第21話 告白
「そろそろ飯でも食いに行くか?」
思った以上に話し込んでしまった。
太陽は完全に沈み、今は月明かりがうっすらと宿の部屋やアコラの横顔を照らしていた。
明かりの類はつけていない。俺もアコラも人並み以上に夜目が効く。仮に月のない真っ暗闇の夜だったとしても、お互いの表情を鮮明に目にすることができるだろう。
「どうかしたのか?」
アコラは椅子に座ったまま、視線をテーブルへと落としていた。立ち上がる様子はない。いつもだったら、一緒に飯を食いに行こうと声をかければ、二つ返事で『行く!』と返してくるのに、今はそんな素振りを欠片も見せない。お茶菓子を食べすぎて腹がいっぱいなのか?
「あのね。私、ついこの間まで……」
「うん」
「世界を滅ぼそうとしてたんだ」
こいつはいきなり何を言い出すんだ。
「消えてなくなりたいって思ったんだ。カレンちゃんに拒絶されたことが、とっても寂しくて……」
「それでどうして世界を滅ぼそうとするんだ?」
因果関係が逆だろうと思った。
アコラが死ねば世界が滅びる。それは間違いない。しかし、死にたいと思ったから世界を滅ぼすというのは、どういうことだろうか。
「もう、分かってるよね。私、口では死にたい死にたい言ってるけど、そんな度胸、ほんのわずかしかないんだ」
わずかでも度胸があるだろうか。俺はその言葉をグッと飲み込んだ。
「痛いのはイヤ。暗闇に落ちて行くのが怖いの。自分で自分の命を終わらせるなんて、きっとできない」
「誰だって死ぬのは怖いだろ。俺だって、自殺なんてやりたくもない」
「だから、世界を滅ぼすの。生き物が世界からいなくなれば、コアはダンジョンポイントを得られない。待っているのは、穏やかな消滅だから」
盲点だった。
アコラが自分自身を傷つけることを怖がっていることは理解していた。だからこそ、滅多なことがなければそれを実行に移すことはないと、余裕を持って旅を続けることができた。
しかし自分を傷つける以外の方法で自殺できるとしたらどうだ。
力のない生き物を羽虫のように思っているアコラのことだ。きっと、目的のために躊躇なくそれを実行するだろう。
「何故やらなかった?」
死が目前まで迫っていたことを自覚した俺の声はわずかに震えていた。
「ユウタくんがいたから」
「俺?」
「そう。あなたと過ごす時間が、真っ暗な私を照らしてくれるの」
「ダンジョンから連れ出したことを言ってるのか? あれは別に俺じゃなくても良かっただろう。出たいのなら、いつでも自分の意志で地上に来れたはずだ」
「うふふ、気付いてる? その意志を与えてくれたこと自体が、とっても特別なんだよ」
「過大評価だ。俺は大した人間じゃない。ダンジョンの浅層で死んでしまうよな、どこにでもいる冒険者だ。冒険者としての才能で言えば、この間あったソーヤの方がよっぽど上だろうよ」
俺は早口になって自分を否定する言葉を並び立てた。アコラからの熱のこもった視線にうすら寒いものを感じたからだ。
「どうでもいいでしょう? 過程なんて些細なもの。大切なのは、今ユウタくんが最高の冒険者として存在していること。違うかしら?」
「えらく俺を持ち上げるんだな。とりあえず、話しの続きは飯を食いながらにしないか?」
俺は自然に話題を逸らそうとした。
「待って。……大切な話があるの」
「どんな話だ?」
「私と結婚して」
思わぬ言葉に呼吸が止まる。こいつは一体、何を考えているのだろうか。
「冗談だろ?」
プロポーズへの返しとしては酷すぎる返答だ。しかし、俺はその言葉が何かの間違いであると思いたかった。聞かずにはいられなかった。
アコラの表情と声音から、それが本気の言葉であることを理解しながらも。
「冗談かだなんて、随分と酷いことを言うんだね。最低の男じゃないかしら?」
楽しそうに静かにほほ笑みながら、アコラは続けてこう言った。
