第12話 ラストバウト【2】

 地面に滴った澱がわなないて、魔物が生み出されていく。

 肉体が完全に形成されることなく、這いずり回り、呻きながら相手に向かっていく。さながら、救いを求める貧者であり、あるいは赤子の群れ。

 ヒーローは一歩踏み出し。水たまりを踏みしめて――加速した。


 裂帛の叫び。

 壁を蹴り、高く飛翔。魔物を踏みつけて破壊する。

 ぐちゃり。足の裏に不快な感覚。

 まとわりついてくる別のもう一体、もう一体。着地と同時に腕を振るい、はねつけて、殴る。殴る。ぐしゃ、ぐしゃ。蹴散らしていく。

 魔物はなおも増殖を続けていくが、鮮血の色彩は振り返らず前進した。奴に手を伸ばした。

 雨が、旧市街に満ちる瘴気が身体を蝕んでいくのを感じるが、それは立ち止まる理由にはならない。やつはそこにいる。だから進む。

 一歩、また一歩と怪人へと足を踏み入れると同時に、過去が流れていく。

 あの時。あの灼熱の時代。おれたちは、はっきり二色だった。

 混ざり合わない白と黒。それはある意味で、歓喜に満ちた時間だった。

 しかしそれを偽りと知ったとき、すべてが崩壊していった。それは必然の滅び。

 おれたちは、去り行く者なのだ。

「っ、おおおおーーーーーー」

「さぁ、来い。俺はここに居るぞ。ここで貴様を待っているぞ――」

 その滅びは、きょうこの日だ。


 立ち止まる。血を吐く。崩れる。雨がひどく冷たい。

 向かい側の男はそれを好機ととらえたらしく、こちらに向かってきた。

 けれど。

「が、はぁっ」

 ばしゃりと、水たまりに倒れこむ。なんだ、一緒じゃないか。

 今ここに居るのは、瀕死の男ふたり。無様にぬれねずみになって、肩で息をしながら、泥だらけになって立ち上がろうとしているけれど、足がすくんでいる。なんと滑稽でみじめで。

「まだ、まだだ…………っ」

 ずるずると、亡霊の男が進んだ。魔物の泥が追従する。大きな影を背負って。

 ヒーローは顔を上げて、彼の肩にのしかかっているものをみた。

 過ぎ去っていった怪人たちの影。自分たちが倒してきた者たち。それぞれの事情を抱えながらも、悪に身を堕とした者たちだった。いま、その歴史も終わる。

 正義も悪もないグラデーションの世界に溶け込んでいく。そうでなければならない。そうならなければ、ならない。


 ヒーローは顔を掴まれて、壁に押し付けられて引き上げられる。大した力自慢だ。振りほどこうとするが、簡単にはいかない。

「どうした、そんなものか……かは、ははははは」

 怪人は笑っていた、楽しげに。いま彼は、役割を全力で遂行している。その喜びはなにものにも代えがたい。ヒーロー自身が知っていた。自分はそうでないとはとても言い切れないからだ。それでも。それでもそれは、否定されるべきものだ。

「そんな程度なら、お前は俺にふさわしくない。お前を殺して、もう一度街に繰り出してやる。そして再び、連中に俺たちの存在を見せつけてやる――」

「そんなことをして、何になる……お前の娘は、そんなことをもう望まない……」

 そこで奴は再び嗤った。おぞましく。誰もが怪物と理解する、融和不可能な異形。

 それがヒーローとはまるで違うと、一体だれが決めたのか。

 誰でもない。時間が経つにつれて、何か干渉できない大きなものが、その境界線が敷かれてしまった。思えばその時から、悲劇が始まったのだ。

「望む? 望まない? そんなもの犬に食わせろ。理不尽は、いつも向こうからやってくる。奴らは、無力だ……なんにも出来ない、なんにだって、なれない。『俺たちと違って』――」

