第9話 旅立ち

「ぐるるるるる……!」


「待て、待ってくれ! くそっ、動け俺の足! 動け!!」


 狼のような魔物に不意打ちで襲われた俺。地面に横たわり動けない俺をかばうように立つ三人の男たち。男たちを囲む狼の群れが、徐々にその距離を狭めてくる。この後、俺も男たちも死ぬ。もう何度も見た光景だった。


「くっ……!」


 俺は男たちに向かって必死に手を伸ばした。届かないとわかっていても、これが夢だとわかっていても、伸ばさずにはいられなかった。

 一際身体の大きな、おそらく群れのボスだと思われる狼が雄たけびを一つ上げると、俺たちを囲んでいた集団が勢いよく地面を蹴った。

 飛び込んでくる獣の群れ。その牙が、男たちの首に突き立とうとして――。


「あああ……! はあ……。もう朝か……」


「すっごい寝汗。またあの夢?」


「悪いエビラーニャ、起こしてしまったか」


「まだ寝ぼけてるの? 剣が眠るわけないよね」


「……そうだったな」


 まぶたの裏に焼き付く悪夢を振り払うように頭を強く振った。気力が戻ってくると昨日までのことを思い出し、戻ってきた気力がまた抜けていってしまった。


「どうしたの? 元気ないみたいだね」


「分かってるくせに。今日もまたヤツの相手をしなければならないんだぞ」


「大変だね」


「俺を気遣うつもりがあるなら、俺の代わりにエビラーニャがヤツの話し相手になってくれないか?」


「何言ってるのさ。剣が会話なんかできるわけないよね」


「今会話してるだろ!」


 エビラーニャめ。アコラと話したくないからと適当なことを言いやがって。

 俺はベッドに倒れ込み、二度寝をしようとした。しかし、窓から入り込んでくる太陽の日差しが俺の安眠の邪魔をする。カーテンが全く役割を果たしていない。なんだこの布は。まるで踊り子が着てる布のようにスケスケじゃないか。安宿の備品とはいえ粗悪すぎるだろう。

 俺は舌打ちを一つしながら色あせた毛布を頭までかぶった。


「まだ寝るつもり?」


「疲れてるんだ。二度寝くらいいいだろ」


 呆れを多分に含んだ物言いに対し、毛布の中から雑に言葉を返した。

 それ以降、エビラーニャが話しかけてくることはなかった。きっと、こいつなりに気を使ってくれているのだろう。俺が疲れ切っているのは紛れもない事実なのだから。


 アコラが地上に現れてから、十日ほどが経った。

 俺は、未だに自分の時間を得られていない。毎日、アコラに振り回されてばかりいた。


 心がもう限界だった。

 気まぐれ一つで世界を滅ぼせる化け物と四六時中、時間を共有するなんて、とてもではないが精神が持たない。

 奴とのデートは、不発弾を地面に引きずりながら歩いているようなものだ。これで精神的に疲れない方がおかしいだろう。


 そら。今日もまた、破滅の足音が扉の外から響いてきた。


「ユウタくんおはよう! 今日はどこに遊びに行こっか?」


「どこにも行かない。疲れてるから寝る。おやすみ」


「そっか……。私の存在ってなんなんだろうね。孤独で、誰にも相手にされず……。死ぬね、ばいばい」


「待て待て待て!」


 会って二秒で自殺しようとするんじゃねえ!

 風の魔法でベッドから滑るように移動した俺は、アコラが手にした毒々しい魔剣を手刀で叩き折る。


「素晴らしい反応! さすが私が目を付けた人間! ところで、それだけ動けるなら疲れてるって嘘だよね? 遊びに行こう?」


「勘弁してくれ……」


 肉体的な疲労と心の疲労は別なんだ。なんでそれが伝わらないかな。


 十日前。俺は持てる知識の全てを使い、こいつをエスコートした。すべてはアコラに満足してもらい、自分の時間を確保するためだ。


 俺には一人になる時間が必要だ。

 それは、戦いで荒んだ心を癒すためだけではない。アコラに自殺を思いとどまらせ、ダンジョンへと帰ってもらう方法を考えるために必要だからだ。


 アコラと一緒にいるときは、どうしてもアコラの一挙手一投足に気を使わなければいけない。とてもではないが、他のことを考える余裕はないし、他のことを考えていることがアコラにバレれば面倒くさいことになってしまう。


