第4話 テミス
翌日。
出勤の前に、彼女をセダンに乗せた。
行先は、街はずれにあるシェルター。『現役』時代にいくつも確保していたうちのひとつ。
「……前に居場所を知っていたら、襲っていたかもしれないのにね」
助手席から、そんな面白くもない冗談。彼は無視する。
景色が流れていく。市街地。人々の暮らし。一方が守り、一方が壊そうとしたばしょ。
電気駆動のスムーズな音を聞きながら、ハンドルに備わった通話機能をオン。
『後輩』を、呼び出す。
コール音が二分流れた後、ようやく相手が出た。
『先輩、先輩っすよね。俺、いまビビってるんですけど。何年ぶりっすか。どうしちゃったんすか』
街の重役とは思えないほどのフランクな口調。息が荒いことを考えると、あわててひとりになったのだろう。そのあたりのそそっかしさは変わっていない。
だが、旧交をあたためている余裕はない。手短に、聞きたいことを告げる。
彼はしばし考え込んで、それからようやく答える。
『……駄目っす。ドローン総動員してますけど、昼間っから酒飲んでるバカと、下半身放り出してるバカが数件ずつ。それ以外はなんとも』
そうか、と落胆する。
これまで捕まらなかったのだから、無理もないと慰める。
――それに、今の今までなんの行動も起こしてこなかったのは、魔力を蓄えるのにそれだけの時間がかかった、という可能性もあるのだ。
『それ以外ってなってくるとね……ううむ』
言葉が、歯切れ悪くなる。かわりに継いでやる。
「……保存地区、か」
『うううーむ……』
車は高速道路に移っており、車窓からの景観にも変化があらわれている。
市街地の奥、人工の『壁』の向こうに押し込められたその場所。
旧市街。行政の手続き上はそう呼ばれる、灰色の廃墟の群れ。
実態は、かつての戦いのなかで破壊され、汚染されたノーマンズランド。平和を獲得し、優しさと勇気を得た街の人々にとっては直視したくない負の遺産。
ドローンはそこには飛ばせない。そこになにかがある、と察知されれば、人びとが不安になるからだ。
奴がそこにいる可能性。考えたくもないが、あり得る話だ。
『大規模な動員をすれば捜索可能なんですが、手続きがどうも煩雑で。それに、多くのセクションがかかわってくるから、俺の鶴の一声、ってわけにもいかんのですよ』
「お前ほどの立場でもか」
『ボトムアップですから』
「なるほどな」
『……せめて。せめて、奴が、向こうから仕掛けてくれれば、大義名分が……』
助手席で、彼女の表情がこわばった。
見えてもいないのに、通話相手は何かを察したのか、慌てて言った。
『なんてのは、まぁ無理っすね。すんません、今は手をこまねいてます。先輩も……変なこと、考えないでくださいよ。時代は変わったんすから』
かつてのサイドキックのおせっかい、ではない。
その口調からは、呆れのようなものが滲んでいた。
――見抜かれている。こちらの考えを。
そして、ほんの少し、軽蔑されている。
「……わかってるさ」
通話を切る。
「冷たい人ね」
傍らで。
「正しいのは、向こうだ。やつのほうが、立派に社会と向き合って仕事をしている」
「そんなこと、ないわ……あなただって……」
それ以上続かなかった。
しばらく走っていると、『保存地区』も見えなくなり、高架を降りて、田園地帯に分け入った。
清潔なコンクリートの建物が見えてきて、ガレージがひらく。車はそこに吸い込まれる。
無人の居住空間。しかし、丸一年隠れ住むことだって可能だ。多少の孤独感は、覚悟してもらわなければならない。
「大学には、こちらから連絡済みだ」
「どうやって」
「……聞いてくれるな」
何か言いたげな顔も、もう見なかった。
そのまま翻って、車に戻ろうとした。
「ねぇ」
声。
「ほんとうに、これでいいと思ってるの、あなたは。これで満足なの」
「――大きすぎる力が動くと、世界は揺れ動いてしまう」
なおも言葉がかけられそうだったが、もう聞かなかった。
乗り込んで、逃げるようにシェルターを出た。
もう二度と会うことはないかもしれない。それでもかまわない。
かまわないが――自分の胸がざわついているのは、否定できない。
勤務地に向けて車を走らせながら、そのとげを、少しずつ消化していって。
そのあとには、すっかり、あの植物園のなかでの、穏やかな気持ちを取り戻していた。
自分は、何も間違ってはいない。
◇
異形の足元の闇に、怪人たちが集結していた。
ボコボコという発音。彼だけがその声を、悲嘆を――街が覆い隠す、人びとの欲望を聞くことが出来る。
興味深い報告がいくつもあり、異形は彼らをねぎらった。
そしてとうとう、辿り着く。愛おしき怨敵について。
奴は今、人生の第二の充足の時を迎えている。自分の存在意義が、そのまま自分の行動にあらわれていると信じている。
彼は笑顔で、かがやいていた――そんなビジョンが見えた。
……叫び、怪人を殴りつけた。
波濤のごとき音と共に、肉体がはじけ飛び、どろどろの澱にもどる。
「ふざけるな、我らのすべてを否定するつもりか……」
怯える怪人たちを制し、枯れ枝の腕が、再び導く。街へ。いつわりの光があふれる、あの場所へ。
「無菌室の連中め……ああ、では、風邪をひかせてやろう。たちまち、死んでしまうぞ。アハ、アハハハハ…………!」
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