第9話 相棒

 監視カメラは、黒装束の彼が警備兵たちを次々と薙ぎ倒していく姿をとらえていた。

 銃撃をかわし、武装を解除させ、昏倒させる。流れるような、演武のような動き。そのさまは、まるであの頃と変わっていない。

 強いて言うならば、すこし動きが遅くなっているのと、こちらに近づいてくるにつれて、肩で息をしているように見えることか。

 ――かつてのサイドキックであった彼は、自身の得物である拳銃を動作確認し、彼女の拘禁されている扉の前に立った。

 ――こんなもので勝てるとは思えない。しかし、覚悟を問うことはできる。

 それに、あの時彼を放置した時点で、自分は詰めが甘かった。とどめを刺さなかったということで、既に自分の首が飛ばされるのは、確定しているようなものだ。

 そのうえで、多くを知りすぎている自分はきっと、消される。

「はは……勘弁してくださいよ、先輩。あんたから離れたの、自分でも賢いと思ってたのに。これじゃ、俺がバカみたいじゃないすか」

 銃撃と、轟音と――悲鳴。だんだん近づいてくる。据え付けられた時計。カチ、カチ、カチ。

 一定のリズムを刻むそれらに合わせるように、過去を反芻し、気持ちを落ち着かせる。

『俺、分からないんです。世界にはこんなにもクソ野郎どもがいるのに、なんで守らなきゃいけないんだろうって』

『先輩は、どうやって折り合いをつけているんですか。そんな理不尽な現実に』

 あの人は――優しく笑って言ったのだ。

 ――『未来を見ろ。そこに答えはある』と。

「だけど……いまの、あんたのやってる行動に、未来は……」

 足音。

 止まる。

 顔を上げる――構える。銃口を向ける。

 そこにやってきた、黒装束の男に。


 傷だらけだった。どれだけ重装備で固めようと、所詮は怪人ではない。かつてのハイテク装備も数えるほどしか残っていない。

 前線から離れた男の身体に、容赦なく特殊弾頭による銃撃が浴びせられた。それは彼の内側の肉体をひどく痛めつけ、いまこの場に立っている男の姿を、ひどく痛々しいものにしていた。いたるところから出血し、青あざが出来て、足元がふらついている。

 それでも彼は――気高くうつった。その双眸のかがやきは、欠片も澱んでいない。

 ――ああ。それだ。

 ――その瞳に、俺は焼かれてしまったんだ。

 一瞬、決意が鈍った。しかし、彼の後方に倒れている、無数の部下たち――皆、息をしている――を見て、決意を新たにする。

「ここを通る前に。あんたに、言わなきゃならないことがある」

「……」

「これは、誰かの身勝手なエゴで始められたことなんかじゃあない。明確な『正義』のために行われていることだ」

 正義。その二文字に、彼が弱いのは知っている。だから聞いてくれている。

 彼に気持ちが傾きそうになるのをぐっとこらえて、職業人として、続ける。

「ニュースでも外でも、さんざん見たでしょう。俺たちが守ろうとしている人々は、いま、かつて怪人だった『だけの』女性を、いけにえとして差し出せと要求している」

「『だけ』じゃない。あいつは本当に怪人だった」

「……誇張しましたね、すんません。とにかく、それを彼らにやらせるわけにはいかないんです。そうなれば天秤が崩れちまう。分かりますよね」

「ああ。『正義』は暴走し、私刑が成り立つようになる。そうなれば、行き着く先はディストピアだ」

「そんなの……見たくないんですよ。だから、先に彼女を確保して、首謀者をおびき出す。そういう作戦です。簡単でしょう」

「ああ。それに実に分かりやすい。お前らしい。あの時、俺の弟子になると息巻いてたのを無理やりやめさせればよかったと、いま思っちまうくらいに」

「よしてくださいよ。とにかくそういうわけです。あんたにも分かるでしょう。これは、きっとあんたの危惧と一致する……人々が自分たちで手に入れたと『思っている』平和なこの世界に、正義だの裁きだの、そんなもん、持ち込ませたくないんです。だから」

「――だから。彼女をいけにえにするのか。そして、父親と対峙させる」

「……あんた。話聞いてましたか。これは彼女のためであって……」

「結局それで、世界は救われても――彼女は救われない」

 苛立つ。

 声を荒げてしまう。

「っ……だから、そうならないようにやろうって言ってんすよ! バカなんすかあんたは! それであんたがあんたの独善で行動すりゃ、それであんたのやってることも、結局『私刑』になっちまうでしょうが! だからおとなしく――」

 そこで、声が止まる。

 対峙する相手は、口から血の塊を吐き出したのだ。

 思わず駆け寄りたくなるが、そうもいかず、たたらをふむ。

「同情など、するな。絶対に」

 彼は近づいてきた。

 怯えるのがこちら側になる。完全に逆転する。狙いが定まらない。

 そうしているあいだに彼は目の前に来て、銃身を握り、自らの額に押し当てた。

「やれよ。ここに穴をあければ血が流れて、しばらく脱力したあと、ゆっくりと最期の呼吸が訪れて、そのあとからだがこわばって死ぬんだ。いつも見ていることだろう。今更怖気づくのか。そんなことで――みんなを守るという、お前の『正義』が、成就すると思ってるのか!」

 回想が流れ込んでくる。

 憧れて共に戦うようになった。迷うようになった。正義とは何か分からなくなった。

 疲弊した――思考を停止した。最初は落としどころだと思った。でも違った。今になって分かる。

 妥協だ。確実な安全をとった。直接的に『敵』を倒すことだけは、100パーセント誰かを守れることだと思った。

 現実はどうだ、もう『悪』であることをやめた少女さえ守れやしない。それを、『正義』は、きっと許しは――。

「っ、畜生、畜生ーーーーッ!!」

「撃て、臆病者めっ!!」

 

 ――かくして、銃声はとどろいた。

 足元に転がる得物。

 崩れ落ちる元相棒に、元ヒーローは背を向ける。

「……車両は。用意しています。『高飛び』の設定も完了。あとはオートです」

「準備がいいな」

「……そういう性分ですから。知ってたでしょ、先輩」

 彼は遠ざかる。守っていた扉に手をかけるのがわかる。

 拳銃に手を伸ばしかけたところに、声。

「――死ぬなよ」

 ああ。

 自分はまた、置いていかれた。

 ……数分後、市内に残った部下から通信があって、既にどこからか情報が漏れたとの報告が入った。

 『彼女』を差し出せというデモが起きつつあるらしい。

「怪人の被害よりも、そっちか……ははは」

 だけど、それでいいと思った。

 敵を倒すためにヒーローになったんじゃない。

 人々を守るためにヒーローになったのだから。

 立ち上がる。指示を出す。もう涙は流れていない。先輩を通した懲罰は、あとでたっぷり受けるとしよう。

 いまは彼らを、再び『眠らせる』ことだ。

 それが、また同じ道を歩むための、ただ一つの方法だから。

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