第20話 ダンジョンとは

「……怒ってる?」


「いいや」


 俺が滞在している宿の部屋に入るなり、アコラが消え入るような声音で話しかけてきた。


「まあ、なんだ。まずは座ってくれ。お茶にしよう」


 精一杯のフランクな態度を心がけて、俺はアコラにそう提案した。

 アコラは何も言わずに備え付けの椅子に座る。年季の入った椅子は、細身のアコラが座っただけで激しくきしむ。安宿の家具なんてこんなものだ。


「ほらよ。一応お菓子もあるんだ。さっき散々食ってたみたいだから腹いっぱいか?」


「ううん。いただくね」


 水みたいに透明なお茶をすすりながら、貰い物のクッキーに手を付ける。どうやら、俺はこの街では英雄らしい。その辺を歩いているだけで、スイーツの差し入れを山ほど手渡される。このクッキーも、そんなプレゼントの一つだ。


「いきなりだが、自分語りをしてもいいか?」


「いきなりだね、本当に。どんな風の吹き回し?」


 アコラが怪訝な表情を浮かべるのも無理はない。俺は今まで、このように自分から話題を振ることなんて滅多になかった。


 常にアコラの顔をうかがいながら会話をしていた俺が、いきなりの自分語りだ。そりゃあ、不思議にも思うだろう。


「アコラはさ、異世界ってあると思うか?」


「異世界……。人間が思い描く空想のような世界だよね? 死後の世界とか、超常の存在が住んでる世界とか」


「そうだ」


「よくわかんない。見たことないもん」


「俺は見たことあるぞ」


「うそ。えっ、もしかして本当なの?」


 アコラは俺の言葉を否定した。しかし俺の表情を読み、俺が嘘を言っていないことを知ると目を見開き驚きの声を上げる。


「見たことないよ、もうずっとずっと長く生きてるのに。使い魔越しだけど、世界の全てを探したんだ。異世界なんて、そんなのどこにもなかったよ?」


「実はな――」


「実は?」


 思わず言葉に詰まる。俺は今、数百年ずっと秘密にしてきたことを言葉にしようとしている。

 後悔しないだろうか? もしかしたらするかもしれない。しかし、それでもいいじゃないか。自分でも意外なことに、アコラにそれを話すことをすんなりと受け入れられてしまった。


「実はな、俺はこことは違う世界で生まれたんだ」


 一度話してしまえば、あとからあとから思い出話があふれ出してくる。

 俺の生まれ故郷では、鉄の塊が魔法も使わず空を飛んでいたと話せば、アコラは目を輝かせながら俺の話を聞いていた。


 ああ、そうなのか。俺は生まれ故郷のことを誰かに話したかったんだ。アコラに語って聞かせながら、俺はそのことを自覚した。


「俺が元居た世界ではな。メッセージの魔法のようなもので、世界中の人間がコミュニケーションを取れるんだ」


「信じられないよっ。ユウタくんの世界は、すべての人間が魔法のエキスパートだって言うの?」


「魔法じゃないんだ。魔力なんてなくても、それが可能なんだ」


 自分が信じていた常識がすべてではなかった。アコラはそのことに、強い衝撃を受けているようだった。

 アコラに続きをせがまれながら、俺は思い出話に花を咲かせた。宿の窓から差し込んできた夕日が、アコラの顔を赤く照らす。日差しによって赤く染まっているのか、未知との遭遇による興奮で赤く染まっているのか、俺にはその区別がつかなかった。


「ああっ、行ってみたいな。ユウタくんが生まれた世界にっ。うふふ、考えただけでワクワクしちゃう」


「いずれ機会があればな」


 そんな機会はないだろうけど。

 本心では、俺はもう元の世界に戻れないだろうと思っていた。だけどそれを口にすることはなかった。言葉にしてしまえば、もう二度とそれが実現しないような気がしていたから。


