第37話 画竜点睛
僕が転換した……?
男のその言葉に、僕の動きが止まった。
言葉を吐き出すにも、声が詰まって吐き出せなかった。
『もう……何も見たくはない』
確かにその言葉は、僕自身の中にあったものだ。
そして僕は……生きる事を拒否した。
胸が騒つく。体が震える。
恐怖とも違う嫌な感覚が、僕の全てを支配していくようだ。
「惑わされるな、来」
「……麻緋……」
麻緋の声に、自分を取り戻す。
麻緋は、男に近づき始めた。
「随分と話が違うな。追う気もねえのに鬼ごっこ、とはな」
「そんな事はありませんよ。鬼ごっこはもうとっくに始まっていたのですから。こうしてここに私がいる事は、追い掛けて来たと言うに違いはないでしょう? 藤堂さん……貴方にしても、私を追い続けていたのでは?」
「ふん……掴みたくもないものを掴みたくはないんだがな。お前を掴もうとする度に、お前は何かを捨てていく。いや……元に戻っていく、といった方が正しいか。
「ふふ……だから私を捕まえないのですか。こんなに近くにいるのに、それは残念な事ですね」
「何を言っている。そう易々と捕まる気などないだろう? ただ俺は……時を待っているだけだ」
麻緋の手が男へと伸びる。
僕は、あの男に触れてはダメだと、麻緋を止めようとした。
「麻……っ……」
嫌な感覚が、まるで毒のように全身に回り、身動きを制限するようだ。
震える体が、僕の思いを蘇らせる。
自分の呪力以上のものを求めた。
それが禁忌呪術に繋がったのだと思った。
自分の無力さを思い知らされるのは、身を切り裂かれるような痛みだった。
だからこそ。
思いを込める願いが、呪力を乗せて言葉を吐き出す。
それでも。
それが適わないと知った時、人は……。
自分の持っているものを差し出し、引き換えにする。
誰かの、何かの力を得る為に、思いが適うまで、失うものが無くなるまで、何度でも。
手を伸ばせば、掴めるんじゃないかって。
何かを得る為に、覚悟を差し出すんだ。
それでも、自分の思いに反して得たものは、安堵とは無縁の絶望だった。
だが、全てを失ったのは、安堵を得る為には必要な代償であったと諦めるのは、希望というものを掲げれば……出来た事だった。
そして、その希望さえも失った時には、この身さえも不要になる。
そう思いが巡った瞬間に、僕はハッとする。
絶望を与え続けられ、希望さえも無くなった者は、死を願う。
それは僕の中に刻まれた記憶だ。
僕が最後に手を伸ばしたものは、僕自身が……供犠になる事……だった……。
「気づくのが遅いぞ、来」
僕が何を思い、考えていたのか麻緋は察していた。
僕の表情に変化が表れた事で、ふっと穏やかな笑みを見せる麻緋に、僕は大丈夫だと示すように幾度か頷いた。
「あ……うん……ごめん」
「こいつが得意とする幻影術は、視覚に訴え、脳内へのイメージ変換を強制的に行う洗脳みたいなもんだ。自ら手を下さなくとも、自主的に命を捧げ易くする……なあ……来。この地は全て焼けたというのに、その時に死者は一人も出なかった……そうだったな?」
「麻緋……」
「……そういう事だ。だから言っただろ。この男がその理由を知っているってな」
「……っ……」
『出来ればその勘が、事が起こる前に働いて貰いたかったが』
……そういう事だったのか。
あの言葉は、僕の後悔を再燃させる意味ではなかったんだ。
あの時、既に幻影に嵌っていたんだ。
麻緋の背中に紋様が浮かび始め、赤い光を強く放つと麻緋の手に宿った。
麻緋の手が、男の目の無い部分へと伸びていく。
「藤堂さん……ようやく私を捕まえる気になりましたか」
「勘違いするなよ……その逆だ」
「……」
麻緋の言葉に、男の様子が変わった。
その様子を察するには、男の口元だけでしかなかったが、嘲笑するようにも余裕を見せていた口元の笑みが止まっていた。
麻緋の手が、男の目元をなぞるように滑る。
……目が……。
「作り出した幻影から見るんじゃなくて、自身の目でしっかり見ろよ」
男の両目が開かれると、その目で麻緋を睨む。
「これで揃っただろ……?」
……麻緋……。
冷ややかな笑みを湛える麻緋は、男の拘束を解いた。
「行けよ」
「麻緋っ……!」
どうして……逃すような事を……。
「来……こいつには与えなきゃならねえんだよ」
「与えるって……どうして……こいつは……僕たちから奪ったんだろ……なんで与える必要が……禁忌を犯して、失うものなどないっていうのかよ……」
「俺たちにとっての当たり前は、こいつにとっての当たり前じゃない。この男には、元々、何もないんだからな」
男は、よろよろとした足取りで、僕たちを擦り抜けて行く。
……なんだ……? 明らかに、さっきまでの男の様子とは……。
苦痛を吐き出す男の声が、地を震わせる程に響いた。
麻緋は、地に蹲る男に向かって、こう言った。
「それじゃあ、俺と同じには染まらねえな。五感が揃うと……苦しいだけではな……?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます