第7話 メンヘラレベル999の女アコラ①
「そろそろ飲みに出かけるか」
年季の入った宿のベッドから身を起こしながら、誰もいない部屋で独り言をつぶやきいそいそと着替えを行う。
「お酒~? そんなものより、ボクの手入れの方が優先度上じゃない?」
おっと、一人ではなかったな。
「お前に手入れが必要かエビラーニャ? どれだけ血を浴びようと、切れ味が鈍ることはなかっただろ」
「剣の気持ちが全然わかってないなあ。キミだってさっき、意味もなくお風呂に入ってたじゃん。それと一緒だよ」
風呂に入るのは意味のある行動なのだが。そこまで考えてふと理解した。なるほど、エビラーニャから見て不必要なことが俺に必要であるように、俺にとって不必要なことがエビラーニャには必要だということか。
「分かった。明日の朝一で手入れはやる。約束する」
「本当かな? 嘘ついたら承知しないよ?」
「俺がお前に嘘を付いたことあるか?」
「人間だって嘘ついてるじゃん」
「叩き折るぞ俺は人間だ」
思えば、こいつともそこそこ長い付き合いだな。相変わらず不穏で邪悪な魔剣だが、死闘を何度も潜り抜けるうちに少しはお互いのことを理解してきたように思う。
高価すぎない、適度に粗雑な服に着替えながら、チラリと窓の外をうかがう。先ほどまで地上を照らしていた太陽は沈み、今は二つの月が柔らかな光で地上を照らしている。
月の位置を見るに、どうやら宿のベッドで眠りについてから六時間ほどが経ったらしい。
思いのほか熟睡していたようだ。ダンジョンを出て、まだ日が高いようだったから酒場が開くまで少しだけ仮眠を取るつもりだったのだが、寝すぎてしまったみたいだ。
やはり、今回の探索は心に大きな負担がかかっていたのだろう。疲れ切った心と体を癒すために、早く酒を飲まなければ。
ブライアンの奴は酒場にいるだろうか。いれば気持ちよく酒が飲めるのだが……。
どのつまみでどの酒を流し込もうか。そのことだけを考えながら、宿の自室のドアに手をかけた、その時だった。
『いつになったら会いに来てくれるの!?!?』
「うわっ!? なんだ!?」
『約束したよね!? すぐに会いに来てくれるって!!』
突然、部屋中にアコラの叫び声が響いてきた。いや、違う。部屋の空気は振動していない。ということはこの声は実際に響いているわけではなく、俺の脳内に直接届いているものなのか?
「エビラーニャ。何か聞こえるか?」
「ううん、なんにも。どうしたの身構えちゃって。お酒、飲みにいかないの?」
エビラーニャには何も聞こえていない。やはりあの叫び声はテレパシーの魔法か。普通、テレパシーというのはくぐもった、独特な聞こえ方をする。ところがアコラの声は、まるで耳元で直接大声を出されたような、クリアな聞こえ方だった。
それに、距離が離れれば離れるほど、声を届けるのが難しくなるのがテレパシーの魔法だ。
ダンジョンの最奥からこの大ボリュームで叫び散らすとは……。
これが世界最強の魔物の魔法スペックか。
『どおして無視するの!? 私たち、お友だちだよね? ね!?』
おっと、考察している場合じゃないな。話しかけられたのだから、とりあえず返事をしなければ。テレパシーの魔法はあまり使ったことがないのだが……。
『あー。俺だ。聞こえるかアコラ』
『どおおおおして無視するの!? うええええん!』
『俺だ! 聞こえるか!?』
『なんか今、かすかにユウタくんの声が聞こえたような……?』
『俺だ!!!! 聞こえるかアコラ!!??』
『この声はユウタくん! やっと返事してくれたんだねっ』
はあ……はあ……。一声発するだけでこの疲労感。分かっていたことだが、地上とダンジョンの最奥は距離がありすぎる。
「ユウタ大丈夫? なんか、9960階層の呪詛王に精神攻撃受けてる時くらい辛そうだけど」
「似たようなものだ。集中するから少し黙っててくれ」
深呼吸を一つして、俺はアコラに向かって心の中で叫んだ。
『急に話しかけてきてどうしたんだ? 何かあったのか?』
『何か、じゃないよ! ユウタくんとっても酷くない!?』
『俺? 何かしたか?』
『お別れするときにユウタくん、言ったよね。またすぐ私に会いに来るって。約束したよね!?』
『ああ、確かに約束した。それがどうかしたか?』
『なんで来てくれないの!? 私、ずっと待ってるんだよ!』
『……? まだダンジョンを出てから一日も経っていないが』
『約束を忘れてたからって誤魔化さないで! 私は数十日以上ずっと待ってるんだから!』
そんな馬鹿な。だが待てよ。そうだ、ダンジョンと地上では時の進み方がまるで違うんだった。俺にとっての数時間は、アコラにとっての数十日なのだ。
『言い訳しないで早く来て! 早く!』
『待ってくれ。さっきも言ったけど、まだ街に来てから少ししか休めてないんだ。ダンジョンには行くけど、せめてもう一日ほど休ませてくれないか?』
『そっか……。やっぱり私は独りぼっちなんだね』
『少しだけ待っててくれ。明日には必ず行くから』
『私、もう死ぬね。さようなら、ユウタくん……』
『おい! 早まるな!』
『待たない。今、手首切った』
『びっくりするくらいかすり傷だな』
お前の体力からしたらその程度、ダメージの内にも入らないだろ。
『!? 死のうとしてる女の子にその言い草は酷くない!?』
しまった。ついうっかり思ってることがテレパシーになってしまった! これだからテレパシーの魔法は嫌いなんだ。
『……もう限界。手首切り落とした』
『かすり傷だな』
『本気で死ぬから。首切り落とした』
『まあまあのかすり傷だな』
『どおおおして心配してくれないの!?』
『アコラがその程度で死ぬわけないし……』
だって、俺ですら首が落ちても死なないのだから。アコラなら首だけで生きていけるだろ。何なら首だけじゃなく胴体の方も生きてるまである。
『酷い! 鬼畜男! 私にここまでさせといてその態度ってあんまりだよ!』
『俺は何もさせた記憶はないのだが』
うん。死ぬと言い出した時にはかなり焦ったが、その手段が手首を切る程度だった時点で、こいつが本気ではないのが透けて見えた。焦って損したというのが正直な感想だし、突然の呼び出しに怒りの感情すら感じている。
『寂しいよ。会いたくて会いたくて震える……』
『勝手に震えてろ』
『分かった……』
ゴゴゴゴゴゴ……。
なんだ!? 地震か!? 地面が揺れている!
『アコラ! 何かしてるだろ!』
『ダンジョンを揺らしてるだけだよ……』
『今すぐやめてくれ! なんでそんなことを!?』
『ユウタくんが震えてろって……』
こうして話している間にも、振動はどんどんと強くなっていく。
部屋の外からは、ガラスが割れるような音や、人々の悲鳴が聞こえてくる。
まずいぞ。このままでは、街が崩壊してしまう!
『分かった! 今すぐにダンジョンに行く! だから揺れを止めてくれ!』
そう言いながら、宿を出てダンジョンの入口へと走る。
なんでこうなるんだ。ああ、くそっ。酒、飲みたかったな……。
揺れる地面を踏みしめて、必死に街を走りぬけ、どうにかダンジョンの入り口が存在する神殿へとやってきた。
そして転がり込むようにダンジョンの1階層へと足を踏み入れたその瞬間――俺の体は光に包まれ、気が付くと草原に立っていた。
「は?」
一体何が起きたんだろう。
俺がいたのは1階層だというのに、一瞬のうちに9999階層へと転移していた。
「ユウタくん……。どうして約束、守ってくれなかったのかな?」
目の前から迫りくる、とんでもない殺気。そこには、世界を滅ぼせるだけの魔力をまとった、災厄のような女が立っていた。
「違うんだアコラ。話を聞いてくれ」
俺は、身振り手振りを交えながら、必死に言い訳の言葉を並べた。
確かにすぐに戻ってくると言った。だけどそのすぐというのは、地上の時間軸の話であって、9999階層の時間の流れを前提にしたものではなかったんだ。
決して奈落の大迷宮から逃げ出すつもりはなかった。一休みしたら、いつものようにすぐにダンジョンに潜るつもりだった。信じてくれ!