「こんな最低な男、私以外に相手はいないでしょう。でもね、特別に一緒になってあげる。感謝してくれていいんだからね?」
「……何故いきなり結婚なんて言い出すんだ? 俺たちは別に、そういう関係ではないだろ」
「ユウタくんこそ不思議なことを聞くんだね。人間の男は、私みたいな絶世の美少女をどうにかしてものにしたいと思うものでしょ?」
「自分で言うのかよ」
「事実だからね」
「そうかもしれないが」
アコラほど人の気配に敏感な生き物はいない。その能力を持ってすれば、自分が男にどういう目で見られているか把握するのはごく簡単なことだろうよ。
「結婚は人や魔物などがやるものだ。お前は自分以外の生き物なんて、羽虫のようにしか思ってないだろ。それなのに、どうして急にそれを真似しようとする」
純粋な疑問が半分、抵抗の気持ちが半分の問いかけだった。
「いいことは積極的に取り入れるのが私のやり方なんだ。その成果が私のダンジョンだよ」
いいこと、ね。アコラにとっての結婚とは、相手を鎖につなぎ自分から離れないようにする手段の一つだろう。
大方、友人という関係で距離を置かれた反省を活かして、そうなりにくいように更に距離を詰めようというのがアコラの考えではないのか?
こいつの距離感のおかしさを考えれば十分にあり得ることだ。
「随分と考え方が柔軟なんだな」
「さあ、返事を聞かせてちょうだい?」
これはもう脅しだろ。
世界を滅ぼすつもりだったと言った後でこの話をする辺り、狙ってやっているとしか思えない。
俺はアコラと結婚なんてしたくない。今までアコラの願いにイエスマンを貫いてきた俺だが、これだけは拒否せざるを得ない。
アコラは、自分で言う通り絶世の美少女だ。告白されれば世の九割の男は喜んで受け入れることだろう。
しかし俺は残り一割の人間だ。アコラと付き合うだなんて、考えたこともない。
理由は簡単。破局した瞬間に世界が終わるかもしれない恋愛なんてまっぴらごめんだからだ。
先ほどのアコラの話をまとめれば、アコラは俺の存在を唯一の心の支えにしているらしい。心の支えになれたこと自体は素直に喜ぶべきだろう。アコラの心の平穏が、そのまま世界の平穏につながるのだから。
しかしそれが上手くいきすぎて、恋愛感情まで抱かれるのは非常に困る。それは俺にとって、想定外の出来事だった。
もしも俺がアコラへの対応を間違え、百年の恋も冷めるようなことになればどうなる? 友人や他人が相手なら許容できることも、恋人が相手となると途端に許せなくなることだってあるだろう。
お互いの距離が近くなれば、それだけ相手の内面を知ることになる。俺の内面を知ったアコラが、今と同じ熱量で俺に好意を持ってくれるとは限らない。
仲の良かったカップルが、同棲したとたんにお互いの嫌な部分が目に付くようになり、すぐに別れ話に発展するなんて珍しくもない。俺とアコラがそうなれば、その後に待っているのは拠り所を失ったアコラによる世界の破壊かもしれない。
もちろん、そうはならないかもしれない。だけど、そうなる可能性があるというのが問題だ。世界平和をチップに博打を打つ度胸は俺にはない。俺にとっては、付かず離れずの友人関係でなあなあに仲良くするのが理想だった。
「どうしたの? 黙り込んじゃって。もしかしてだけど……私のこと、受け入れてくれないのかな」
「……突然の話だったから驚いてしまってな。なんていうか、考えがまとまらなくて」
「私のこと、キライ?」
「そんなことはない」
「じゃあ、私のこと好き?」
「もちろん。だけど、その好きは友人としてのもので、恋人としてのものかは分からない。なにせ、恋愛なんて数百年したこともなくてな。どんな感情なのか忘れてしまったんだ」
「安心して。私が思い出させてあげる」
お前がしたいのは恋愛ではなく束縛だろう。そうは思ったが、当然それを口に出すことはしなかった。
「俺のことをそこまで想ってくれるのは嬉しいよ。ただし、結婚には大きな問題がある」
