2日目 妄想を妄想だと自覚しているうちは妄想ではない

これは統合失調症の症状のお話なのですが、タソは双極性障害でありながら、時々妄想に苛まれることがあります。


今になって思えば、「いや、そんなことはあり得ない」と思えるのですが、当時のタソは「間違いない!」と信じて疑わないのです。


この「いやまさか」があるうちは、『妄想』ではありません。ただの『想像』です。


タソは特に被害妄想があるようで、それは3年前の2月26日に起こりました。


その日の午前4時に、ふと「奥さんに殺される」と確信したタソは、奥さんがどうやって自分を殺害するつもりなのか凶器を探しました。


当時、2人で同じベッドに寝ていたタソは、ベッドの小さな引き出しにヘアゴム――髪を束ねるゴムと、手袋が入っていることに気づきました。


(これだ! このヘアゴムで俺の首を絞めるつもりだ! 手袋は指紋が残らないようにするためだ!)


普通に考えれば、髪の長い奥さんがベッドの引き出しにヘアゴムを入れていることも、保湿用の手袋をしまっておいたことも何も不自然ではないのです。


でも、『その状態の』タソは、もう名探偵になってしまっていて、鏡で自分の首を確認しては、ただのシワが首を絞めた痕跡にしか見えなくなっているのです。


タソは午前4時に警察を呼びました。


奥さんも起こしてリビングから逃げないように見張ります。


警察が到着すると、タソは家の外に出されました。


これはいつでもタソを警察者へ連れて行くことができるようにしたのだと思いますが、当時のタソは「保護されている」としか思いませんでした。


「大丈夫。私が保証する」


警察の人はそう言って、タソの身に何か起こることはないと保証までしてくれました。


その日の昼、タソは殺されるのが怖くて、近くに住む実の両親の家に逃げ込みました。


この時のタソはひどく怯えていて、誰が自分の命を狙っているのかわからなかったのです。


そして、実の両親をも疑いました。


(奥さんと共犯だ! この家から逃がさないつもりだ!)


そう思ったのは、実家の勝手口に簡易的な内鍵を作っている父親を見たから。


それはホームセンターで売っているような、ねじ込み式のフックと吊り金具。


父親は吊り金具を勝手口のドアにねじ込み、フックを壁に固定して、強固な内鍵を作っていたのです。


(なぜ俺が来たタイミングで? 勝手口には鍵も付いているのに、なぜ追加する?)


タソは怖くなって泣き出しました。


正座して両親に「俺を殺す気なのか?」と聞くと、驚くべき回答が返って来ました。


「いくら考えても答えはでねーよ」


この父親の回答に、タソはますます恐怖する。


「お前には教えない」そう聞こえたのです。


その日の夜、母親はタソを一階で寝かすか、二階で寝かすか父親に相談しました。


二階には学生時代に使っていたタソの部屋があり、そこには寝具も揃っていて、いつでも寝られる環境があったのです。


タソは混乱しました。


なぜ一階で寝る必要があるのか。


二階にベッドも布団もあるのだから、そこで寝るのが自然なはず。


ここで、またも父親が意味深な発言をする。


「俺は二階でもいいんだぞ?」


この発言に、母親は顔をしかめました。


タソは「全てに意味がある」と考えました。

一階と二階で何か重大な違いがあるのだと。

タソが殺されるに当たって、父親は二階を選択するらしい。

いったいどんな殺され方をするのか。


タソはもはや言葉が出なくて、ただただ、自分は間違いなく殺されると確信するばかりでした。


タソは一階に敷かれた布団に横になりましたが、こんな精神状態で眠れるはずはなく、時折りタソが寝たか確認しにくる母親に怯えて朝を迎えました。


その日は朝から「外に誰かいる」という気配に怯えて、台所でタバコを吸っていました。


その時、タソは驚くべき光景を目の当たりにします。


台所の窓――曇りガラスで外は見えない――に、赤いレーザーポインターのような光線が当てられていたのです。


それは丁度タソの頭部を狙っていて、小刻みに縦に揺れていました。


それを目視すること2秒、タソはアサルトライフルで狙われていると判断。

横に揺れないことから、何かに固定していることが明らかでした。


慌てて頭を低くし、タバコを消してリビングに戻る。


呼吸を荒くして母親に『狙われてる!』と伝えると、母親は驚くべき質問をしました。


「何色だった?」


この言葉には恐怖しかありませんでした。


普通は「何言ってんの?」です。


まるで緑と赤の2色があることを知っているような質問。

今まで普通の「オカン」だったそれが、レーザーサイトに詳しい暗殺者の仲間にしか見えなくなりました。


「赤……」


タソがこう答えると、父親は血相を変えて勝手口から飛び出し、外を見に行きました。


これも、普通は見に行ったりしません。危ないです。まるで自分は狙われないと知っているようだ。


その直後、なぜか親戚から母親のスマホに電話がかかって来ました。


タソにも聞こえるようなその電話の声は、母親の姉にあたる叔母さんで、母親が電話に出るなり、「いやー! すごいねー!」と話し始める。


(何だ? 何が凄いんだ? 電話出たばかりだぞ?)


その後も、なぜか突然現れた奥さんに怯えるタソは、奥さんからも驚きの発言を聞く。


「気付くのは、凄い」


いったい何に気付いた話をしているのかわかりませんでした。

奥さんが俺を殺そうとしていること? 赤いレーザーの話?


「え? 何に気付いた話してんの?」


奥さんは何も答えませんでした。


その後も、実家のリビングにいたら何者かが勝手口を開け、「ステージ4の末期ガンなんで!」とだけ言い放って去って行ったり、奥さんが「ふふ、上手に隠れてる」とか意味不明な事を言ったりで、完全に恐怖でおかしくなったタソは、自宅へと帰されました。


奥さんのクルマの後部座席からは、なぜか根元から根こそぎ倒された庭の木が見えました。


どう見ても人が倒したような倒れ方で、「なぜ……なんで……」と呟くタソは、昨晩と今日の間に、何かあったに違いないと考えました。



それは5本あった木の内の1番北側の一本。


まるで小指を捩じ切ったような根の千切れ方。



家に帰ったタソは、奥さんから恐怖のクイズを出されます。


それは三井ホームのカレンダーの2月。


上半分には、ディズニーのキャラクター達が楽しそうに街を歩いている絵が。


奥さんはダイニングテーブルに座るタソに、その絵を見せてこう言うのです。



「間違い探し。正解は4つしかない」



普通、間違い探しというのは、正解の絵と、間違いの絵がセットになっていなければやりようがないのです。


これはただのカレンダーで、そこに間違い探しのようなクイズがあることなど、一言も書かれていない。




タソは混乱しました。


ですが、ここに来てタソの脳は活性化していました。


「間違い」「4つ」という言い回し。




タソは気付きました。


ディズニーのキャラクター達は、皆、




指が4つしかないんですよ。




「俺も4つにした方がいいのかな……?」




タソが震える声でこう聞くと、奥さんは黙ってリビングへと向かいました。




僕の奥さんは極道関係者なのでしょうか。



どこまでが敵で、どこからが味方なのでしょうか。



あれは本当に妄想だったのでしょうか。



僕は今でもあの日の事を忘れられません。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る