6 逃げず臨んだ街中デート

 長い一日から一夜明けた、偽装契約新婚生活本格始動の朝。


 あたしミラベルの目覚めは早かった。

 早起きは体に染みついた習慣ではあるけど、それだけではない。


「はあ、一睡もできなかった……」


 寝室の長椅子に腰掛けて深く項垂れる。真っ白だぜ……。たぶん目の下は黒いだろうけど。


「うぅ頭重いー。それもこれも全部そこの男のせいよ」


 あたしはねっとりとした殺意を孕んだような眼差しで自分の快眠するはずだった天蓋付きベッドを見やった。

 そこでは健やかな寝息を立てる一人の美々しい眠り姫、ではなく眠り王子がいる。

 ギルバートだ。

 あたしは長椅子から移動して、ぬらりと自身の黒い影をベッドの上に揺らす。カッコイイくせに両手を合わせてやたらと可愛く寝ている彼に思わず眉と頬をヒクつかせた。

 窓外は益々白んできている。

 新婚カップルが寝室を共にした、こんな場面を誰か城の人間に見られでもしたらあらぬ噂になる。

 偽装だと知る彼の古参の使用人達でさえ何かあったのではと疑うだろう。もしかするとセツナさんでさえ。


「はあもぉ、叩き起こす前に鼻をつまんでやろうかしらっ」


 だけど殺人なんてしたらそれこそこの人生ゲームオーバーだ。王子を害した罪で即日処刑も有りうる。故に堪えた。


 どうしてあたしがこんな状態でいるのかは、昨晩を振り返る必要がある。


 セツナさんからは元々来客があった際に疑われないようフェイクで夫夫ふうふの寝室は設ける予定ではいるけど、実際の寝室は別々だって聞いていた。

 あたしの同居も事前の計画にはなかった展開だから、ちゃんとしたあたし専用の部屋が準備できるまでは賓客用の宿泊部屋を案内するとも言っていた。

 事実あたしはその通りに一人豪華過ぎる部屋で昨日の夜を過ごしていたわけだったけど……。





「――はあぁ、ふかふかしてそう……」


 正式な契約を交わしギルバートと晩餐を共にした後、就寝準備を終えたあたしは部屋中央に佇んで称賛と感心を胸にする。

 やっぱり住んでいるのが王族だからなのか、ユーリエ教会よりもさらにハイグレードの調度品の数々。部屋奥に置かれた天蓋付きのベッドなんて見るからに寝心地良さそうで気分も上がる。

 馬車で多少寝たとは言え疲れが取れるわけもなく体はへとへと。早くベッドにダイブしたい。


 だけどもう一度契約書を確認してから寝ようかと就寝前のゆったりした時を過ごしていたあたしの耳に、控えめなノックが届いた。


「ベル、起きているか?」


 声はギルバートのもので、あたしはてっきり契約関連でまだ何か話し合わないとならない事があってやってきたのかと、無警戒にも部屋の扉を開けてしまった。

 部屋の前には予想通りギルバートが立っていて、セツナさんはいなかった。

 彼ももう就寝間際だったのかゆったり鎖骨の見える寝間着姿で、一瞬あたしはゲームでは出てこなかったかつてない眼福姿に鼻血を噴くかと思った。これだから美形キャラはいけない。


 あと、ほんの微かにアルコールのにおいもした。


 ここに足を運ぶ直前まで寝付きのためのウィスキーでも嗜んでいたのかもしれない。


「こ、こんな時間にどうしたんですか殿下?」


 あたしはあたしでピエロが着るような上下別の男でも女でも絶対に不埒な気持ちを抱かないようなふざけた寝間着姿だった。万が一を考え敢えてセツナさんに頼んだの。ゆったりしているから着心地は良かった。

