想像すると、梢の頭の中ではいくらでも楽しい空想の世界が広がっていった。


4月に入って以降は、天気のいい日の昼間は少し暑いくらいの時もある。

自転車で風を切って走るには、一番気持ちのいい季節がやってきた。

梢は最近電動自転車を買って、急な上り坂も楽に走れて全然疲れないので、以前よりもっと遠くまで行くようになった。

自転車がパンクしないか気にしつつ、まだ人の手があまり入っていない山道も少し走ってみた。

さらに遠くまで行きたい時は、健太が車で連れて行ってくれた。

民宿のメンバーや、この地域で出来た友達が一緒の事もあった。


地域全体をくまなく回ったり、もう少し外側まで行ってみる目的は、気分転換以外にもう一つある。

この地域全体で、つながっている人達の店を全部載せて地図のような物を作ろうという計画だった。

載せていいかという事は、店に行った時ついでに個別に聞いていた。載せて欲しくないという人はいなかったので、全部載せられる。

地図を作って店の場所が分かるようにして、店名と扱っている品物やサービスを書きこむ。

あとは、希望する人のみ連絡先やホームページなどの情報を載せる。

地域動物の事も載せると面白いかもしれないなど、新しい案も出ている。


これに関わっているのが民宿のメンバー4人と、薫、慶の6人だった。

この他に、時々相談に乗ってくれたり手伝ってくれるのが、カフェの女性オーナーと、そこの常連の達也と怜の二人。

出来上がったら、カフェの壁にもこれを貼ってくれる事になっていて、達也と怜のブログやユーチューブで、地域名は伏せた上で出していこうという計画だった。

地域名を伏せるのは、今も変わらず感染対策万全でやっている世の中の流れからすると全く反対の事をしているわけで、知られたら潰される可能性も考えているからだ。

ここを気に入って転居してくると見せかけて、工作員が送り込まれても困る。

まだもう少し人が住める余裕があるだけに、せっかくいい感じで暮らしているところを邪魔されたくないというのは、この地域の全員に共通する願いだった。

地図を作るのは、これから新しく移住してくる何人かの人が、ここに来た時に暮らしやすように。

そして、もしその人達が商売をしていて望むなら、そのお店の事も地図に書き加え、新しい店にも皆が行きやすいように。

そうやって皆が暮らしやすい場所を、楽しんで作っていこうという考えだった。

これに関わっているメンバーは皆、お金と時間にはそこそこ余裕があるので「取材」と称して店を回り、好きなように飲食したり買い物をする。そのついでに店内や商品の写真を撮ってくるというのが常だった。

