回想

 彼女と最後に連絡を取ってから10年以上経った。一時期はLINEを交換してデートや恋人のようなこともしたけれど、その思い出にはどうももやがかかっていて、断片的な鬱々とした空気が思い出されるだけだった。暗いトンネルのような恋だったと思う。ただそれは悪い意味ではなくて、暗いトンネルの中で手を繋げば恐怖はデートの盛り上げ役になるわけだから。要するに僕らは普通の恋人みたく百貨店で買ったプレゼントを贈り合って満足するような純粋な心を持ち合わせていなかったのだ。遊園地のお化け屋敷みたいな、鬱という共通の恐怖をネタにして、僕ら一緒だよね、離れないよね、お互いが唯一の居場所だよねと確認するような恋愛しかできなかった。でもそれは恋愛の醍醐味だと思うし若い頃はそれでいいんじゃないかと思う。

 僕は今では比較的平和で平凡な人生を送っているわけだけれども、彼女は少し違うようだ。鬱病に罹患したとか恋人が薬物で捕まったとかなんとか。彼女のSNSアカウントを見て知ったけれど、真偽は分からない。彼女はものをはっきり言う人で、独自の考え方を持っていてやるとなったらすぐ動く人で、それでも誰かに寄りかかって生きなきゃいけないくらい心のどこかが弱い。いい人だと思う。そして嘘をついている僕の生き方はずるいと思う。だけどたぶん幸福のようなものを安定的に手にしているのは僕の方で、それは少し理不尽ことなのかもしれないと思う。

 先日、3才になる娘が風邪を引いた。処方されたのは苦い粉薬で、妻は薬を飲みやすくするゼリー飲料に混ぜると子供にはいいのだと言っていた。でも僕は苦いまま無理矢理飲ませた。「にっがーい」と顔をしかめていた。だから僕は「お薬飲むのがいやだったら、風邪を引かないことだよ」と忠告した。娘は元気にうなずいていた。


Fin.

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おくすりのめたね @yrrurainy

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