 念のため腕を組んでさりげに胸を隠すようにしながら問えば、彼はやや不満そうに首を竦め上目遣いで髪を下ろしたままのあたしをじっと見つめてくる。


「ギルでいいと言ったはずだろう」

「え? ああそうでしたね」


 うわー面倒臭い。内心案外細かいなーなんて文句を垂れつつ、この時ようやく彼が手に小さな陶器の容器を持っているのに気が付いた。 


「それは?」

「ああ、軟膏、塗り薬だよ」

「軟膏? 何に使うんですか?」


 まさか食べはしないだろう。ギルバートからはタメ口で良いとも言われていたものの、人前で演技の必要がない限りは何となく気が引けて普通に敬語を使った。彼にはそこも不満なのかもしれない。また眉同士が僅かに寄っていた。


「君に必要だろう?」

「へ、私に?」


 ギルバートはあたしの問い掛けにはすぐには答えず、むしろ別の質問を返してくる。


「ところで、入っても?」

「……どうぞ」


 苦々しく思いつつも雇い主を初日から邪険にはできなかった。渋々体をどけて入室を促す。


「座って、レッド……いやベル」

「はあ」


 間違われたし。よくわからないままに部屋中央のソファーの一つに着席すると、彼はマカロンみたいな形の容器の蓋を開けた。陶器同士が微かに擦れた涼やかな音が耳に届いた。見ていると彼は小指に少量の軟膏を掬い取り、どうしたわけかあたしの真ん前に屈み込んでくる。抹茶みたいな色をしているのは薬草が原料だからだろうか。


「あの? 何でしょ、う……?」


 ソファーの上で若干身を引いてしまった。大体にして、今は胸にサラシを巻いていないので極力近付かれたくなかった。多少窮屈だろうけど明日からはサラシを巻いて寝ようかしら。それか鍵をしっかり掛けて夜半の訪問には応じないか。ぷっくりとしたピエロ寝間着が胸の盛り上がりやまろやかな女性的な体の線を隠してくれていて助かった。

 一方、彼は拗ねたようにする。


「君の唇、まだ痛むだろう? だから薬を塗るんだよ」

「ああ、なるほど……」


 ……ギルバートはわざわざあたしを心配して薬を? 正直戸惑った。

 あたしはレッドさんではない。

 元来作中でも彼はヒロインにはとても甘い男で、プレイヤー達はそんな彼からの溺愛を疑似体験して胸キュンできるのが売りの一つだった。ヘッドホンとかイヤホンで耳に直接甘い台詞を囁いてもらう仕様にもなっていた。

 だけど、今のあたしは対象外じゃないの?


「ベル、じっとして」

「――っ」

「わ、悪い痛むか!?」


 ぐるぐる考えていたら逃げる時間を失って彼の小指があたしの唇に触れた。確かにまだ治りかけの唇にはピリッと痛みが走ったけど、急に敏感な所を触られて反射的に肩が跳ねたの。

 あああ何か恥ずかしい~っ。

 羞恥に顔が熱くなる。それは外から見れば頬や耳が赤くなる視覚的現象を伴っているんだってのを気にも留めなかった。少なくともあたふたと忙しかったあたしは。

 ギルバートは、何とも言えない顔付きになると薬を傍のテーブルに置いてまだ指先に残る軟膏をあたしに塗ろうとしてさっきよりも距離を近付けた。至近から真剣な眼差しで覗き込んでくる。

 え、なに、何でこんなに吐息まで近いわけ?

 そうだ、あたしもだけど、彼の唇こそどうなの? もう平気なの?

 あたしもあたしでギルバートの口元を注視した。


「ベル、優しくするから少し我慢して」

「え!?」


 ギルバートの抑えて掠れた声には妙な色っぽさを感じた。

 それは誘惑の気配というのかもしれない。

 たまたま見つめていた場所が場所なだけに彼の台詞に不覚にも誤解しそうになる。キスを優しくって。おおお落ち着けーっ。

 あたしは慌てて彼の手首を掴んだ。


「だ、大丈夫ですから! そのうちすぐに治ります」

「……君は、僕に世話されるのは嫌か?」

「あ、あなたこそ、逆にどうしてレッドさんではない私を世話したいんですか? 気を遣って頂かなくても世間に関係を疑われないように契約はきっちり履行しますよ」

「レッドではないって、君は僕の…………いや、衆目面前以外では親しくする必要はないと言いたいのか? それは本音?」

「勿論です」

「……」


 ギルバートはやや俯き悲しそうに口を結ぶ。だけどそうしたかと思えば毅然として顔を上げてこっちを見た。


「僕には必要だよ、君とのスキンシップ」


 彼は彼の唇の傷へと、あたしのに触れた軟膏付きの指先を擦り付けた。間接キスみたいって思って、ううんその通りで思わず息を呑む。こここの男は何をやってるの!?