「……何かな?」
俺の否定的な言葉に、アコラの表情が一瞬で曇る。うまくこの状況をうやむやにできるだろうか。胸中に広がる不安をおくびにも出さず、俺は言葉を続けた。
「俺はな、結婚にはどうにも否定的な考えしか出てこないんだ。おっと、勘違いしないでくれよ? アコラとの関係がどうとかじゃなくて、結婚そのものに対する俺の気持ちだ」
頻繁に口をつけていたティーカップを、ゆっくりとテーブルに置いた。俺はアコラの目をまっすぐと見ながら、ぽつりぽつりと思い出話を語った。
「俺の両親はさ、近所でも評判になるほどの不仲な夫婦でな。夫婦喧嘩のうるささから、何度ご近所様から文句を言われたか数えきれないほどだ」
親戚のおじさんが言うには、そんな両親でも、昔は超が付くほど仲が良かったらしい。
父さんと母さんは、高校生のときに同じクラスだった。といっても、当時は友だちですらなく、会話もろくにしたことがなかったようだけど。
二人の関係に変化が訪れたのは、それから数年が経ち、お互いに大学を卒業したころだった。再会のきっかけは同窓会だ。酒の席でたまたま隣同士に座り、そこで意気投合したらしい。二人が交際を始めるまで、時間はかからなかった。それどころか、結婚までもあっという間だった。
『付き合い始めてから三か月後にはプロポーズが終わっていたと聞いたときには、家族一同仰天したものだ』とおじさんは語った。
両親の家族は、二人の結婚に反対だったらしい。もっとお互いを知る時間が必要ではないかと、両家の親は何度も俺の両親を説得したようだ。しかし、情熱がこれでもかと燃え上がっていた両親の耳にその言葉は届かなかった。おじさん曰く『馬の耳に念仏を聞かせた方がまだ理解しただろう』だそうだ。
かくして、一組の夫婦が誕生した。円満だった時期が半年しかない夫婦だ。
両親は、俺が物心ついたときから喧嘩ばかりしていた。喧嘩の主な理由は「金」だった。
父さんは極度の見栄っ張りだ。身の丈に合わない車や時計など、そういった自分を良く見せるためのアイテムを集めることに執着していた。父さんにとっては、美しい外見をしていた母さんもそういったアイテムの一つだったのだろう。
母さんには労働意欲が極端に欠けていた。専業主婦であるにも関わらず、家事は代行サービス任せだった。俺は、母さんの手料理を食べた記憶が一度もない。それどころか、半ば育児放棄されていた。母さんにとっての父さんは、協力して家庭を築く相手ではなく、一方的に自分を養ってくれる都合のいい存在でしかなかった。
交際をしている時にはお互いの短所に気づくことはなかった。父さんは母さんの外見ばかりに気をとられていたし、母さんは金払いがよくお金持ちに見える父さんを捕まえることだけに全力になっていた。
「少しは貯金がしたいから時計をコレクションするのをやめて」「貯金がしたいなら家事くらい自分でやれ」
母さんが金遣いの荒い父さんに文句を言い、それに対して父さんが言い返すというのがいつものパターンだった。
「結婚に対する俺の印象は、今も昔も最悪だ。さっきアコラはこう言ったよな。『男は美少女をものにしたいのが当たり前』だって。だったら、俺は何故今も独身なんだ? 自分で言うのもなんだが、俺には金もあるし力もある。その気になれば相手なんて選び放題だ。そうだろう?」
アコラは何も言わなかった。ただ黙って俺の表情をうかがうだけだった。しゃべり続けて渇いた口内をお茶で潤しながら、さらに続けて言葉を発した。
「別に男女が交際する事自体は否定しない。俺だって昔は彼女が欲しいと思ったこともある。だけど結婚だけは別だ。すまないけど――理解してほしい」
さて、俺の言い訳は上手くいっただろうか。正直に言えば、結婚に対する悪感情はこの数百年でかなり薄らいでいる。時間が解決してくれるとはよく言ったものだ。幼い心に刻み込まれた深いトラウマではあったが、価値観がまるで違う異世界で過ごす時間は、心の傷を忘れさせるには充分すぎる衝撃を俺に与えてくれた。
