第27話 呪術回路
拠点に戻ると、穏やかな笑みを見せて、桜花が僕たちを出迎えた。
「お帰りなさいませ。麻緋様、来様」
……桜花。
麻緋から聞いた言葉が、頭の中に浮かぶ。
『桜花には元よりの名がある……成介の妹の『桜』の名を取って、成介が名付けた式神が桜花だ』
「どうかなさいましたか、来様」
「あ……いや」
麻緋から聞いた言葉を重ねながら、桜花をじっと見ていたからだろう、麻緋がしっかりしろと言うように、バシッと僕の背を叩いた。
桜花は、クスリと静かな笑みを漏らすと、僕たちに言う。
「そのままではお体が冷えます。
「ああ……うん、そうする、ありがとう、桜花」
麻緋の少し困ったような溜息を耳で聞きながら、僕はそそくさと、浴場へ向かった。
……ダメだな、僕は。感情が直ぐに顔に出てしまう。
それにしても、僕が知る限りではあるが、ここにいる人の数からしても随分と広い浴場だよな……。
外部から遮断されたような拠点だが、浴場に来ると日常が戻ったような気分にはなるが……。
頭の中が色んな事で一杯だ。
理解しつつも、感情が追いつかないのが正直なところだ。
いや……そういうよりも、感情が先走りして落ち着かないんだ。
僕は、泡が周りに飛ぶくらい、髪をグシャグシャと掻いた。
いきなり、バシャッと湯が頭に被せられる。
「なっ……」
僕は顔を拭い、振り向いた。
「……麻緋……」
「考え過ぎだ。余計な感情も一緒に流してしまえ」
「うん……分かってる。ごめん……」
「別に謝る必要はねえけど。まあ……割り切るっていうのも、難しいよな」
「……うん。だけど……大丈夫だから。やるべき事っていうか、生き方が見えた気がするし……」
「……そうか。それがいいか悪いかは、俺たちの今の現状からして、なんとも言えないがな?」
そう言って麻緋は、ははっと笑う。
「ああ、そうだ、麻緋……あの呪符なんだけど」
「うん?」
麻緋は、髪を洗いながら僕の話を聞く。
「本当に僕が使っていいのか? あれは凄い呪符だよ……あの呪符を描いた人って一体、どんな……」
「知らねえ」
麻緋は、思い出すような素振りもなく、即座に答えた。
「は? お前の家に保管されてたんだろ?」
麻緋は、泡を流すと髪を掻き上げ、ふうっと息をつく。
「だから、眠っているって言っただろ。俺も親父も、そもそも藤堂家は呪符を使わなくても術が使える。だから正直、呪符があると知ったのは、最近なんだよな……」
「最近?」
「ああ、最近」
……最近。
意味ありげにも聞こえるその言葉に、あの男の言葉が頭の中を掠めていく。
「なあ……麻緋」
僕は、一呼吸置くと、ゆっくりとした口調で言葉を続ける。
「眠っているって……封印されていたから……麻緋が……封印を解いたんだろ……? だから同時に、呪符があると気づいた。麻緋の紋様は、あの呪符と似ているし……」
麻緋は、僕を振り向くと、うっすらと笑みを浮かべた。
僕は、麻緋の表情を窺いながら、言葉を続ける。
「 麻緋の持つ正邪の紋様こそが、藤堂家そのものであり、始まりは呪符だった。それならあの呪符が封印されていても不思議はない」
麻緋は、僕の言葉に答えず、湯船に向かい、ゆったりと浸かり始める。
……答えたくない……か。
それに、家の事や力の事を、あまり追求されても困るよな……。
麻緋の言葉を待つにも、胸に広がる痣に、つい目が向いてしまう事に、僕はまだ流しきれていない泡を流し始めた。
まあ……麻緋は気にしていないようだが。
「来」
呼び声に振り向くと、天井に紋様が浮かんでいた。紋様の広がり方によって、その威力も変化する……浮かんでいた紋様は然程、大きくはなかった。
「麻緋……それって……」
波打つ湯面に光が乗り、ゆらゆらと揺れる。それが一本の線となると、泳ぐようにぐるりと回った。
その様を見せる事で、僕に答えているのだろう。
……直ぐに気づいた。
『封印されたその術を、自らの手で解放しましたね……?』
地を這うように走った亀裂。収監所が崩壊し、男目掛けて瓦礫が落ちた。
あの時……麻緋は両手をポケットに突っ込んだまま、呪符を使う事も、呪文を唱える事もなかった。
あの力は、戦闘に特化したものだ。
だが、それは麻緋自身の力を発するものではなく、その力の解放と封印を可能としているんだ。
『正邪の紋様は、善悪を見定めるが、それを反転する事も出来る。陽が満ちれば陰となり、陰が満ちれば陽となる、つまりは陰陽転化だ』
麻緋のあの言葉は、間違いなくそれを意味している。
やはり、あの力は……。
理性などない。
桜花のように人の姿を持つ事もなく、強大な威力で本能のままに破壊する。
主戦闘諍訟……だ。
麻緋は、ふっと笑みを見せると、紋様を解く。同時に金色の光も消えた。
「何故俺がこの呪いに耐えられるか……」
胸元の痣に触れながら、麻緋はクスリと笑みを漏らすと、こう言った。
「解放と封印……来、お前の言う通り、俺自身が呪術回路だからだよ」
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