 動揺するあたしへとギルバートは蕩けるように目を細めた。いや蕩けそうなのはあたしの心だ。どうしよう心臓に悪いっ。キュンとなってどうするっ。

 ギルバートはソファーの背に両手を突いてあたしを囲うようにして見下ろした。

 え、えっ? この位置関係は何?

 ――って言うか受け専門じゃなかったのおおっ!?


「ベル、僕は」

「ああああのっ、私達は初夜ですけどあくまで書面だけの関係でしょうっ。かか体の関係まではホント駄目ですから!」


 ギルバートはポカンとし、ややあって赤くなってしどろもどろになる。


「いやっ違っ今はそういう意味じゃないっ」

「今は!?」

「ああっいやそのっ本当に傷が気になったからでっ…………あああ~~や、正直、ワンチャンあったらいいな、とは思っていた」


 正直だなおいっ!


「僕は、君には二度と会えないかもしれないと覚悟していたんだ。だから、昼間からずっと舞い上がっているし、実はこれが夢なんじゃないのかってまだ半分思ってる」

「え……えと、よくわからないですけど、これは現実ですから安心して下さい」


 ギルバートは弱ったようにじっと見つめてくる。


「そうか。でも残念、夢なら遠慮なく手を出したのに」

「えっ!?」

「――それか、出してもいいか?」


 全く以て予想もしていなかった攻めに動揺した。

 切なげに揺れるギルバートの瞳が正面から迫る。


「レッド……本当に会いたかったんだ」


 え、レッド?

 …………腹立つーっ、あたしを身代わりにする気なのね!


 すると直後、ポーンという音を立てて電子画面が出現した。何事かと目をやればこうあった。


【ボーナスアドバイス 現在、ペナルティーになる可能性が非常に高まっています】


 ボーナスアドバイスううう!? 何それ初めて……ってペナルティー!?


「好きなんだ。この気持ちは再会しても変わらなかった。君に、魔法使いの君に会いたくて近付きたくて、魔法の研究を始めたんだ。その他はついでだったけど、結果として稼げたから良かったと思っているよ。レッド、君のおかげで僕は変われた。君と出会えたから――」


 ふうん、レッドさんは魔法使いなんだ。ちょっと親近感。


 一方ギルバートは想いに囚われ酔ったみたいな眼差しであたしの頬に手を添える。掌が熱い。やっぱり寝酒の影響かもしれない。

 これは絶対的にキスがきて、それから性別がバレるような展開になるに違いない。

 寝間着は薄いし今度は胸に触ったら嫌でも気付く。或いは見られ……る?


「好きだよレッド……」


 堪え性がないみたいに逸る色気が駄々漏れる、この美しい男の瞳が直にあたしの肌を……?

 ドクンと心臓が強く打った。考えただけでのぼせそう。この世界にはオメガバースはないのに彼のヒートに中てられたみたいに、顔に掛かった彼の吐息一つに全身が呑まれそうだった。

 何これ、このドキドキは本来ヒロインの体に組み込まれた予定調和的な感情なの?

 それともあたし、の……?


