第8話 兵、走る
真っ白な個室で、彼女は疲弊しきっていた。
その色は逃げ場がない。世界が灰色なんて嘘っぱちだと、ここ数時間でいやというほど再認識させられていた。
連行されたあと、彼女に行われたのは、協力要請という名の拷問だった。
彼らの話術は実に巧みで、確実に彼女の反抗心を削っていった。
その過程で――いくつもの記録を見せつけられた。
それはかつて自分たち『怪人』が、どれだけ多くの人々を傷つけてきたのかということ。
泣き叫び怒り狂い、八つ裂きにされ、血を噴き出し、臓物を曝け出して死んでいく人々の、そのもののすがた。
滑稽なことに、テープを持ってきた若い男が、自分より先に嘔吐したりしていた。それらの映像と、自分の行動履歴が、交互に、高速に明滅するように頭の中に流し込まれた。
発狂しそうになる直前に止まって、温かい食事とおいしい飲み物が用意され、その後、また再開される。
疲れたかい、休憩にしよう。はじめ抱いていた怒りは懇願となり、いつしかそれらのことばが救いになっていて、その頃にはすでに、彼らに洗脳されていたといってもよかった。
――ちがう、あれは自分の意思でやったことじゃない。自分は操られていた。
――そう、君はあやつられていた。だけど、その『操られていた』ことは、一体どこまで自覚していたのか。どこかの段階で、逆らうことだって出来たんじゃないのか。君はそこで、怠慢を働いたということになるんじゃないのか。それは果たして、ほんとうに君が灰色の領域にとどまることを意味するのかな。
問答を繰り返されていくうちに、分からなくなっていって。
父の居場所を問われ、わからないと答え、そのあと、また映像を流し込まれ。
身体に痕の残る拷問以外のあらゆることをされた。
ただ、わからない、わからない、ほんとうにわからない、と繰り返していくうちに、相手にも変化があった。
仮面が剥がれて、いらだちを見せるようになった。
――君ねぇ。そうやって被害者ぶってても、何にも解決しないんだよ。そういうポーズを取られたら、こっちはどんどん不利になっちゃうんだから。
――困るんだよなぁ。確かに君のことは同情するに足るけどもね、君らが騒げば、他の人たちにも被害が及ぶわけ。そうすりゃあ、君らが加害者になるわけよ。
――本当に、勘弁してくれよ……また、戻るのは嫌なんだよ、昔みたいに。
それで。ボロが出た、と思った。
おかしくなって、笑ってしまった。
「っ、はは、あはははは……」
「……何がおかしいんだ」
「だって。だって、いま、あんたたちが自分で言ったようなもんじゃない。結局、いまの街の在り方は、あんたたちの言う『騒ぎ立てる奴ら』黙らせて、無理やり作ったようなもんだって。要するに……相変わらずあんたらにとって、世の中には利用できるクズと、従わなきゃいけないクズしか居ないってこと……ああ、なんて素晴らしい英雄物語なのかしら……!!」
「この、ガキっ…………」
――その時。
部屋にもう一人。詰めていた者たちよりも一段と若いが、彼らより上の立場に居ることが一目でわかった。
自分に暴力をふるおうとしているのを、一瞥だけで止めたからだ。
その男は、彼ら部下に言った。
「お前らはなんだ。強姦魔か。いいんだぞ、そういう風にしても。こっちの点数増えるだけだからな」
「いや、自分らは、そんなつもりじゃあ……」
「まぁどうでもいい。不快だから今すぐ口を閉じろ。それよりもだ、もうすぐ――」
そして。
――けたたましく、警報が鳴り響き始める。
「先輩がやってくる」
――彼だ。
すぐに分かった。
暗闇に沈みそうになっていた意識が、急激に醒めていく。
間違いない。戦いを繰り広げた過去が、それを感知させたのか。分からない。
ともかく、半開きになったドアの向こう側で、多くの者たちが廊下を駆けまわっているのが分かった。
――おいおい嘘だろ。
――殴り込みだ、死ぬ気だぞ。
――死ぬのはどっちだよ、くそったれ。
「なんてこった……」
「すぐ行け、今すぐ対処だ。分かったな」
「は、はいっ……!!」
部下たちは去っていった。
部屋には彼女と、彼のことを『先輩』と呼んだその男だけが残される。
「……俺はもうすぐお役御免になる。その前に、教えちゃくれまいか」
「……」
言葉に敵意はない。
彼は後ろに回り込んで、不自由な拘束をといてくれた。
「なんだって先輩は。もう一回『正義と悪』をやることにしたんだろうな?」
陳腐な問いだ。だからこそ、聞いたのかもしれないが。答えは決まっていた。
「きょう、それを、完全に終わらせるためよ」
◇
『貴様のやっていることは徒労に終わる』
かつての、宿敵のことば。
『どれだけ貴様が奴らを守ろうと、奴らがそれに報いることはない』
『奴らの誰も、貴様の啓蒙を覚えちゃいない……自分たちの功績だと思い込む。それでも戦うのか』
かつては、迷っていた。答えられなかった。
しかし、いまならはっきり言える。
――ああ、そうだよ。おれは戦い続ける。どんなかたちであっても。
30分前。
かつての装束に袖を通し、その上から、防弾ジャケットを着こんだ。
20分前。
秘匿されていたガレージに向かい、ほこりをかぶっていたバイクの覆いをとった。凶暴な鉄馬。自分たち以外、誰も乗りこなせない。
そして――出撃。
エンジンの唸りを足元に感じながら、時速100キロをマークするマシンを疾駆させる。
車両の狭間をすり抜けて、困惑も怒号もアラートも、すべてを振り切っていく。
コートのたなびき、ヘルメットに受ける風。すべてが懐かしかった。身体を覆っていた錆はすべて振り落とされて、いま彼は愛機と一つになっていた。
どこからかサイレンの音が聞こえてきて、それはどんどん近づいてきた。警告。
なるほど――いまのおれは、公共の敵なのか。
おれは、正義の味方だ。だけど、正義がおれを味方してくれるとは限らない。
ヘルメットのなかで笑ってみせる。いいさ、そんなの求めちゃいない。どこだっておんなじことだ。
だから彼は、ギアを加速させた。
振り切る、振り切る。
そして見えた。厳重な警備。荘重なゲート。厳めしい灰色の構造物。
そこに彼女が居る。待ってろ、いま、助けに行く。
構え。再び警告のメッセージ。銃口がずらりと並んで威圧。
――おそれるな。
「……とべっ!!」
10分前。
彼は、ゲートを飛び越えた。
着地の瞬間、火花。横倒しになったマシンで、警備の者たち数人をまとめて吹き飛ばしながら、真正面から乗り込んだ。
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