そんなマイペースでも、地図は少しずつ完成していった。



「なんかまた店減ってる」

「ほんまに?ここ何ヶ月で?」

「そう。新しいホテルばっかり増えるわ」

京都にいる唯との、グループラインでの会話だった。

梢の前の職場であるカフェの三人が、この冬に泊まりに来てくれた時にも、そういう話は少し聞いていた。

それからわずかの期間にさらに、元あった店は軒並み潰れていき、建物ごと取り壊されてホテルが建てられているらしい。

数十年前から京都にいる人達からすると、ここまでの変化は今までになかったことで、何か得体のしれない気味悪さを感じると言う。

京都市内で、大きなビルがまとめて外国資本に買い上げられたという情報も入っていた。


場合によってはここには居られないという事を、この頃家族で話すようになったという事だった。

コロナ騒動以降特に「京都の街はすっかり変わってしまった」と言っているのはこの家族だけでなく、店の常連のお客さん達の間でも、SNS上でもその話は出ている。

東京は更にひどい状況らしく、大阪でも今までにない変化が起きていた。

都会に居るほどこの変化から逃げられないかもしれないというのは、今の世の中の騒動に疑問を持つ人の間で共通の認識だった。

梢は、今の場所で暮らし始めてからそういう危機感とは無縁で呑気に生きてる。

でも世の中はまだ、元に戻っていないどころかもっとひどくなっているという情報しか入ってこない。

個人店舗が次々と姿を消して街の様子は激変し、感染対策という名のもとに決まり事はどんどん増えて、さらに暮らしにくくなっているらしい。

「もしかしたら今年来年ぐらいに引っ越すかもしれん」

4人のグループラインには、そんな事も書かれていた。


京都でも、車が無いと暮らせないくらい不便な田舎の方に行けば、まだ変わっていない場所はあるという。

店が休みの日には、そういう場所に出かけて行ってリサーチしているらしい。

常連のお客さん達ともそんな話をしているようで、グループラインにも転居の話が、最近よく入ってきていた。

グループラインで話している内容から、唯と両親は、京都でどうしてもいい場所が見つからなければ京都を離れる事も視野に入れて今動いているようだった。

梢は、どんな形でもいいし三人がこれからも幸せに生きてくれるようにと願っている。


何か悪い事をしたわけでもないのに、なぜ逃げないといけないのかと思うと理不尽さも感じる。でも今の世の中の状況に合わせたくなければ、逃げると言うより離れるのが得策だと思える。そんなことが、グループラインでの会話に入ってきていて、梢もその通りだと思っていた。

この地域の人達の考えも、今の世の中の権力と戦うという感じではなかった。

戦おうとすれば、相手はより強い力で押してくる。もっと決まりを増やし、もっと強制力を強めて、さらに強く抑えつけてくる。

そうならないためには、静かにそっと離れる。

実際この地域の中では、梢は自分達が透明人間になったのではないかと思う事があった。


梢自身を含めここで繋がりのある人達の事は、この地域に住む他の人達から見えていないのではないか。そう感じる事がよくあった。感染対策を守らない不快な連中だからあえて無視しようというような、敵意も特に感じない。

存在自体が認識されていないのではないかという、何とも不思議な感覚だった。

この地域でも、テレビの情報を欠かさずチェックして感染対策を頑張っている人の方がずっと多いはずで、その人達はすぐ近くに暮らしている。実際、こちら側からその人達の事は見えている。

最近では、感染対策にはマスクを二重にするといいということが言われているらしく、そんなのを本気にする人がいるんだろうかと思っていたら、実行している人をけっこう見かけて驚いたことがあった。

花見の季節にも、一応それらしくレジャーシートを敷いて、でもマスク着用、距離を取って消毒液を何本も置いて、疲れた顔をして無言で向き合って座っている人達のグループをいくつか見かけた。