「レッド……」


 ――レッド。

 あたしではない誰か。急激に頭が冷えた。


「――っ、ダメーーーーッッ!」


 気付けばぶっ飛ばしていた。

 グーで殴った姿勢のままあたしは大きく肩で息をする。


【危険は回避されました。おめでとうございます】


 そうして、透ける画面越しにあたしは本日二度目のKOを勝ち取ったのを悟ったのでした~。

 とは言え自国の王子様を床に放置するのも気が引けてベッドに寝かせる事にした。自分より大きい男を一人で抱えるのは大変だった。途中で気が付かれなくて本気で良かったと思う。もう一発KOは勘弁してあげたかったからね。


 と、まあ、不本意にもあたしはギルバートと一夜を共にしたわけだ。


 でも同じ部屋の空気を吸っただけ。昨晩あたしは部屋の隅の長椅子で一人きりで寝たんだもの。破廉恥な事は何もない。あって堪るか。

 ただね、同じ部屋によく知らない男がいるんだし、途中で起きたらどうしようって警戒感もあって、結局は眠れぬ夜を過ごした。






「ふぅ~~う」


 それからあたしはギルバートを文字通り叩き起こして彼の意識がまだハッキリしないうちにと廊下へと追い出した。部屋の前で二度寝されても困るので城の人間を呼んで彼が寝惚けてここまできたようだと説明。微かに残る彼の顎の赤みには言及しなかった。

 そう言えば、来てくれたメイドさん達は何とユーリエ教会でベテランお針子をしていた女性だった。どうやらここの使用人達は複数系統の業務をこなしているらしい。

 左右から肩を支えられ二人掛かりで引き摺られていくギルバートの未だ半覚醒の背中を穏やかな目で眺めながら、あと一年も仏の心でいられるか自信がないなと思った。


 何より、身代わりにしてるんじゃないわよって、そんな事が何だかしこりみたいに残った。






 波乱の結婚初日から約一月、あたしの一日は男装に始まる。


 本日はユーリエの街中デートを提案する予定だ。


 ギルバートの結婚を印象付けるために、あたし達は貴族のお茶会や舞踏会によく参加している。噂を広めるには取材を受けるのもいいけど社交界に顔を見せるのが最も効果的だもの。元来彼が認めさせたいのは彼の両親なんだから、あたし達を見た臣下達から彼らの耳に届きやすいって理由もある。