 つい先日も、この辺り一帯が危うく人の住めない大地になるところだった。


 アコラの会話に適当な返事を返していたことがバレて、その一瞬後に、アコラが手のひらに凄まじい魔力を込めた火球を生み出したのだ。


 俺に怒りをぶつけるための魔法ではない。アコラが自殺するための魔法だ。まるで太陽のような輝きを見せるその火球が爆発すれば、少なくとも周囲五百キロの生物は死滅していたと思う。俺とアコラを除いて、だが。


 瞬時に水の魔力を炎の魔力にぶつけ中和することで、俺は大惨事を未然に防ぐことに成功した。奇跡だった。その時のアコラは半分錯乱していたようで、普段のふざけた態度とは打って変わって殺意にあふれた完成度の高い魔法を行使していた。その殺意は、正しくアコラに向いていた。もしも指をくわえて見ていれば、世界は滅びていたかもしれない。


 もちろん、太陽火球の魔法一発でアコラが死ぬことはありえない。しかしあの規模の魔法を自分自身に数百発撃ち込めば、さすがのアコラも命はないだろう。


 つまり俺は、世界を救った影のヒーローということになるな。


「また、私を置いてけぼりにして考えごと……。そんなにつまらないの? 私と一緒に過ごす時間……」


 まずい! アコラの機嫌が急速に落ち込んでいく!


「えーっと、あれだ。俺もアコラも、朝食がまだだろ? 二人で何を食べようか考えてたんだ」


「そうだったんだ! それで、それって本当のこと?」


「ああ、アコラと食べる朝食について、検討に検討を重ねていたんだ」


「……そうなんだ! とっても楽しみっ」


 どうやらうまく誤魔化せたらしい。内心では、表情を読まれるのではないかとひやひやしていた。寝る間も惜しんでポーカーフェイスの練習をした成果が少しは出たようだな。


「それで、しっかり検討した結果は?」


「……宿の食堂で食べよう」


「またぁ? 本当にデートプラン考えてたの?」


「考えてたさ。だけど起きたばかりで頭が回らなくてな。それよりも早く行くぞ。急がないと席が埋まってしまう」


「埋まるわけないじゃん。こんなボロボロ宿のご飯屋の席なんて」


「いいから行くぞ」


 壁に立てかけていたエビラーニャを腰に差し、アコラの追求から逃げるようにして食堂がある一階へと向かった。

 アコラが言った通り、宿の食堂は閑古鳥が鳴いていた。朝食を食べるにしては少し遅い時間だ。それも仕方がないことだろう。


「おばちゃん、日替わり定食二つ」


「あいよ」


 年季の入った椅子に腰かけ、食事が来るのを待つ。

 アコラはいつの間にか俺の対面の席に座っていた。いつからそこにいたのか、気が付いたらそこにいたとしか言いようがなかった。


 転移魔法か。気配遮断の精度がずば抜けているのか。それとも俺の認識を書き換える魔法か。いずれにしても、とんでもない技量が使われたのは間違いない。


「ぶっぶーどれもハズレ。素早く移動して座っただけだよ」


「ホントかよ……」


「そんなに驚かないで。ユウタくんだってその気になればこのくらい簡単でしょ? 私が今やったことも、それからユウタくんが考えていたことも」


「転移は数メートルが限界だ。どんなに練習しても上手くならなくてな、残念ながら。認識を書き換える魔法は出来なくはないが……。お前のような強者に通じるほどの練度じゃねえよ。まあ、地道に訓練を続けて両方とも習得するつもりではあるが」


