第18話 アコラの異変

「キュロロロロロオオオオ!」


 上空から、俺へと向けて殺気が叩きつけられる。俺を殺そうとしているのは、体長が二十メートルを超えるだろう怪鳥だ。


 丸太のように太い足から伸びた大剣を思わせる爪が、空から襲い掛かってきた。魔力が宿った爪による攻撃を俺はゆったりとした動作でかわす。

 ゆったりとした、と言えば語弊があるか。俺にしては緩慢な動きだというだけで、もしも今の様子をCランク冒険者辺りが見ていれば、まるで俺が消えたように錯覚したかもしれない。


「エビラーニャ」


「えいっ!」


 十代の少女を思わせる可愛らしい掛け声とともに、一本の剣が怪鳥の心臓に突き刺さった。俺の側で宙に浮き、隙を伺っていたエビラーニャによる攻撃だ。


「ギュアアアアアアア……」


 怪鳥の体から急速に生命力が失われていく。うろこに覆われた足で必死に剣を抜こうとするが、もうどうにもならない状態だった。

 やがて飛ぶ力も地に立つ力も失い、轟音と共に倒れ伏す。完全に死んだようだ。


「満足したか?」


「ううん、全然。血も魔力も薄すぎるよね」


「だろうな」


 目の前のこの魔物は、並みの冒険者であれば討伐することなど不可能な大物だ。ランクで言えば、確かBランクだったか。

 Cランクの冒険者が束になって襲い掛かり、ようやく倒せる魔物。だがしかし、その程度の魔物は俺たちにとっては大した敵ではない。倒す価値すらないほどだ。


 では、何故そんな魔物をわざわざ殺すのか。

 すべてはアコラのためだった。


「帰るか」


 背負っていた籠に巨大な卵を入れ、慎重に山を下る。俺はこの怪鳥の卵を手に入れるために、怪鳥を殺したのだ。


 俺とアコラが今滞在しているのは、ラスティーヤという名の街だ。ここは、美味しいスイーツを食べられることで有名な街だった。


 黄昏の迷宮でカレンと会ってから、アコラはどうにも落ち込んでいるようだった。友だちだと思い込んでいた奴からあんな対応をされたのだから、それも仕方のないことなのだろう。

 気落ちするアコラを元気づけるため、旅の次の目的地に選んだのがラスティーヤだ。


 美味しいものでも食べて、嫌なことは忘れてほしい。そんなことを考えながら、ラスティーヤに来たのだが、俺の思惑は大いに外れることになる。


 ラスティーヤの街では、自慢のスイーツを作ることができない状態が続いていたためだ。

 その理由は材料不足だ。黄昏の街でスタンピートが起きたせいで、腕利きの冒険者の多くがそちらに向かってしまった。その結果、スイーツの材料を手に入れる冒険者の数が足りなくなってしまったのだ。


 スイーツを楽しみにしていたアコラからしてみれば、踏んだり蹴ったりな結果だ。このままでは不味いと思った俺は、すぐに行動を開始した。


 冒険者ギルドでいくつもの依頼を受け、こうしてスイーツの材料を集めて回っているというわけだ。


「ついてないよな、まったく。エビラーニャもそう思わないか?」


「たまにはこういうのもいいんじゃない? 二人で旅をするのって久々じゃん」


 言われてみればそうだ。アコラが奈落の大迷宮の外に出てからは、四六時中、奴と行動を共にしていた。正直に言えば、気が休まる時がなかった。ライオンの檻の中に入れられた人間のような、そんな気分だった。


 気ままにぶらぶらと冒険ができるというのは、確かに息抜きには丁度良い。もっとも――。


「逆に不安にもならないか? あのアコラが、俺から距離を取るなんて」


 今日だってそうだ。朝起きたら、アコラは部屋にいなかった。どうやら、一人でどこかへと遊びに行ったようだ。

 こんなことは今までなかった。朝日が昇るとともにアコラにたたき起こされ、その後も一日中アコラを接待するのが近頃の俺の日常だったのだ。何も起きなければいいのだが。


「えへへ。魔王サマのご機嫌取り頑張ってね?」


「お前も頑張れよ!」


 他人事みたいに話しやがって。世界が消滅したら困るのはエビラーニャだって同じだろうに。


「ボクは聖剣だからね。魔物を切り割くのがお役目で、魔物のご機嫌取りは管轄外だから」


 何が聖剣だ。人間の血を吸いながら恍惚とした吐息を漏らす聖剣がどこにいる。血が足りないとかほざきながら、夜な夜な俺の血を吸いやがって。


 本当にふざけた奴だ。だが、こいつとの付き合いももう長い。それゆえに、お互いに気心が知れた仲でもある。

 エビラーニャとの二人旅は、張り詰めた俺の心を和らげるのに、確かに丁度良い機会だった。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「おーい! 兄ちゃん、もしかして噂の英雄様じゃねえか!」


 冒険者ギルドに卵を納品して、宿にアコラが帰ってきていないことを確認し、街をぶらぶらと歩いている時のことだった。


 突然、野太いおじさんの声が俺へとかけられる。そいつは見覚えのある顔だった。確か、ケーキ屋を営むパティシエだったか。

 雑談をしている暇はない。しかしここで無視をするのも感じが悪いだろう。アコラの機嫌次第では、まだまだこの街に滞在することになる。変な噂が立つのも困る。


「英雄って、俺のことか?」


「他に誰が居るってんだ。よっ! 英雄様!」


「悪いがその呼び方はやめてくれ。そんなガラじゃないんでな。ほら、俺が品行方正な英雄なら、今頃スタンピートの鎮圧に行ってるだろう?」


「いやいや、お前さんはこの街の英雄さ。お前さんが材料を集めてくれるおかげで、この街のパティシエは以前のようにスイーツを作れるんだ。もしもお前さんがいなけりゃ、何人のパティシエが店じまいしてたか分からないってもんよ」