 人前でのイチャイチャ演技はもう慣れた。

 ギルバートには初夜の件もあったので改めてきつくあたしがレッドさんではないと言い聞かせたっけ。

 スキンシップ過剰も禁止とも。度が過ぎれば別居すると臭わせたら節度を守るようになった。


「さてと、あたしは男あたしは男、ベル・ミラーとして何があろうと我慢するのよ」


 貴公子然とした服の襟元を整え、仕上げに鏡の前できゅっと後ろ一つに長い赤髪を縛った。


「これでよし」


 それにしてもまさか魔法研究者と同居する羽目になるなんて。何であたしの人生ってこう危機続きなの……。


 魔法研究は普通の人間が一念発起してできる事ではない。餅は餅屋と言うように魔法の案件は魔法使いに任せるのが当たり前だからだ。

 ましてや王子身分が魔法研究をするなんて、生半可ではない本物の覚悟がないとできないだろう。


 彼はレッドさんへそこまでの想いがあるのだ。早々とそれを知れて良かったかもしれない。


 不覚にも動揺する時もあるけど、少なくとも彼に不毛な感情は抱かないもの。


 意気込んでいると部屋がノックされて朝の挨拶をしに来たギルバートが嬉しそうな顔を覗かせた。朝食の席で会えるのに彼は律儀に毎朝おはようを言いにくる。

 あたしはレッドさんではないと彼もさすがにもう理解しているはずなのに、態度は初日から変わらない。彼の真意はどこにあるんだろう。

 何はともあれビジネスモード全開で今日も頑張るのみだけど。


「おはようギル」

「はうッ……! おはようベル」


 廊下に出て愛想よくすると彼は胸を押さえて打ち震える。名前を呼ぶ度にいちいちそんな反応をされる。最初は心臓の発作かと慌てたけどもう慣れた。

 たぶん、これはあたしがそう感じるだけだけど、こんな些細なやり取りにさえ彼はレッドさんをあたしに重ねているんだろう。今だって妄想が膨らんだのか頬を赤らめている。

 まあ、それで彼が喜ぶならいいか。


「どうですか、これ。決まっているでしょう?」

「ああ。とても」

「じゃあこれで今日こそ街中デートと行きましょう」

「――駄目だ」

「どうしてです? 記者達もいるでしょうし地元の皆にも見せ付けるチャンスなのに」

「取材ならここに呼べるだろう?」

「そういう事じゃないです。――ギルは私が嫌いなんですか?」

「大っっっ好きだ!」

「ああそうですかー。てっきりわがままな私に嫌気が差したのかと思いましたよ」

「わがままだなんてそんな事はない。それに嫌気だなんて君には大恩があるんだ。再会した君が例えどんな悪人だったとしても僕は嫌いになんてなれないさ」

「ええとですから、それは私じゃありません。混同しないで下さい。全く、一体何度間違うんですか」

「……とっとにかく駄目だ。街中デートはしない」


 まあ予想通りの返答だ。

 ギルバートはドレスコードのあるような貴族の集まりならいいのに、何故かユーリエの街中デートはしたがらない。

 こんな問答もここ一月程続く朝の定番になっていた。


「本当は僕だって君をどんなに大事にしているかを皆に見せつけたい……!」


 彼は咽から押し出すように悔しそうな声を出す。


「だが、この結婚は王族に相応しくないと、熱烈な王家シンパは連日離婚を要求しているだろう? それは君も聞き及んでいるはずだ」


 この国は同性婚は合法だけど、男女神の子孫との神話を用いての王権の正統性を広めている王家としてはあまり推奨されない婚姻だ。王家に限ってはまだ女である魔女の方がマシだとさえシンパは主張する。……勝手なものよねー。

 

「街中に出たら何をされるかわからない」

「ギル、そこは承知と言うか覚悟の上で契約したんです。危ないのでしたらギルだってそうですよ」


 彼はゆるゆると左右に首を振った。


「シンパは王族への危害は極力避ける。矛先はまず間違いなく君に向くんだよ」

「私の身を案じて下さるのは感謝します。でもですね」


 あたしはずいっと一歩を踏み込んで身を乗り出した。あたかも対峙するように真っ直ぐにギルバートを見据える。

 叱咤さえ込めて、挑むように。


「あなたはこの先レッドさんが現れた時も、そんな情けない言い訳をしてみせるんですか? 好きな相手に臆病になれって言うんですか? そんなのは対等じゃない。お荷物だ。私なら真っ平御免ですよそんな扱い」


 睨んだ先のギルバートがハッとした。


「私は世間に認めさせてやります。真剣に誰かを愛して何が悪いんだって。あなたのレッドさんへの気持ちは本来そういうものでしょう?」


 今の言葉には魔女に対するいわれのない偏見への反抗も入っていたかもしれない。

 一人で何とかしようとするギルバートへのもどかしさもあった。


「伴侶なら、手を取り合って一緒に成し遂げてこそです。共に理解の輪を広げましょう、ギル」


 しばしこっちを見つめ呆然としていた彼は、急に俯いて肩を震わせた。

 ……笑っている。声なき声だったのが次第に大きく、ハハハハハと聞こえ始めた。


「……さすがは僕のヒーロー。とても心強い味方を得られて光栄だよ。言う通りだ。目が覚めた。わかった。街中デートに行こう。まあそもそもセツナを連れていれば安心なんだよな」

