第9話『夫婦の会話』



 ――その日、ビストロが就寝した頃。


「――ビストロの様子はどうだ?」


「いつも通りよ。クイックの魔術を保持したまま寝ているわ。本当に呆れた子ね。クイックの魔術に関しては間違いなく世界一と言っていいわ」


 ビストロの両親であるヴェザールとリーズロット。


 二人は同じテーブルに着き、高級酒の入ったグラスを片手に我が子の事について語り合っていた。


「剣士としても及第点には達しているであろう。我もビストロとの立ち合い中、幾度か冷や汗をかかせられている」


 ビストロの剣術修行として行っている模擬試合。

 その勝負は毎日のように行われていて、未だにビストロはヴェザールに一度も勝てていない。


 それでも、自分に冷や汗をかかせたビストロは剣士としてまあまあ認められる程度だろうとヴェザールは語る。


 リーズロットはそんなヴェザールをジト目で見つめた。


「――なんだ?」


「なんだって……あなたねぇ。この世であなたに冷や汗をかかせられる剣士がどれだけ居ると思っているのよ? ねぇ? ヴェスタリカ王国の黒き魔王さん?」


「言うほど優れていたわけではない。しかし……懐かしい呼び名だな。破滅の魔女」


「ふふっ」


 かつてヴェスタリカ王国に仕えており、戦争時には誰よりも多くの帝国兵を斬った騎士ヴェザール。

 かつてティルル帝国を裏から操り、自身も戦場で多くの王国騎士を虐殺してきた魔術師リーズロット。


 二人は元々、敵同士だった。

 互いに殺しあった回数など数えきれないほど。

 しかし、互いに殺しあう事で育まれる愛も存在する。


 二人はまさにそれだった。



「お前と出会い、我は変わった。まさか我が妻を持ち、子まで持つとはな。未だに信じられん」


「それはこちらのセリフよ。異形の存在である私を受け入れてくれるような人間が居るとは夢にも思わなかったわ。そして、そんな私がきちんと子を産めただなんて。ホント、奇跡のようね」


 自身に降ってわいた幸福な日々。

 それをまるで奇跡であるかのようにリーズロットは語る。

 そんなリーズロットにヴェザールが厳しい目を向けた。



「――何度も言わせるなリーズロット。お前は人間だ。少し生まれが特殊なだけの……な」


「……そう。そうだったわね」


 重苦しい空気が二人の間に漂う。

 それを振り払うようにリーズロットが話題を変えた。


「それよりビストロの事よ。ねぇヴェザール。私はあの子がこのままでいる事を良い事だとは思わないわ」


「どういう事だ?」


「そのままの意味よ。あの子はまだ若いし、未来がある。こんな閉じた世界の中で一生暮らしていくなんて。そんなのは間違っているわ」


「ふむ……ビストロはこの環境でも特に不満はなさそうだが?」


「それは外の世界を知らないからでしょう? あの子は私のもとでクイックの魔術を磨き続けて、そしてあなたから剣術を教わって。その事に不満はないのでしょう。けど、それではダメなのよ」


「なにがダメなのだ? 我からその剣才を認められ、そして光速とやらにいつか到達する。ビストロは既にそんな夢を抱いている。なれば、この環境はビストロにとってそう悪い環境ではなかろう?」



 ビストロの夢。

 それは光速へと至る事。


 ついでに、ヴェザールから一人前になったと認められることだ。

 その事を親であるヴェザールとリーズロットは当然把握していた。


 その夢を実現させるにはこの環境以上の場はそうそうない。

 そう語るヴェザールに、リーズロットは静かに頷く。



「ええ、そうね。確かにその通りよヴェザール。私の下で魔術を教わり続けるこの環境。あの子の夢を叶えるのにこれより優れた環境なんてそうそうないでしょうね」


「ならば」


「でもね――――――それじゃダメなのよ」



 今のこの環境こそがビストロの夢を叶える手助けとなる。

 それを認めた上で、リーズロットは首を横に振った。



「本来、人というのは他者と触れ合うべきものよ。もちろん、あの子には私やあなたが居る。けれど、私やあなたではあの子の親にはなれても、対等な友人、もしくはそれ以上の関係になんてなれないでしょう?」


「対等な友人かそれ以上の関係……か。ふむ」


「もちろん、他者と触れ合って傷つくこともあるでしょう。けれど、他者と触れ合って良い気づきを得る事もあるわ。だからこそ私は――」


「――もうい」


 

 リーズロットの言葉を遮るヴェザール。



「リーズロットよ。お前の言う通りかもしれぬ」


「ヴェザール……」


「確かに我も友人を得て、そしてお前と出会う事で変わった。望みを持たなかった我が望みを得た。それは生きる上では不要の変化であったが、我にとって良き変化だったように思える。その機会をビストロにも与えるべきであると。そう言いたいのであろう?」


「ええ、そうよ。もっとも、それだけではないのだけれど」


「む? 他に理由があるのか?」



 軽く首をかしげるヴェザール。

 そんなヴェザールを見てリーズロット軽くため息をついた。



「これを自分で言うのもおかしな話だけれど、私もあなたも相当な変わり者でしょう?」


「ふむ……。そうだろうか?」


「そうなのよ。そして当然、そんな私たちに育てられたビストロもとびっきりの変わり者に育ってしまったわ。もっとも、この地……『災害指定魔獣の森』で育てばそうなるのも当然かもしれないけれど」


 唐突に話を変えるが、この世界の魔獣はF級からA級までとランク付けされている。

 しかし、その枠を大きく超えた強力な魔獣も存在する。


 その魔獣こそが『災害指定魔獣』と呼ばれているものである。

 


 リーズロットやヴェザールが住む、この森に囲まれた家。

 彼らが住む家の周囲にある森はこの世界において『災害指定魔獣の森』と呼ばれる超が付くほどの危険地域だった。


 『災害指定魔獣の森』とはその名の通り災害指定魔獣が数多く生息している森のこと。

 常人が踏み入れば最後。生存確率は1%未満といういわゆる地獄である。


 森を散歩していれば当たり前のように災害指定魔獣と出会うというこの環境。

 ビストロが変わり者に育つのも無理はない。

 そうリーズロットは評する。


「それと、周りに居る知的生命体が私たちだけだからでしょうね。あの子は自分がどれだけ規格外の存在に育ってしまったか、気づいてもいない。それどころか自分の事を弱いとすら思っている始末よ」


 そう言って再びため息を吐くリーズロット。

 彼女の言う通りだった。


 ビストロはヴェザールとの模擬試合で未だに一度も勝ったことがなく。

 さらに、時々リーズロットにも模擬試合の相手をしてもらっているのだが、これも全て敗北している。


 そんな敗北してばかりのビストロの自己評価は低かったのである。


 人間とは他者と自分とを比較する事で初めて自分を評価できる。

 しかし、ビストロの周囲に居る他人とはリーズロットとヴェザールのみ。

 ゆえに、生まれてから今まで適正な自己評価が出来なかったのだ。


 そんな事をリーズロットはヴェザールへと語るが。


「ビストロが規格外……だと? 一体なんの話だ? そもそも、ビストロはまだ子供だ。剣士として及第点には達していると私は言ったが、当然未だに未熟な面もある。奴が弱いというのはその通りであろうよ」


 ビストロの何が規格外なのか。

 それについての心当たりがまるでないのか、ヴェザールはさらに首をかしげる。

 そんなヴェザールを見て、リーズロットは本日三度目のため息をついた。


「そう……ね。あなたはそういう人だったわ」


「どういう意味だ?」


「いえ、別に。ただ、これに関しては話しても無駄だから話さない事にするわ」


 自分には特別厳しく、他人に対しては無関心か厳しいかの2択のみ。

 それがヴェザールという男だったとリーズロットは思い出す。


 彼にしてみれば災害指定魔獣も普通の魔獣も大差なく。

 そんな自分の事を特別に優れた人間だとも思っていないものだから余計にタチが悪い。


 そんなヴェザールにビストロが自身を過小評価してるだとか。ビストロが変わり者だとか。そんな話をしても理解してもらえるわけがなかったのだ。


 ゆえに、リーズロットはその事についてヴェザールの理解を得ることを放棄した。


「とにかく、私はあの子に外の世界を知って欲しいのよ。そうすれば新たな気づきを得れるかもしれないし、自分について見つめなおす良い機会にもなる。そう思っているの」


「ふむ。我にはまだ理解できぬ事も多い。だが、新たな気づき。学ぶ機会をビストロに与えるべきだと。そうお前は言うのだな?」


「ええ、そうよ」


「ふむ……学ぶ機会か……」




 そう呟きながらヴェザールは目を閉じる。

 彼が深く何かを考える時の仕草だ。

 それを知っているリーズロットは静かに目を閉じるヴェザールをただ見つめる。



 そうして数分の時が経ち。

 ヴェザールはその目を開けた。



「――――――我の友人が騎士養成学校に勤めている……らしい」


「騎士養成学校?」


「ヴェスタリカ騎士養成学校。その学校では国を守る騎士を育てるべく子供たちに教育を施しているのだそうだ」


「ここでその名前を出してきたという事は……そこにビストロを通わせたいという事でいいのかしら?」


「うむ。奴なら信用できるし、この件にも協力してくれるであろう。そのように我が一筆したためておこう」


「…………………………あなたが?」


「不服か?」


「不服かと言われれば……そうね。あなたの言葉足らずの手紙でその友人とやらにきちんと伝わるのか。その点だけがとても心配だわ」


「心配は無用だ。言葉足らずの手紙だったとしても奴ならば我の意図をくみ取ってくれよう」


 自分の友人なら言葉足らずの手紙でも意図をくみ取ってくれるはず。

 そう信じきっているヴェザール。


 信じる。信頼している。

 そう言えば確かに聞こえはいいだろう。


 しかし、逆に言えばそれはつまり。

 ヴェザール自身が最初から、相手に自分側の意図を伝える努力を放棄しているという事でもあった。


 その事をとがめるべきかとリーズロットはほんの少しだけ考え。


「………………まぁ、ビストロを学校に通わせようという意見には賛成よ。あの子ももう十六歳になるのだしね」


 どう転んでもビストロなら外の世界でもうまくやれるだろう。

 あれを害せる存在なんて外の世界に数えるほどしか居ないでしょうし。


 そうリーズロットは判断し、もう面倒なのでヴェザールとその友人とやらを信じる事にしたのだった――

 

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