「アコラにも子ども時代があったのか? 俺は少し話疲れたから、今度はそっちの話を聞かせてくれないか」


「知りたいの、私のこと?」


「話したくないのなら、別に無理して聞かないが」


「ううん、知ってほしいな。私のことを、もっとずっと。うふふっ。それに秘密の共有って、なんだかお友だちがやることみたいでしょう?」


「かもな」


「私はね、暗くて狭い洞窟で生まれたんだ。その時の記憶はもう、虫食いの書物のように曖昧だけどね」


 だけどとっても孤独だったことは覚えてると、アコラは目を伏せながらそう付け加えた。


「知ってる? ダンジョンコアって、生まれた時から何をすればいいか知ってるんだ」


「強力なダンジョンを作るとかか?」


「大正解。それじゃあね、どうすれば無敵のダンジョンが完成すると思う?」


「強力な魔物を作り出せばいい」


 ダンジョンの魔物はダンジョンコアが生み出している。前にアコラが話していたことだ。難攻不落のダンジョンを作りたいなら、強力な魔物を大量に生み出せばいい。ごく単純な話だ。


「うふふ、それじゃあね……。強力な魔物はどうすれば生み出せると思う?」


「……魔力を使うとか? 召喚魔法のように」


「ぶっぶーハズレ」


 言われてから初めて気が付いた。ダンジョンの魔物は何をリソースにして生まれているんだ?

 自然発生じゃないのは明らかだ。自然発生だとしたら、倒しても倒しても湧いてくるのはおかしい。コアがどうにかして魔物を発生させているのは確かだが……。


「ユウタくんは私にとって特別。だからね、本当にホントーに特別に教えてあげる」


 満面の笑みを浮かべ、あざとくウインクをしながらアコラは語りだした。


「ダンジョンの魔物は――ダンジョンポイントをリソースにして生まれてるんだ」


「ダンジョンポイント……」


 一体何だろうと思ったが、俺はふと、その単語をどこかで聞いたことがあるような気がした。確か――。

 カレンが何やら叫んでいたやつだ。


「コアにとってはね? すっごく大切なものなんだ。それこそ、命と同じように」


「なるほどな。ポイントがなければ魔物を生み出せない。魔物を生み出せなければ、ダンジョンは冒険者に攻略されてしまう。そういうことか?」


「さっすがユウタくん。理解が早いねっ。私の自慢のお友だちだよ」


「まだ何かあるのか?」


 含み笑いを続けるアコラの視線が気になり、俺は質問を重ねる。


「ダンジョンポイントはね――ダンジョンコアの生命力でもあるんだよ。これがないとコアは生きていけないんだ」


「ダンジョンコアは自身の生命力を削って魔物を生み出すってわけか」


「ダンジョンポイントはね、人間のエネルギーが変換されたものなんだ。だからダンジョンコアは、ダンジョンに多くの人間を呼び寄せるの。より強大なダンジョンへと至るために」


 そこからのアコラの話は、俺が考えたこともないようなことだった。


 ダンジョンコアはダンジョンポイントを得るために、人間にダンジョンを攻略させるのだという。攻略させながら、人間をダンジョンにより鍛える。強大なエネルギーを持つ人間がダンジョンを攻略する方が、ダンジョンポイントをより多く獲得できるかららしい。


 ダンジョンは、ダンジョンポイントを得る代わりに人間に報酬を渡す。

 便利な道具のエネルギー源となる魔石や食料となる魔物の肉、更にはそれらを得るために必要な武具などだ。

 ダンジョンにこれ見よがしに宝箱が設置されている理由がようやくわかった。あれはダンジョンによる報酬であり、冒険者を更なる高みへと押し上げるための手段なのだ。


 ダンジョンコアと人間は共生関係にあるとアコラは語る。


「そうか、そういうことだったのか」


「おやおや? 何かに気が付いたのかな?」


「前に言っていただろ? カレンがスタンピートを起こしたことは良くないことだと」


「ふふん。言ったよ?」


 アコラは目線で続きを促してくる。


「俺もあの出来事はずっと疑問だったんだ。大迷宮でスタンピートが起こるなんて、聞いたことなかったからな」


「そう、その通りだよ。大迷宮はね、スタンピートを起こすべきじゃないんだ」


「スタンピートってのは、無名のダンジョンや中堅のダンジョンが自身の存在を外部にアピールするために行うんだろう。違うか?」


「大正解っ!」


 ダンジョンコアは、知名度を得るためにスタンピートを起こす。人間は、スタンピートが起きたダンジョンを見過ごすことができない。スタンピートが起きればそこに人が集まるし、ダンジョンの名が冒険者の間で有名になる。