「ああ、確かに」


 彼は一騎当千の凄腕護衛だからね。先日お茶会帰りに馬車を取り囲んだ武装男達を彼は何とたった一人で片付けてしまった。

 何だかすっきりしたようにまだ笑いながら、ギルバートはあたしへと手を差し出してくる。


「二人一緒なら百人力だ。よろしくな」

「こちらこそ」


 互いの手を固く握りながら、ここに真の契約成立が相成ったのかもしれない。そしてやっぱりギルバートは朝一手繋ぎだと次の瞬間にはテンション高めに浮かれた。

 ……そんな無邪気さを可愛いなと思ってしまったのは内緒だ。







「何だって! ミラベルがやっと姿を見せたって!?」


 とある安宿の一室で、一人の肥えた中年女が怒ったような声を上げた。


 ダーレクでミラベルを追いかけ回した例のあの悪女だ。


 喜劇役者かと思う程に化粧が濃い女が手に握るのは今日付のゴシップ紙。普通にユーリエの路上で売られている安価な物だ。

 因みに化粧とは裏腹に女が着ているドレスはかつてのゴテゴテしい豪華さとは比べものにならないみすぼらしい地味なものだった。


 ゴシップ紙には大小はあれ連日のように同じ記事が載っている。第四王子ギルバートの婚姻関連のそれだ。

 女は王子に興味などほとんどなかった。

 しかし、事情が変わった。


「お前が城から出てこないからこ~んな安宿で一月も待たされたじゃないのさ、ミラベル~。いくら男になりすましたってねえ、わたくしの目は誤魔化せないのよぉおお~!」


 グシャリと新聞を握り潰し、極悪な殺し屋のような笑みを浮かべる女。

 報告した強面の手下が「ひっ」と身を縮めて悲鳴を上げる程には凶悪だった。


「失礼な声出してるんじゃないよっ」


 怒って撥ね上げた眉をピリリと痙攣させて思い切り部下を張り倒したら、そいつはどぐしゃっと宿の木壁にめり込んだ。しばらくは使い物にならないだろう。


「フンッ、不甲斐ないね」


 そうは言いつつ女は失敗したと思った。現状下で動ける手下を減らしてどうする、と。床よりはマシかと仕方なく気絶した手下の首根っこを掴んで薄いベッドに転がすと、女は出掛ける支度を始めた。

 同時に、部屋の外に待機している手下へと怒声にも似たものを飛ばす。


「こっちは始めると先方に知らせておきな! この機を逃すもんかい。首を洗って待ってなミラベル!!」







 あたしとギルバートはユーリエの街路にやってきていた。護衛のセツナさんはやや後ろに控えている。


 警備上の懸念は言うまでもなく誰がそうなのか正確なところのわからない王家シンパ達だ。普段は良識のある市民でも王家の話になるとがらりと人が変わるなんてシンパは珍しくないという。無関係な一般人との見分けもつかない。


 あたしもギルバートも、だから少しの緊張感を持って歩いた。繋いだ掌からもお互いのそれは伝わっていた。


 彼に気が付いた街の人達はその横のあたしを見て少しだけ慣れないような顔をする。だけど、そこはこれまでの彼の人徳なのか、彼の選んだ相手ならと嫌われてはいないようだった。

 正直、生卵も覚悟していたけど、予想よりもソフトな反応だわ。この街の大半はきっと自然と受け入れてくれるだろう。


 やっぱり問題は王家シンパ、か。


 要塞城にいる間は高い外壁で外部は見えないから敷地の周りからの抗議の声が聞こえるだけだった。細かい言葉は聞こえないけど離婚しろって唱和する部分はよく聞こえた。

 そうやって実際にシンパは家まで来て行動を起こしているのよねー。ギルバート達が心配するのも頷ける。

 今日だって門を出た辺りにシンパだろう人達が集っていたけど、馬車に誰が乗っているのかわからなかったからか何もしてこなかったのは幸いだった。


 街中に着くと路肩に馬車を待たせたままにしてあたし達は三人で暫く歩いているわけだけど、ここでもまだ何もない。


 この調子なら、もしかしたらこれからも無難に街中を歩けるかも?

 住んでいる地元民に支持してもらえるだけでも、契約終了後の彼とレッドさんの苦労も減ると思うからあたしは俄然やる気が出てきた。

 受けた以上依頼は最高の形でやり遂げる、それが何でも屋で信用を積み重ねてきたあたしの信念だから。


 だけどこの時のあたしは考えが浅くも、連日散々門前で騒いでいたシンパ達がどうしてこの格好の糾弾機会を使わないのかに疑問を抱いていなかった。

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