第35話 勧善懲悪

 鬼ごっこ……?

 男の言葉に僕は眉を顰める。


 男は、麻緋の反応を窺いながらも、笑みを交えながら言葉を続けた。


「鬼ごっこの主役は鬼ですからね。鬼がいなければ成り立たない遊びです。鬼はただ、逃げ隠れする者を只管ひたすらに追い、捕まえる……見つからないように、捕まらないようにと逃げ惑う者たちは、鬼を倒そうとは考えない。この終わりは何処にあるのでしょうね……? 鬼に捕まったら負け、捕まる事なく逃げ通せれば、その者の勝ち……それは鬼の降参に繋がるといったところでしょうか。ただ……捕まえられないだけで……ね……? ですが、タイムリミットがなければ、鬼はいつまでも追い続けるという事でしょう? それは、いつまでも怯え続ける事になるでしょうね……?」


 九重の背後から男はそう言った。

 見える口元が、意味ありげにも笑みを湛え続ける。

 顔を見せようとしないこの男……。

 こいつ……もしかして……。

 収監所に現れた時もフードで顔を隠していた。フードで顔を隠しているのは、本体である証拠でもあるって訳だ。

 この男が禁忌を犯しているのは事実……転換出来ず、払った代償があるという事か。

 この男の目的はまだ果たされていない。自身の体に関わる事なら尚の事……か。

 どうりで執拗に追って来る訳だ。


 僕の目線が九重に移る。

 九重は、硬直したままであったが、その目線は麻緋を見ていた。

 強く向けられる九重の目は、何かを訴えているようにも見えた。


 麻緋は、九重にちらりと目線を向けた後、男に答える。

「いいだろう。その遊びに付き合ってやる。じゃあ……誰が鬼だ? 俺は誰でもいいぞ」

 麻緋はそう言うと、ふっと笑った。その笑みは、九重に向けているようだった。

「その前に一つ……ルールを決めましょうか」

「なんだ?」

「鬼に捕まった者は鬼の交代ではなく、同じ鬼となって逃げ隠れする者を捕まえる……いかがですか」

「同じに染まるという事か」

「ええ」

「いいだろう」

「麻緋……」

 不安を感じる僕は、麻緋を振り向く。

 麻緋は、僕に目線を向けると、大丈夫だと言うように静かに頷いた。


「だが……俺からも一つルールを決めさせて貰う」

「どうぞ」

「鬼から逃げるだけじゃなく、鬼を倒す事も可能……どうだ?」

 麻緋の言葉に、男はふふっと笑う。

「いいでしょう」


 男は九重から離れると踵を返し、少し離れた瓦礫の山の前に座り込むと、フードを深く被り、頭を垂れた。


「ふん……鬼が主役の鬼ごっこねえ……自ら鬼とはな。自分の立場が分かってるじゃねえか」

 そう言うと麻緋は、空に広がる紋様を解いた。

 高く昇った月だけが、仄かに辺りを照らし始める。

「行くぞ、来」

「あ……うん」

 先に歩を進める麻緋を追う。

 麻緋は、歩を進めながら九重に言葉を置いていった。


「塔夜……お前も早く行けよ。敵う敵わないは別として、同じに染まるか、闘うかはお前次第だろ」


 九重は少しの間、考えているようにもその場に立っていたが、僕たちとは反対方向へと姿を隠していった。

 麻緋と共に歩を進めるが、その足取りはゆっくりで、あの男を警戒しているようには見えない。

 そもそも、隠れるにしたって、瓦礫の山だけのこの場所に、長く身を潜める事など出来はしないだろう。


「なあ、麻緋……隠れる気なんかないんだろ? 隠れるつもりなら、二人より一人の方が隠れ易い。逆に言えば、闘うなら一人より二人の方がいいって事だろ」

「お前、本気で鬼ごっこをやるつもりなのか?」

 麻緋は、揶揄うように、ははっと笑う。

 僕は、呆れたように溜息をついた。


「奴の提案に乗ったのは麻緋だろ……なんか策があるから、隠れようともしないんじゃねえのかよ?」

「別になんにもねえよ」

「なんだよ、それ……」

 僕は、不機嫌な顔を麻緋に向けるが、声を荒げる事はなかった。

「はは。来、お前にしては珍しく冷静だな? 鬼に見つかるのを警戒しているのか?」

「馬鹿にすんな。そんな訳ないだろ。僕だって、本気で奴に付き合うつもりはねえよ。向こうだって、遊びじゃねえだろーが」

「当然」

「麻緋……お前、楽しんでる?」

「当然」

 同じ言葉を繰り返し、ニヤリと口元を歪めて笑う。

「おい……麻緋……」

「鬼を主役にする訳にはいかねえだろ、来?」

「……だからなんだよ?」

 呆れる僕は、深い溜息を漏らす。


「そもそも、今回の任務内容も、僕は聞いてないからな?」

「聞きたいか?」

 そう言って麻緋は、クスリと笑って僕を振り向く。

「当たり前だろ」

「ここはお前が住んでいた場所だからな、お前が主役になって貰わないとね……?」

「は?」

 ポカンとする僕の肩に、麻緋はポンと叩くように手を乗せる。

「そういう事で、よろしくな、『桃太郎』」

「あ? 誰が桃太郎だよ? お前、ふざけて……」

「ふざけてねえよ、これが今回の任務だ」

 ニヤリと笑みを見せる麻緋に、思惑は感じ取れるが……。

 言っている事が、いい加減過ぎる。


 呆れる顔を見せる僕に、麻緋は楽しそうな様子で、こう続けた。


「勧善懲悪の典型は、鬼退治だろ?」

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