6  左袖

 少し湿気た段ボール箱を開くと、思いがけず明るい色が目に飛び込んできました。

 白地に黄色とオレンジのストライプが入った、子供服でした。綺麗にたたまれて、納められています。その下にもみっしりと布が詰まっているようでした。

 拍子抜けして、わたしは黄色とオレンジの服を摘まみ上げます。

 半袖の夏用ワンピースでした。裾にはレースが施されています。某有名子供服ブランドのタグと、110という子供服のサイズ表記がありました。

 けれど──向かって右側、左袖がありません。

 脇の下からハサミを入れたようにすっぱりと、途中からは力尽くで引きちぎったように糸が解けています。

 わたしは扉の外を振り返ります。

 彼は──箱の持ち主の息子は、嫌に冷たい眼差しでわたしを見下ろしていました。わたしの反応を観察していたのかもしれません。

 ああ、これはなにを訊いても答えてもらえない、とわたしは悟ります。

 夏用ワンピースの下には白いTシャツが、これまた丁寧にたたまれて入っていました。胸に帯状の星や月の模様がプリントされています。サイズ100の子供服でした。

 ──やはり向かって右側、Tシャツの左袖が切り取られています。

 その下には青いロングシャツが、その下にはキャラクタもののTシャツが。キャラクタがプリントされていたり、可愛い模様が刺繍されていたり、無地であったりとさまざまなシャツやワンピースが出てきました。

「お嬢さんに返したい」と言うからには、女の子の持ち物なのでしょう。けれど、出てくる服の系統にはなんの統一感もなく、到底ひとりの服とは思えません。

 なによりも、綺麗なのです。

 箱の隅や服の間に羽虫の死骸が挟まっていたりはしましたが、服自体は新品か、あるいはアイロンを掛けられた状態でした。

 十数着を盛り返したところで、最後の一枚に到達しました。

 濃緑色の半袖Tシャツでした。これだけが、目に見えて着潰されていました。生地は伸びて薄くなり、毛羽立っています。そのくせ左袖だけは、最初から最後までハサミで切られたような断面をしていました。

 つまり、とわたしは取り出した服を箱に戻しながら考えます。

 服が年代順に積み重なっていると仮定した場合、ハサミで丁寧に左袖を切り取られた濃緑色のTシャツこそが最初の一枚ということになります。左袖の切り口を見れば枚数を重ねるごとにコツをつかみ、途中までハサミを入れて引きちぎる、という手抜きに落ち着いたのでしょう。

 問題は服が、明らかにきれいで新しくなっていくことです。

 わざわざ左袖を切り取り、段ボールに入れるためだけに服を購入しているとしか思えないのです。

 服を全て段ボールに納め終えたわたしは立ち上がり、1Kの部屋を見回します。万年床とおぼしきせんべい布団の端からは、虫の触角だか脚だかがはみ出しています。

 こんな部屋に住む老人が、子供服を買い左袖を切り取り、保管をしている理由がわかりません。

 わたしは老人の息子を振り返ります。部屋の外に出て、彼と並んで、彼の顔を見ずに「申し訳ないけど」と言います。

「どれも、わたしの服じゃないです」

 彼は数秒、黙っていました。少しして「そうですか」とため息のように言います。

「あの」と続ける声は、彼とわたしの二重奏になりました。ふたりして少し笑って、「どうぞ」と譲り合って、結局、彼が「あの」と続けます。

「他にお嬢さんの心当たりは……」

「ないですね」

「じゃあ……あの……袖でどこにあるかは……」

「え?」と声が漏れました。「袖」わたしは雑然とした部屋を振り返ります。「ないんですか?」

「見つかってないんです」

「……そう、ですか」今度はわたしがため息のように答えます。「ああ、いえ、心当たり、ないです。というか、あの服の存在も初めて知りました」

 お力になれずにすみません、とお茶を濁し、わたしは早々に別れの挨拶をします。

 一歩を踏み出したところで「あの」と彼に呼び止められます。

「あなたの、さっき言いかけたことって、なんですか?」

「ああ、いえ、別にたいしたことじゃないんですけど……お父さま、病院には行かれたんでしょうか?」

「ああ」と彼は、なぜか失笑のように息を漏らしました。「ええ、おかげさまで。ぼくには病院から連絡が来たので」

「そうですか」とわたしは頷いて、今度こそ踵を返しました。

 段ボールの底に沈んでいた濃緑色の、着古されたTシャツの手触りを消すために強く手を握って、足早においちゃんのアパートを後にします。





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