なお、それ以上の衝撃を俺に与えたのがアコラとかいう訳のわからない存在なのだが。
しばらく待ってみたが、アコラから言葉が返ってくることはなかった。嵐の前の静けさとでもいえばいいのだろうか。俺はこの時点で、何か嫌な予感が胸を満たしていくのを悟った。その感情から逃げるように、俺は再度口を開く。
「アコラは別に、俺に恋愛感情があるわけでもないんだろう?」
「……人間が感じるような本能による感情とは別のものだよ」
「だったら、結婚という枠組みに拘らなくてもいいんじゃないか。今のままの、友人としての関係で十分だと思わないか?」
俺は必死に心の距離を離そうとした。アコラの伴侶にはなりたくない、その一心で。
「言い方は少し悪いが、俺を逃がさないための手段として結婚を使いたいだけなんだろ?」
「……私、もう嫌なの。親しい人や、親しいと思っていた人が目の前からいなくなるのが」
「安心しろ。結婚なんかで縛らなくても、俺はいなくならない。死んでも生き返るんだから死に別れだってない。そうだろ? 俺はずっとお前の友人だ」
「そう、なのかな」
「そうだとも」
「ユウタくんはいなくならない?」
「ああ、俺はずっとここにいる」
「……私たち、親友だよね?」
「その通りだ」
お茶を飲む飲むふりをしながら、カップで表情を隠す。ここまで来て、表情で嘘を見破られるヘマはしたくない。
アコラが驚異的な洞察力を持っているとはいえ、俺の表情から思考の全てを読めるわけではない。当然、俺の嘘がばれないことだってある。しかし今回に関しては、念には念を入れる必要があった。絶対に嘘がバレてはいけない状況だからだ。
「さあ、そろそろ夜ご飯を食べに行こう。俺、昼間に体を動かしてたから腹が減ってるんだ」
お腹を手のひらでさすりながら、立ち上がって扉の方へと背を向ける。少しわざとらしかっただろうか。だがしかし、これ以上アコラとこの話の続きをして、ボロを出すわけにもいかない。話題が変わるまでは、なるべくアコラに表情を見られないようにするべきだ。
「……ねえ」
「なんだ?」
「もしもだよ。私が本気の本気で、ユウタくんにつき合ってほしいって言ったら。ユウタくんはなんて返事する?」
「お互いのことをもっと理解するために、今の友だちとしての関係を続けたいって言うだろうよ」
「前向きに考えてくれてるってこと……だよね?」
「ああ、そうだな。俺とお前の仲だろう? 俺はアコラのことを、かけがえのない親友だと思っているぞ」
アコラに背中を向けているからと、俺は今まで以上に二人の関係を肯定する発言をした。アコラとの会話をやり過ごせた達成感から、俺は調子に乗ってしまっていた。だから失敗してしまった。
「……!」
まるで仲のいい恋人がそうするように、背後から腕が回される。ほんのりと暖かいアコラの体温が背中へと伝わってくる。完全に不意打ちだった。気が付けば俺は、アコラに後ろから抱きしめられてしまっていた。
世の中の男のほとんどは、美少女に抱きしめられるこの状況に好意的な感情を抱くことだろう。
しかし俺は違う。違ってしまっていた。
自分の実力をはるかに凌駕する”魔物”が背後から抱きついてきたという事実に、体をこわばらせてしまったのだ。そして無意識のうちに、何百年もダンジョンをさまよったことで獲得した習慣により、戦うための殺気を放ってしまった。
状況を理解し、自然体になってアコラのハグを受け入れようとしたがもう遅かった。
抱きしめ返そうとした俺の手をするりとすり抜け、アコラは走り去って行ってしまった。
気のせいだろうか。一瞬だけ見えたアコラの頬には、涙が伝っていたように見えた。
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