 それでも。それだけは言わせてはいけない。

 ヒーローは怒った。腕に力がこもる、循環するエネルギーがもう片方の腕の痛みを抑え込む。

「ふざ、けるな……」

「何っ」

「ふざ、けるな、悪党めっ!!」

 彼はありったけの力を込めて、自分を押さえつける怪人の腕を、引きちぎった。



 不協和音。

「でも、怪人だって、元は人間だったわけですし」

 感じているのは自分だけなのか。雨の音と時計の音が同期せず、不安になるリズムを刻む。

「……ほら。悪人だったんでしょう。だったら別に……どうでもよくない?」

 それから、逃げたくて。

「どうでもよくなんか、ない」

 大きな声を出してしまっていた。

 まわりが少し、びっくりしてこちらを見た。

 急激に恥の感覚。

 冷や水を浴びたように平常心が戻ってくる。

「……ほら、クワバラさんに集中」

 先輩のほうが、大人だった。

 もう、その話を続ける気はないようだった。

「……ごめんなさい」

 なぜだか悔しくて、彼女は窓の外を眺めた。

 雨が降り続いている。

 あと一歩で、そこから何かが掴めそうな気がしていた。



「き、様ぁっ……よくも、よくもこの俺を」

「なにが、だ……この戦いは、望んだものじゃなかったのか」

「この俺をコケにして、くれたなぁっ、おのれ、おのれ……」

 腕はもう生えてこなかった。彼の周囲で暴れ狂うおぞましい肉塊たち。まとわりつく過去の亡霊。一緒になって叫んでいる。随分と老いたものだ。

 哀れに思った。しかし、だからこそ、容赦はできない。

「なんだその戦い方は……ヒーローなんかじゃあ、ないぞ……まるで俺だ、俺のようなざまだ。そんなものを認めない。見栄を切れ、技名を叫べ……そうでなくては、貴様は……っ」

「……」

 踏み込む。懐に、拳を突き込んだ。顔は見ない――つらくなる。

「がは……っ」

 奴は倒れ、げえげえと嘔吐する。見下ろす。

 そのまま何度も打擲する。

「貴様はヒーロー、の、はずだ。貴様の姿を見れば、娘が悲しむ……それは、望まんはずだ……貴様と俺は……奴に、希望を託したハズ……この煉獄に生まれ落ちた、俺たちの最期の、希望を…………」

 取り合わない。

 蹴りつけると奴は泥まみれになりながら転がって、壁沿いのポリバケツに頭から突っ込んだ。

 立ち上がる。また、よろけながら、こちらに向かってくる。

「クソだめのなかで生まれた……だが、奴は違う、奴だけは……俺は、奴を――救わねば、ならんのだッ!!」

 両腕が変化。触手の濁流が向かってきた。

 身を沈めて回避――後方に直撃。壁が砕けて、瓦礫が舞い散る。土煙が雨に消えるころ、再び奴の眼前に立つ。

「違う。お前は、大きな勘違いをしている」

「何っ……――」

「お前が一番救いたいのは彼女じゃない、お前自身だ」

「っ、黙れぇっ!!」

 再び同じ攻撃が向かってきた。

 ――数秒後、再度激突。

 進撃する力と、押しとどめる力。両腕同士が拮抗し、肉と骨のきしむ音。

 力場が発生し、地面がたわむ。

 悪魔の澱が怪人の肩から漏れ出て、全身を覆うオーラを形成し、更に地面を揺るがせる。

「どうだぁ、俺はまだやれる。意志の力、それがすべてだっ!!」

「いい……加減に……目を、覚ませっ!!」

 ヒーローの腕から、悪魔の力が噴出し、はじけた。

 

 怪人が衝撃に負けて倒れた頃には、その力の噴出は、同質の力の奔流となって路地裏を超えようとしていた。絡み合う亡者たちのいくつもの腕。

 英雄の力が、瓦礫を巻き上げながら、死んだ街を乗り越えて進む。

 ほぼ地震と言ってもよかったそれが、視界を曖昧にする。何かを叫んで手を伸ばそうとしたが、止まらない。その赤い影が、見えなくなる――。



 式典に参加した人々は、足元の震動に気付いた。何かが近づいてくる。

 少なくない割合の者は、過去の経験から恐怖する。その感覚を知っていた。

 徐々にそれが伝播し、ざわつきになっていった。

「ねぇ、感じない……」

「近づいてる……」

「いやだ、ねぇ、この感じ、怪――」

 そこで、出席者のひとりが、ヒステリックな叫びを起こした。

 すぐに取り押さえられたが、もはや隠し切れない恐怖になって広がった。

 席を立ち、統率を失いながらほうぼうに散っていこうとする。

 壇上でスピーチをしていた市長は、側近に耳打ちされる。

 ――今、戦いが起きています。その余波が、こちらに。

 動揺。なんとかしなければ。策を練った彼は、自身のキャリアにも人びとの今後にも影響しない鶴の一声を思いつき、壇上より叫んだ。実際それは極めて効果的だった。

「『旧市街』ですっ! 皆さん、あの場所をいま、解体しています! そして毒素を取り去り、開拓します! 発表が遅れて申し訳ありません! 混乱を避けるためでした!」

 困惑ののち、互いに顔を見合わせて、沈静化するまで、市長は生きた心地がしなかった。

 だが、数分ののち、安堵の声がそこかしこから上がったことで、ようやく式典を再開できる時がきた。

「……良かったのですか」

「良いに決まっている。忘れられることは、忘れたほうが……いいのだ」

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