17:終わりかけの椿

 当時は幼すぎて、物の道理など分からなかった。そう前置きしておけばいくらかは同情を寄せてもらえるのではないか。書いたのは、誰か読む者があればいいと思ったから。だから、こうして匿名小説企画なんかに投稿する。

 手記なんていう見栄えのいい物にはならない。ただの書き散らし。この年齢になるまでずっと抱き続けて来た罪悪感を、どうにか手放してしまいたい。いや、違うな、手放したくないんだ。これまで口にできなかったのに、ずっと誰かに知ってもらいたかった。ずいぶんと要領を得ない書き出しになってしまった。

 ざっくりと、昭和中期としておこうか。私はまだ幼かった。手がかからない子どもだとよく言われたから極力そうあろうと努力していた。それなのに、弟が生まれるときに親戚の家に預けられたのは、納得行かなかった。私が当時住んでいた東北地方で言うところの「あまされた」だと考えた。冬だった。とても寂しかった。

 それでも、いい事もあったんだ。冬なのに雪が積もるほどではなくて暖かい。そして大きな家で、テレビがあった。あの頃、私の家にはまだなかった。

 大人たちはね、私をどう扱ったらいいのかわからなかったようだった。たぶん何かの事業をしていたのだと思う。ひっきりなしに業者さんが来ていて、私は玄関方向へは行かないよう言い含められていた。

 大人が大勢いる中で子どもは私ひとりだけ。みんな忙しそうにしていて、私はいい子として連れて来られたのだから、よく知らない人たちの手を煩わせる言動はできなかった。萎縮してしまっていたんだな。それに、もしかしたら自分は両親から捨てられてしまったんじゃないかなんて、本気で思ってしまった。泣きたかった。でも泣けなかった。私は、いい子だったから。

 おもちゃなんかもない。家から何冊か絵本は持って来たけれど。それだっていつも読んでいる物だ。私はすぐに退屈してしまった。誰かがそれに気づいてくれて、テレビのある居間へ連れて行ってくれたんだ。そしてテレビまんがを点けてくれた。昔はね、アニメーションなんて言葉はなかったんだよ。

 サリーちゃんて知っているかい。私がその時観た番組だ。内容が当時の私でも理解できる物で、とても惹き込まれて観たんだよ。白黒だった。目の前で紙芝居とは比べ物にならない現実感で動いて、しゃべって、迫ってくる。

 驚いたよ。驚いた。そして本当の事と感じてしまった。その時観た内容は、みんなでピクニックへ行くのに、カブ小僧だけが仲間外れにされた物だ。私はその小さな少年、カブの身に起きた事を自分に重ねてしまってね。家からあまされて、遠くへやられた自分にね。同じ位の年の男の子に見えたからね。

 泣いた。悲しくて、寂しくて、ぐずぐずと泣いた。そしたらね、すっと脇からみかんが差し出されたんだ。剥いてあった。私はね、私をテレビの前に連れてきてくれた人が、そこに残っていると気づかずに集中してまんがを観ていた。驚いたし、恥ずかしかった。


「半分こっつね。食べようじゃ」


 私よりはずっと年長の女の子だった。

 名前はね、覚えていないんだ。教えてもらわなかった。どう尋ねればいいのかわからなかったから。だから私は時々あれが夢だったんじゃないかと思う事がある。それでもね。

 毎週一緒にサリーちゃんを観るようになった。途中からカラーになった。孫悟空のまんがも観たよ。毎回みかんを「半分こっつ」した。時々酸っぱかった。話す事は殆どなかった。

 そんな思い出がしっかりと私にはあるんだよ。時間になったら、ただじっと一緒にテレビの前へ座っている。それだけだった。でもあの時の私にはかけがえのない時間だった。

 そして冬が去り、春が芽生える時期。庭には終わりかけの真っ赤な椿が咲いていた。

 私にお迎えが来ると大人が言った。私は驚いた。嬉しくて、寂しかった。みかんを「半分こっつ」するのはそれで最後だと気づいたから。

 サリーちゃんが始まる前に私は思い切って彼女に話しかけたんだ。半分こっつしようって。その言葉に意味なんかなかった。彼女はみかんを剥こうとしたけれど、そうじゃないと私は言った。

 自分でもどうしたいかわからなかった。彼女の手を引いて部屋を出て、走り回って。一緒につっかけを履いて庭へ行った。

 ただ、椿が奇麗だった。それだけだったんだ。一緒に見たかった。あの赤、すごく奇麗。私は彼女を振り返ってそう言った。

 彼女はちょっと笑って、きれいだね、と言った。そして、一呼吸の後に椿が咲いた。真っ赤な。彼女の唇を彩る椿。

 喀血だった。沢山大人の声が聞こえた。その後の事はよく覚えていない。

 私は、この散文を書くに当たって、最初に罪悪感と書いた。罪悪感なんだ。私は、今に至るまで彼女の事をよく知らない。それでも、あれが初恋だったと言える。

 ただただ、記憶にこびり着いて離れないのは、赤い唇。

 私は、あの時彼女を美しい、と思ってしまったんだよ。

 終わりかけの椿みたいに。

 とても。

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