余計なお世話だが、あれで楽しいのかと疑問に思ってしまう。

こちら側からは向こうの世界が見え、反対からは見えていない。そんな事があり得るのかと思うが、どうもそれに近い事が起きているらしい。

こちらが対立の波動を出せば、相手側からもこちらを見て攻撃してくるし、文句を言ってくるだろう。

なのでこちらは戦う意思を持たず、対立せず、ただ自分達のペースで平和に暮らす。

相手の視界から消えるには、そこがどうもコツらしい。


今日も民宿のテーブルには春の花が飾られていて、外の花壇にも花が咲き乱れている。

新茶の季節なので、料理の後にお茶を出して喜ばれている。

果物はいちごが今荀なので、食後のデザートにはいちごを使っていた。

梢はここに来て、夏、秋、冬、春と全ての季節を体験して、毎月毎月季節の変化を感じる食べ物、草木、花、景色を楽しんでいる。

ここでは人間も動物も、相変わらず皆とても元気だった。


来月は新緑の美しい5月になる。

民宿のメンバーの間では、テーブルの飾り付けやメニュー、イベントをどうしようかと、今日も賑やかな話し合いが行われていた。


5月は半ばを過ぎたこの時期。外は新緑が眩しい。

この季節は、朝の散歩で緑の多い場所へ行くと、何時間眺めていても飽きないほどに若葉の緑が美しく、花も多く咲き乱れている。

一年のうちで最も、人が外に出かけたくなる季節かもしれない。


この季節を気持ちよく感じるのは人間だけではないのか、動物達も昼間からよくうろうろしていたり、道端で寝ている。

狸の親子は相変わらず時間通りに現れ、最初見た時は小さかった9匹の子狸達の、サイズもかなり大きくなってきた。

今月の初めには猫も子供を産んで、小さい子猫達が加わっていた。


この地域の人達は、開放的な外で過ごすのが普段から好きで、よほど寒い暑いがなければ外に居る事も多い。

そんな中でも特にこの季節は、皆んないつも以上によく出歩いている。

天気が良ければ公園でお昼を食べたり、テーブルと椅子のセットを庭に持ち出してお茶を楽しんだりもしていた。

そこに、おこぼれにあずかろうという動物達が集まってくる。


特別何か行事があるわけでもないのに、いつも何となく賑やかだった。

梢も、外に散歩に出るとすぐ知り合いに会った。

この地域全部が知り合いでつながっているというわけではないのに、なぜか繋がりのある者同士は外でもすぐお互いを認識する。

でもそれが、近所付き合いの煩わしさを感じるようなめんどくさいものでは全くなくて、ただ人がいるという安心感だけを感じられた。お互いに干渉し合わないので、常にこの関係が成り立っている。


前々からいつも不思議なのは、この地域には、繋がりの無い人、関係ない人もいるはずで、むしろそちらの方が多いはずなのに何故か、自分達の知り合い以外の存在を感じない。

ここには自分達しか住んでいないのではないかと勘違いしそうになる事がしばしば起きる。

これは本当に不思議な現象なのだけれど、ここの友人達に聞いても皆同じことを言っている。


この地域では、遊ぶことは子供だけの特権ではない。

大人でも年寄りでも皆が好きな事をして遊んでいる。そしてその遊びが仕事になっている。

この場所の事を聞きつけて引っ越して来た人はさらに少し増え、今の時点で82人になっていて、もう少しで100人。

これくらいの人数がいれば、生活の中で必要なほとんどの事は誰かそれが得意な人がやって、お互いに提供しあい十分に回せる。


この地域の中ではどんどん、お金のやり取りをする事すら減っている。そういう流れが見られた。

一般的にこの世の中では、お金とは神のような物で特別な物で、お金がなければ死んでしまう、少しでも多くお金を稼がないと大変だということになっている。梢も以前はそう思っていたし、親からも学校の先生からもそう言われて育ってきていた。

ここの他の人達に聞いても、やはり以前はそうだったと言う。皆んなそこから出て、今では違う価値観で暮らしている。


ここの地図を作る計画も着々と進んでいて、空いた時間に集まって皆でワイワイ楽しみながら作っていた。

最初は、地図の作成は主に民宿のメンバー4人に友人の慶、薫を加えて6人でやっていたのだが、他の人達もどんどん参加して来て、人数が増えて賑やかになっていた。

ここの人達は皆好奇心旺盛で、誰かが面白いことをやっているとなると集まってくる。

人が多く集まればアイデアも多く出て、さらに面白い物ができていく。


地図の裏面に、希望するお店の写真、連絡先電話番号、メールアドレス、SNSアカウントなどを載せる事になった。

載せて欲しくないという人はいなかったので、裏面に線を引いて枠を100個作り、当分に割った。

特に店を構えて商売をしていない人でも、連絡先は載せていいという人ばかりだったので空白はどんどん埋まっていく。

「花」「陶器」「野菜」など、売っている物の名前は分かりやすく色を変えたりして。楽しい地図が仕上がりつつあった。

今の調子なら、予定よりも早くでき上がりそうだった。まだ100人いないので、あとは新しい人が入ってくるたびに書き足していくということになる。


梢にとっても、仕事の楽しみ以外にこの楽しみも増えて毎日がとても刺激的だった。

梢は、京都にいる唯とは時々ラインで連絡を取っている。

梢と唯の他に、マスター、ママを入れた4人のグループラインもあり、そちらもいつも楽しく盛り上がっていた。


梢はその時知らなかったのだが、唯はここに滞在している間に慶と親しくなっていた。

他にもここで知り合いが沢山できたけれど、その中でもこの2人は気が合ったらしい。

それから続けて連絡を取るようになり、会えない距離ではないので時々行き来していた。

付き合うようになったのは最近のことで、今では梢も、唯の両親のマスターとママもそのことを知っていた。

元々カップルでこの地域に引っ越してくる人達もいるけれど、梢もそうだったように後からここで恋愛が始まる事もある。

恋愛も人間関係の一つだから、エネルギーの合う人達が集まってくれば恋愛が始まるのも自然な事だ。


唯が、この地域に住む慶と付き合いだした事を別としても、唯と両親の三人家族はこの地域への転居を考えていた。

冬に旅行で来て数日間滞在してみて、3人ともここが本当に気に入っていた。

京都の街はどんどん変わってきてしまっている。今の世の中の動きを見ていると、都会にいるほどその影響は受ける。

常連のお客さん達と離れるのは寂しいし、ずっと店を続けて欲しいという人達がいる事を思うとためらいもあるが、本当に住みにくくなる前に京都を離れる事は去年の終わりから考え始めていた。