 一時的に集まった人たちを上手く報酬で釣り、恒常的な攻略者になってもらう。それがスタンピートを起こす理由なのだ。


 だからこそ、アコラはカレンの行動を否定した。すでに十分な知名度を誇る大迷宮に、スタンピートを起こすメリットはほとんどないのだから。


「カレンはスタンピートを起こすのではなく、ダンジョンの構造を見直すべきだった。リソースをもっと効率的に使う必要があったし、多くの人間が攻略したいと思うダンジョンを作らなければいけなかった。そういうことなんだろ?」


「ユウタくん、あなたは今すぐにでもコアになれるよっ。きっと大迷宮にもなれる。応援してあげるよっ!」


「悪いが俺は魔物になるつもりはない」


「うふふ知ってる。言ってみただけ」


 なんて楽しそうに笑うのだろう。アコラのこんな表情は初めて見た。種族としての立場が理解され、そして共感してもらえることが心の底から嬉しいのだろう。


「カレンちゃんはね、報酬を用意するのがへたっぴなんだ。ダンジョンはもっと、ワクワクしたものじゃないと。そうでしょう?」


「確かに、アコラのダンジョンは楽しかったな」


「ありがとねっ!」


 アコラのダンジョンはまるでゲームのようだった。だってそうだろう。戦いの経験が全くない子供でさえ、ある程度は死なずに戻ってこれるのだから。

 ダンジョンに殺意があるのなら、俺や仲間たちは最初の冒険で間違いなく全滅していた。


 頑張れば倒せそうなレベルの魔物が配置されており、それらをかいくぐり次の階層にたどり着けば、その時点の強さでかろうじて攻略できそうな魔物が配置されている。そしてそれらを『クリア』すると、素晴らしい報酬が現れる。


 記憶をたどれば、アコラのダンジョンは難易度と報酬のバランスがいかに絶妙だったか、今更ながらに理解させられる。


 長い人生の中で、他のダンジョンに足を運んだことだってもちろんある。しかし最終的には、俺はそれらのダンジョンの攻略を途中でやめ、奈落の大迷宮の攻略に戻ってしまった。

 奈落の大迷宮を攻略している時が、最も『冒険者として生きている』という実感を得ることができるからだ。


「ありがとうよ」


「うふふ。どうしたの改まって?」


 これは心からの礼だった。

 俺がアコラのように人生に絶望することなく、面白おかしく生きて居られるのは、アコラが作ったダンジョンという娯楽があったからかもしれない。そのことに、感謝せずにはいられなかった。


「なんでもねえよ。それよりも、こんな大事な話を人間に話してしまっても良かったのか?」


「構わないよ。だって、ユウタくんだから。あなたは唯一、この世界で私と対等な存在なのだから」


「買いかぶりすぎだ」


「ああ、楽しいな。こうしているとね、昔を思い出すんだ」


 お茶菓子を一つ、一口で頬張ったアコラと目が合った。俺を見ているようで、どこか違う場所を見ているようなまなざしだった。


「今でも思い出すんだ。初めて食べた、あのクッキーの味を」


「アコラの初めてって何百年前の話だよ……」


「さあ、どれくらい昔だったかしら」


 こちらを真っすぐに見ながら、アコラはまたお茶菓子を頬張った。


「私ね、お師匠さまやお友だちのみんなと、よくお茶会をしてたの。お師匠さまが初めて食べさせてくれたあのクッキーの味、私は一生忘れないよ」


 それはアコラにとっての青春の日々だったのだろう。

 将来、大迷宮になることを夢見て、同じ志を持ったライバルたちと切磋琢磨しつつも、同じ時を楽しく過ごした青春時代。


 アコラは、甘くて美味しいからスイーツが好きなのではない。

 甘くて美味しいスイーツを食べると、楽しかったあの頃を思い出すことができるから好んで食べているのではないか。


 どんな高級スイーツを食べている時よりも、ずっと幸せそうな笑顔を浮かべる今のアコラを見て、何となくそれが分かってしまった。

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