「本当に、本当?」
「ああ、本当だ!」
「そっか……。私の早とちりだったんだね。そうだよね、地上とダンジョンは時間の流れが違うんだもん。しょうがないことだよね。そうだよね?」
「そうだ! これは仕方ないことなんだ! あくまでも勘違いの結果なんだ!」
懇切丁寧な懇願が通じたのか、空間に張り詰めていた殺気と魔力が霧散していくのを感じる。良かった。危うく地上が人の住めない大地になるところだった。
「そういえば、俺は1階層にいたと思うけどなんでここにいるんだ?」
許してもらえそうな雰囲気になった隙を突き、すかさず話題をすり替える俺。こういった細かな労力が、この星の平和へとつながるのだ。
「うふふ。転移の罠の応用だよ。驚いた?」
「そんなこともできるのか……」
「あれれ? どうしたのため息ついちゃって。なんだか疲れてるみたいだね」
「大急ぎでここに来たからな」
「あっ、そっかあ。そういえば休めてないんだったね。ごめんねっ?」
両手を合わせ、ウインクしながら謝罪の言葉を述べるアコラ。その仕草に、そこはかとなくあざとさを感じる。きっと百年ほど前の俺だったら、アコラのこの笑顔にやられ、一瞬で許してしまっていたのだろうな。
「……もういいよ。お互いの勘違いから発生した不幸な事故だったということで忘れることにする。それじゃ、改めて俺は街で休む。じゃあまたな」
疲れ切った体を引きずるようにして、地上へと転移魔法陣へと歩く。そんな俺を呼び留める存在がいた。
「待ってっ。……いかないで欲しいな?」
上目づかいでこちらを見ながら、そっと俺の腕に触れるアコラ。
「手を放してくれないか?」
「どうして?」
「お前には俺の手の骨が砕ける音が聞こえないのか?」
「……?」
「それがどうしたのみたいな顔やめろ」
「私を独りぼっちにしないでほしいな」
そう言って、そっと俺を抱きしめるアコラ。
「放してくれないか?」
「どうして?」
「全身の骨が悲鳴を上げてるから」
俺じゃなきゃ即死しているよね。このままだと軟体動物になっちゃうよ。
「おかしいな。地上の様子を見てたら、男の子って女の子にこうされたらなんでも言うこと聞いてたはずなのに」
「今何か言ったか?」
「ううんっ。なんでもないよ!」
「そうか? じゃあもういいよな。俺は帰るよ」
「本当に帰るんだ……。ねえ、次はいつ会いに来てくれる?」
「近いうちに」
「近いうちっていつ? 五秒後くらい?」
「近すぎるから。そんな早く来れるわけないだろ」
「ねえお願い……。もう少しだけここに居てほしいな」
「少しってどれくらいだ?」
「十年くらい」
「もう帰る。じゃあな。……おい、腕を放してくれ」
「だって……。帰ったら、しばらく来てくれないもん」
「仕方ないだろ。地上とここじゃ、時間の流れ方が違うんだから」
何とかアコラを説得しようとした。しかし言葉を尽くしたものの、のれんに腕押しというか、アコラはまったく引き下がってくれなかった。
俺は少しずつ腹が立ってきた。
長期にわたるダンジョン攻略で精神的に疲れ切っているし、楽しみにしていた休息を邪魔されてここに来たのだ。これで怒るなという方が無理があるだろう。
だから、アコラとの押し問答の末に、ついこう言ってしまったのだ。
「そんなに寂しいのならお前が地上に来ればいいだろ!」
この時の俺は何故こんなことを言ってしまったのか。
あとから後悔したところでもう遅かった。
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