「んっふっふ」


 何が嬉しいのか、アコラは不気味な笑みを浮かべ始めた。


「嬉しいな。無理だって言われないことが。ユウタくんとの間に、隔絶した力の差を感じないことが」


「人間に命を狙われるダンジョンコアのセリフとは思えないな」


「私の命、狙ってくれるの?」


「気が向いたらな」


 百年後か、千年後か、生きることに飽きたらそういう日も来るかもしれないな。


「気になってたこと、一つ聞いてもいーい?」


「なんだ?」


「ここの宿、ボロボロだよね。ユウタくんはどうしてこういう生活してるの?」


 アコラが言う『こういう生活』とは、つまりあれだ。

 ボロボロの宿に好んで泊まったり、安さだけが取り柄の食事処で飯を食ったり、どこにでもいるようなショボい冒険者のような恰好をしたり。それらのことをひっくるめての『こういう生活』だろう。


「悪いか?」


「ううん。全然。ただ、理由が気になって」


 さて、なんと答えようか。まあ、隠すようなことでもないだろう。というか、アコラに対して隠し事なんて上手くいく気がしない。だから正直に話すことにした。


「落ち着くからだ」


「心がってこと? どうして?」


「これが一般的な冒険者の生活だからさ」


 冒険者とは存外に貧乏なものだ。

 身分の低い者でも、それこそスラムの出身であろうと、一獲千金を狙える職種ではある。しかし、それを成し遂げられるのは、才能を授かったごく一部の者に過ぎない。


 多くの冒険者は、ダンジョンの低層階や中層階でリスクに見合ったそれなりのお金を稼ぐ生活を送ることになる。

 そしてそこで得た金は、まず武具の整備に充てられる。これが意外と痛い出費なのだ。そこに金を使わない者もいるが……。そのような冒険者は、半年もすればダンジョンからいなくなっていることだろう。


 武具の手入れや更新をして、それから残った金はストレスの発散に使われる。内容は主に、酒や博打などだろう。もちろんそれらを行わない品行方正なヤツもいるが、荒くれものが多い職業柄、大多数は飲んで騒ぐのが好きな連中だ。

 ダンジョンで命の危機にさらされ続けたストレスを解消するため、多くの冒険者は夜明けまで飲んで騒ぐのだ。


 俺やブライアンのようにな。


 大騒ぎした後の財布の軽さといったら、悲しくなるほどだろうよ。

 そこから宿代などを出すのだから『こういう生活』になる、ということさ。


「そうだったんだね! それは分かったけど、ユウタくんは私の質問に答えていないよね?」


「そうだな」


 たった今配膳された日替わり定食の薄くて硬い肉をもぐもぐとしながら、適当に返事をする。


「これは薄くて硬くて味があまりしない飯だな」


「おまけに少し焦げてるね」


「だけど、こういう飯を食ってるとこう思えるんだ。俺もこの街にいる大多数の冒険者と同じなんだってな」


 別に金に困っているわけじゃない。ダンジョンの深層で手に入れたものを売り払えば、貴族のような生活だってできる。だが、やらない。豪勢な飯を食ったり、きらびやかな装飾品を身に着けたりすることに興味を持つことができない。それよりも、多数派に所属することの方が、俺にとってはずっと価値のあることなのだから。