この地域にはあともう少し、人が住めるスペースがある。

カウンターだけの小さな店をやるのにちょうどいい大きさの物件が先月空いて、それから特に本気で考えるようになっていた。

年齢的にも、朝から晩までの長い営業時間が少し辛くなってきていて、夜の営業を中心にお酒を提供する店をやりたいというのが、マスターとママの希望でもあった。

来月もう一度ここに来て、物件を見てみることは決まっている。

もしここの家族が来てくれて店をやってくれたなら、今ここにはないタイプの店が出来る。

梢としては、もしそれが実現したら三人にいつでも会えるし、そうなったらいいなあと思っていた。

地域全体としても、新しい店が増えるのは大歓迎だった。


今も地図を作っていて改めて思うのは、本当にうまい具合に同じような店が重なったりせず、一店舗ごとに個性的な店が揃っている。ここに住んでいる人々の年齢も10歳以下から90歳以上まで幅広い世代の人がいて、そのおかげで情報の幅も広い。

5歳以下の子供達も全部で10人いるけれど、ここでは子供の面倒は皆んなでみるので、小さい子供のいる親だけが忙しくなって大変な思いをするということはない。子供を産んだことも子育て経験もない人でも、子供の世話を体験したければすることができる。

誰が何時から何をするなど一切決まっていないけれど、何となく全てがうまく回っている。


梢達は今日も仕事が終わった後、6人で集まって地図を制作していた。

場所は、広いテーブルが使えるこの民宿。作業中といっても、皆んな好きな飲み物やお酒を飲みながら、好きな物を食べながらで気楽なものだった。

「今見た限りでは大丈夫やったわ」

梢が、地図の書き終わった部分をもう一度全部見て、誤字脱字の確認を終えて言った。

「酔っ払ってないか?顔赤いで」

健太が笑って言う。

「そこまで酔うてないし、確認は大丈夫やと思うわ。多分」

「まあ違ってるとこあっても死なへんけど」

見る方も細かいことは言わないので、作る方もてきとうでいい。


「あ!やってもた」

侑斗が、食べていた揚げ物のソースを地図の上に落とした。

健太と2人でティッシュを持ってきて拭き取れるだけ拭き取ると、少しシミが残った程度になった。

「あとは修正液で消しといたら大丈夫やろ。どうせ印刷するんやし」

かなりいい加減なのだが、それだから続くわけで予定より早く出来上がりそうだった。


「ここだけで暮らせるよな。そう言うたら俺ここに越してきてから1回も県外出てないわ」

慶が、色を塗っていた地図から顔を上げて言った。

「たしかに。何でもあるしね。私も滅多に県外行かなくなったな。県外どころか普段は半径100メートル以上動いてないかも」

薫も同意する。本当にここには、生活に必要な物は何でもあり、遊びや楽しみのための場所も沢山あった。

音楽を聴きたければいつも野外で誰かが演奏をやっているし、特定の人の音楽が聴きたければその人のライブに行ったりユーチューブの番組を観ればいい。本や漫画が読みたければそれを置いている店があるし、趣味の品物を扱う店も多い。

大量生産された物と違って丁寧に一つ一つ作られた物は、長持ちもするし何故か飽きがこない。


この感じだと、今月には地図が完成して皆に配る分の印刷も終わりそうだった。

梢は地図を見ながら、元自分の職場でもある京都のカフェの3人がここに越してきたらという事を考えていた。

(この地図のこの辺りに描き足すことになるかな)

などと、想像しているとどんどん楽しくなってきた。

もし3人が来ても、その他にもまだ空いている所が少しあり、人数にしてあと20人近くは新しい人が入ってこれる余裕がある。

どんな人が来てくれるのか、どんなお店が増えるのか、これからも楽しみは尽きない。


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