 男は立派な髭をしごきながら、したり顔で俺を褒めちぎる。


「そうか。みんなの役に立てて良かったよ。それじゃあな」


「待ってくれ!」


 適当に挨拶をして、その場を去ろうとした時だった。横合いから、パティシエの男に強く呼び止められる。


「まだ何か?」


「お前さん、独身か?」


「そうだ」


「付き合ってる女は居るか?」


「……いないが、それがどうした?」


「へっへっへ」


 俺の答えに、目の前の男は目を細めてニヤニヤと笑った。


「なあ。俺の娘と結婚しないか?」


「いきなりだな。何故そんな話をする?」


「親心ってもんよ。大事な一人娘には、幸せになってほしいんだ」


「娘の幸せと俺になんの関係が?」


「大アリよ! 大迷宮でもスタンピートが起こるこんなご時世だ。夫となる男には、腕っぷしがあるに越したことはないだろう?」


「そうかもしれないが……」


「お前さんは人柄だって悪くねえしよ」


「そうでもないさ。どこにでもいる、ごく平凡な男だ」


「それがいいんだよ」


 大仰な身振り手振りで、男は言葉を続ける。


「強い冒険者ってのはよ、荒くれ者が多いだろう?」


「かもな」


「俺はな、喧嘩っ早い気の荒い男には娘を渡したくないんだ。その点お前さんは安心できる。お前さんは、自分のことをごく平凡な男だって言ったよな?」


「その通りだ」


「いないんだよ。お前さんほど圧倒的な実力を持ちながら、どこにでもいる平凡な男のように、優しい奴はさ」


「俺は優しくなんてないぞ」


 否定の言葉がすぐさま口をついて出る。

 俺が優しいだって? 冗談か何かだろうか。俺は常に自分のことばかり考えている。スイーツの材料を集めたのだってそうだ。アコラの機嫌を取ることが、自分のためになるからだ。アコラのことがなければ、俺は困っているパティシエたちを横目に、この街を素通りしたことだろう。


「とりあえずよ、会うだけ会ってみてくれ。後悔はさせねえぞ? 娘はな、若いころの俺に似て顔がいいんだ。それにスタイルだって抜群だし、何より働き者だ。な? 頼むよ」


 まくしたてるように話した男が、話し終わると同時に視線を俺の背後へと向ける。つられて振り返ると、そこに一軒のケーキ屋があった。若い女が、ケーキを買いに来た客の対応をしていた。

 丁度、俺がそちらを見たタイミングで客が途切れ、手持ち無沙汰になった女がこちらを見た。


 一目で分かるほどの、好意的な視線であった。


「どうよ。俺の娘は美人だろう?」


 いつの間にか俺と並ぶように真横に立っていた男が自慢気に言う。


「確かに美人だ。俺なんかにはもったいないほどのな」


「謙遜はよせって。それより、この後時間あるか? 自慢のケーキを食わせてやるから上がって行けよ」


「遠慮しておくよ。ちょっと忙しくてな」


 断りの返事と同時に、俺はケーキ屋とは逆方向に歩き出す。しかし、男はしつこく追いすがってきた。横に並ぶと俺の肩に手を回し、陽気な声音で話しかけてくる。


「そんなこと言わずに上がっていってくれよ!」


「忙しいって言っただろ」


「今ならおっぱい揉み放題だぜ?」


 誘い方が歓楽街のキャッチじゃねえか! いいのか娘の父親がそれで。


「断る」


「はあ……そうか。気が変わったらいつでも来てくれ! 約束だぞ!」


 男も、そしてその娘も、俺とかかわりを持てなかったことを心底残念に思っているようだった。背中に突き刺さる視線に含まれる気配から、それがよくわかる。


 ケーキ屋の娘が美人なのは間違いない。だが、今の俺は歳をとりすぎた。女と付き合いたいなどと、そのような欲求を最後に感じたのはいつのことだろうか。


 この世界に来たばかりの俺だったら、二つ返事で交際を申し込んだかもしれない。しかし、この世界に来たばかりのなんの能力もない俺では、このように迫られることもなかっただろう。


「さて、どうしたもんかな」


『なあに。あの娘のこと考えてるの?』


「そんなわけあるか。……アコラのことだよ」


 先ほど、ギルドへの報告が終わってから、アコラにテレパシーの魔法を使った。返事は返ってこなかった。


 アコラと出会ってから、どれだけの時間が経ったか。最初の数年ほどは、ダンジョンの最奥で殺し合いをしていたっけか。

 アコラがダンジョンを出てからは、数か月の間、一緒に旅をした。


 落ち込んでいるアコラを見て、何か慰めの言葉をかけようと思った。しかし、どのような言葉をかければいいのか、まったく思いつかなかった。


 そこでふと気付いたのだ。

 俺とアコラは、それなりの時間を共有しているのに、俺はアコラのことをろくに知らない。アコラの内面を知らないから、どうやって慰めればいいのか分からないのだ。


 アコラと腹を割って話す必要があるかもしれない。もしかしたら、俺がここではない別の世界からやって来たことも話す必要があるだろうか。俺が自身の秘密を話せば、アコラも心の内をさらけ出してくれるかもしれないという打算から生まれた考えだった。


 俺はアコラのことを知らなさすぎる。アコラが怖くて、深くかかわることを拒絶してきたからだ。しかしそれでは駄目なのだろうな。

 そのような、上っ面しか知らない奴の言葉が心に響くはずがない。


 ケーキ屋の男に英雄視されても、その娘に好意を寄せられても、これっぽっちも嬉しくなかった俺のように、な。

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