「それが、心が落ち着くって言葉の意味なんだね」


「話が早くて助かるよ」


 薄味の肉を、薄味のスープで流し込みながら考える。今日はどうやってアコラの機嫌を取るべきか。

 俺はまだ死にたくはない。だから、世界の消滅を避けるためにアコラにはいい一日を過ごしてもらう必要がある。

 損な役回りだよ、まったく。


 アコラに思考が漏れないよう、ポーカーフェイスを保ちながら水のようなお茶を飲んでいると、宿の入り口の辺りがにわかに騒がしくなった。

 どたどたとした足音と共に、年季の入った扉が勢いよく開かれる。


「ようやく見つけたぜオラァ!」


 そこには一人の男が立っていた。

 いかめしい顔立ちは、一目見て荒事に慣れ親しんでいることを察することができる。服装は、粗末でシンプルなものだ。腰には使い込まれた剣を吊っている。


 どこからどう見ても、この街のごく一般的な冒険者だ。そんな男が、まなじりを吊り上げながら、俺に怒鳴り声をあげていた。


「クソが! 噂は本当だったのか!」


「久しぶりじゃないか! 元気にしてたかブライアン!」


 気が付けば、笑みがこぼれ落ちていた。

 懐かしい。こいつの顔を見たのは何年ぶりだろうか。友人との久々の再開に、先ほどまで感じていた暗い気持ちが晴れていくようだ。


 だがしかし、再会の喜びを大げさに表に出すことはできない。

 ブライアンから見れば、俺と会うのは数週間ぶりくらいのことだ。それなのに、俺が数年ぶりの再会かの如く大騒ぎをするのは不自然すぎる。


 だから俺は、平静を装って親友へと話しかける。


「酒臭いぞ。ここまで漂ってくるほどだ。昨夜はさぞお楽しみだったようだな、おい」


「うるせえよ。何がお楽しみだ。楽しんでいたのはユウタの方だろうが!」


「俺? いや、昨日は酒の一滴すら飲んでいないが」


「俺が言ってるのは女だよ、女! とんでもねえ美女を侍らせやがって……!」


 ああ、そっちか。

 ブライアンは女好きだから、そういう感想になるのも仕方ないか。もっとも、ブライアンが考えているようなことは、アコラとの間には一切存在しないわけだが。


「お前がとんでもない美女と街を歩いてるって噂をダチから聞いてよ。それで探してたんだ。抜け駆けは許せねえ! 噂がマジなら、ぶん殴ってやろうと思ってよ!」


「マジかよ……」


「ああ、大マジだ」


「お前……俺以外に友人がいたのか……!」


「いるに決まってるだろ!?」


 憤慨するブライアンをよそに、俺は思考を巡らせる。できることなら、このままブライアンと共に酒場へと繰り出したいところだ。だけど、俺にはそれが許されない。


 アコラから漏れ出る不機嫌なオーラを何とかしなければならないからだ。

 友だちと少し会話しただけでこれか。勘弁してほしいよ。


 対面の席から、トントン、トントン……と人差し指でテーブルの隅を叩く音が聞こえる。

 どうやら、ブライアンと話せる時間はもうあまり残されていないらしい。

 だから俺は、手早く質問を投げかけることにした。


「なあブライアン。お前はさ、どうしようもなく気分が落ち込んだ時、どうやって気分転換する?」


「なんだよ急に。まだ俺の話は終わってないぞ」


「いいから答えてくれ。頼むよ。もしも、死にたくなるほど辛いことがあってどうしようもない時、お前ならどうする?」


「気分転換の方法か……」


 ブライアンとしては、まだまだ俺に聞きたいことがあっただろう。なにせこいつは極度の女好きで、女に関する話題が大好きだからな。 

 だけどそれと同時に、二十年以上ダンジョンの魔物と戦い続けてきたベテラン冒険者でもある。危険を察知するカンの良さは、そこいらの人間の比ではない。何せ、突出した戦闘の才能があるわけでもないのに、二十年以上も死んでいないのだ。

 そんな男が、今のこの場面で行動の選択を間違えるわけがない。


「そうだな……。俺なら旅にでも出かけるぜ」


 まさしく俺の期待通り、ブライアンは質問に答えてくれた。ありがとうよ。俺はそっと、心の中で親友に感謝した。


「旅……。理由を聞いてもいいか?」


「別に大した理由じゃねえよ。辛い出来事があった土地からなるべく距離を置きたい。ただそれだけだ」


「なるほど……」


「何も考えずブラブラ歩いてりゃ、そのうち気も晴れるだろうよ。新天地で新しい生活でも始めれば、辛いことなんて思い出せないほど忙しくなるぜ」


「すごい説得力だ。さすが、若いころは借金取りから逃げるために各地を転々としただけはある」


「うるっせえ! 茶化すんじゃねえよ!」


「悪い」


「……そんじゃ、俺は帰るぜ。じゃあなユウタ。……また今度飲もうぜ。約束だからな。破るんじゃねえぞ」


「ああ、約束する。今度一杯奢るよ」


「楽しみにしてるぜ」


 絶対に約束は守るさ。心配してくれてありがとう、親友よ。


「ふっふーん。旅行か~。なかなかいいアイディアかも!」


 背後から聞こえたご機嫌な声。どうやら、今後の俺の予定は決まってしまったらしい。

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