第23話 幻影のモノローグ
僕は目を閉じ、収監所に現れた、あの男の言葉を思い起こした。
『封印されたその術を、自らの手で解放しましたね……?』
封印された術の解放。
麻緋の持つ正邪の紋様は……。
『染まらなかったな……俺と同じ闇には』
麻緋が男に返した言葉が、頭の中に広がる。
「麻緋と同じに染まったのか」
九重の言葉を聞くと同時に、僕はゆっくりと目を開けた。
麻緋と同じ……闇に染まる。
「守る為には、染まらなければならない闇があるんだよ」
僕の言葉に九重は、ニヤリと含みのある笑みを見せた。
「じゃあ……
九重は、力を振り絞るように、地に思い切り手を叩きつけた。
その動きに反応し、再び屋根の上に複数の人影が現れると、一斉に九重へと向かい、連れ去って行った。
九重を追う事なく、無言のまま、麻緋は屋敷の中へと入って行く。
「麻緋……」
僕も屋敷の中へと入った。
「……何も変わっていないんだ。物の配置も、何もかも全て変わっていない。荒らされた様子など、何もないんだよ。声が聞こえてきそうだろ……」
麻緋は、肩越しに僕を振り向きながら、扉に手を掛ける。
「……麻緋……」
だが、麻緋は扉を開きはしなかった。
「お帰り……ってな……」
そう呟き、麻緋は手を下ろそうとしたが、意を決したように扉を大きく開いた。
「……っ……」
僕は、言葉に詰まり、息を飲んだ。
……こんなのは……あんまりだ。
目の前に広がる光景に、ギュッと手を握り締める。
『お帰り』
本当に……声が聞こえてくるようだった。
大きく開かれた扉から見える広い居間には、闇に身を潜める事になる前の、麻緋の日常であった事だろう。そんな平穏と言える光景が、映し出されている。
何処にでもあるような家族の団欒が、無声映画のように流れていく。その中に麻緋が混じっていくのが見えたが、それは幻影だ。本当の麻緋は中に入る事はなく、僕の隣にいるのだから。
こんな幻影を残す事で、麻緋を苦しめ続けるというのか。悪趣味にも程がある。
だけど……。
「……どうして……いや……」
僕は、直ぐに口を噤んだ。
どうして幻影を消さず、このままにしておくのか……そう訊くのは酷な事だ。消さないでいる事の思いが分かるだけあって、身につまされる思いになる。
僕にしたって、当たり前だった日常が、戻ったようにもこの目に見えたなら、抑えきれない感情が込み上げた事だろう。
過去には戻れないと分かっていても、後ろを振り向かずにいられない。あの日に戻りたいなどと思う気持ちも抱えたくない、感傷になど……浸りたくもない。
だけど、麻緋が僕に返した言葉は、後ろを振り向いてなどいなかった。
「手掛かりだからだよ」
「手掛かり……」
「ああ。そっくりなんだよ。幻影を作るにしても、その姿、表情や仕草……そして繰り返されるこの動作は、見た事のある奴にしか作り出せない幻影だ」
「確かに……そうだな。だけどそれなら、九重なんじゃないのか? 悠緋を連れ去っているんだし、お前の事もよく知ってるんだろ」
「なあ……来。あの幻影と目が合うか?」
「合わねえよ……って……」
僕は、ハッとして麻緋を振り向く。
「窓から……覗いていたって事か」
まるで無声映画のようだと感じたのも、そういう事か。
「もしも、この幻影を作り出した奴が塔夜なら、今、俺たちがここから見ているような幻影にはならない。あいつは、普通に訪ねて来ていたからな。それなら幻影といえども、時に目線が合うはずだろう」
「……そうか」
僕は、麻緋の言葉を聞きながら、中へと入って行く。
「……来」
「麻緋だって分かっているだろ。幻影術は視覚をコントロールされる。だが、こういった人の姿を現す幻影術は、幻影は幻影でも霊体が混ざる……だってほら」
僕は、幻影へと手を伸ばす。
「この呪符を霊縛符にしてみたら、掴めるからね」
霊体といっても、死者とは限らない。
自分の意思で霊体を現す事が出来る、僕たちが見ているのはバイロケーションだ。
「ああ……確か」
僕の言葉の後を、麻緋が続ける。
「収監所でのあの男と同じ……だろ?」
あの時……麻緋がなんて呟いたか、今になってはっきりと分かった。
『アタリだ、成介』
「ところで」
「うん? なんだ、麻緋?」
「なんでお前は、迷う事なく悠緋を掴んだ?」
「なんでって……」
僕は、悠緋からそっと手を離す。
僕が悠緋の腕を掴んだ瞬間に、居間に広がる幻影は静止画のようになったが、手を離すと幻影は、また同じ動作を繰り返した。
「……麻緋」
麻緋は、先を聞かずに静かに頷きを見せた。僕が言おうとしている事を察しているようだ。
「来……お前を連れて来て正解だったな」
ふっと笑みを見せる麻緋に、僕も静かに笑みを返したが、同時に真顔に変わった。
「……声が聞こえたんだよ。麻緋……」
その言葉に裏があるのか。
それとも、その言葉通りなのか……。
「『僕を……助けに来ないで』って……」
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