4 うさぎ
──ウサギやあらへん。
その言葉で、思い出したことがありました。
あのとき、あの人気のない公園の横の畑から、出てきたビニル袋です。
当時はまだ、車のシートベルトさえ装着義務がなかった時代です。安全管理などという概念も薄く、畑を掘り返していた作業員たちは軍手をしていたものの、ヘルメットを首の後ろに垂らしていたり、そもそも被っていなかったりとまちまちでした。
そんなひとりに抱えられて、わたしは畑の真ん中で我が物顔に長いアームを動かすショベルカーの運転席まで運ばれました。
重機への憧れ、想像よりずっと高いところから畑を見下ろす優越感、あまりにも頼りなく細長い操縦桿への不安。そういった感情が一緒くたに押し寄せます。
運転席に座っていた中年男性は自分の膝にわたしを座らせると、「揺れるで」と忠告を寄越してから、作業を再開しました。
揺れる、などという可愛いものではありませんでした。車体が旋回するたびに、履帯が少し前後するたびに、首がもげるのではないかと思うほどの衝撃で体が揺さぶられます。縋るものといえば中年男性の肩ぐらいしかない操縦席です。舌を噛みそうで「降ろして」と言うことすらできません。
どれほど経ったのか、不意に「おやっさん!」という声がしました。
「これ!」と掘り返された土の中から岩をより分けていた作業員の男性が、拳を突き上げています。「また出たで!」
嫌に細長くなった、スーパーなどで買い物をしたときにもらえる白いビニル袋でした。長く見えたのは、袋が縛られていたせいです。中身は大人の拳ふたつ分ほどの大きさでした。入れているモノのすぐ上で袋を縛っているせいで、余った袋の上部が長く、まるでウサギの耳のようになっていました。
中年男性は黙ってひらひらと掌を振ります。逐一報告しなくてもいい、という様子でした。作業員の男性も頷くと、ビニル袋を畑の端へと投げ捨てました。
見れば、すでにいくつもの袋が畑の端に集められていました。白いビニル袋、青いポリ袋、黒いポリ袋、水色にキャラクタが印刷されたビニルシートのようなものもあります。
どれもが、大人の拳ふたつ、みっつほどの大きさの塊を入れて縛られているようです。そして一様に、包んでいる中身の割に袋やシートが大きく、縛った先が長く泥で汚れていました。
袋の周囲では大きなハエが忙しなく飛び交っているようでしたが、当時は畑の隅に腐った野菜を積み上げているところも多かったため、わたしは特別疑問を抱くこともありませんでした。
「ウサギや」ショベルカーのエンジン音の下で、中年男性がぼそりと言いました。「近所で増えてしもたウサギをな、ここへ
せめて土に埋葬を、ということでしょう。けれど、とわたしは畑の端に集められた袋へ視線をやります。遠目にも、たぷん、とビニル袋の端に液体がたまっているのがわかりました。ビニルで包まれては土に還ることもできないでしょう。
なんと返事をしていいのかわからず、わたしは黙ってショベルカーに揺られていました。
しばらくして「おいちゃんらはな」と男性が、どこかぼんやりとした口調で言います。
「ここを家にすんねん。この辺、全部家にしたら子供も増えて、公園も賑やかんなんで。ほんでな」
がくん、とショベルカーが止まりました。アームの先が畑に沈んだままの不自然な姿勢のまま、男性は首を捻ってビニル袋を振り返ります。
「あの辺りに、玄関つくったらええねん」
瞬間、公園と玄関とのつながりが理解出来ず、わたしは曖昧に「うん」と頷きました。
今なら、わかります。
あのビニル袋は畑の片隅ではなく、畑の一辺の真ん中に集められていました。道路に面したところに駐車場を、そのすぐ隣に玄関を造れば、ちょうどビニル袋が集められていた辺りが玄関になるでしょう。
でも、だからどうした、と言えばそれまでです。
やはり、男性の言い分には脈絡がなく、子供に語る物語としても意味が通りません。
結局、わたしが思い出したのは、その程度のことでした。
あのビニル袋の中身がウサギではなかったとしても、もはや四半世紀も前の話です。いまさら、そんな告白をされたところで、どうしようもありません。
だから薄情なわたしは、おいちゃんの告白ごとおいちゃんの存在を忘れることにしたのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます