16:今夏のポジションチェンジ
ボロボロのバスケットボールを抱え、二人、公園に向かう。
その隅にあるハーフサイズのバスケットコート。それがおれとシオリ
が、中学生になったシオリ姉は勉強やら部活やらで相手をしてくれなくなった。
夏休みは仕方なく一人で特訓したものの、全然楽しくなくて。
「一緒に行こう」とせがんで頼み込んで、今日ようやく頷いてくれた。隣にシオリ姉がいるのは久しぶりなのだ。
夏ももう終わりだというのに暑かったが、気にもならない。やっと特訓の成果を見せられる。
見慣れたコートに近づくと、残念なことに先客がいるようだ。
「あ」
急にシオリ姉は立ち止まった。
「ねえ、やっぱり今日はやめとかない?」
「え! なんでだよ。せっかくここまで来たのにさ」
「ほら、使ってるし」
「そんなの待てばいいだけだろ」
コートの利用時間は三十分交代だ。
時間を守って使いましょう、と丁寧に張り紙もしてある。
いつもならコート付近のベンチで待っていたのに何だかおかしい。
「でも……」
言い淀むシオリ姉に声をかけてきたのは、コートを利用していた男の一人だった。
「あれー? 詩織ちゃん?」
ピタリと静止したシオリ姉に向かって手を挙げている。
「……先輩」
シオリ姉はペコリとお辞儀した。
小声で「誰?」と聞くと「バスケ部のキャプテン」と返事がある。
「ええー、休みの日なんだからテキトーでいいの。詩織ちゃん、ここよく来るの? 俺は今日初めて来たんだけど、知った顔に会えるなんて思ってなかったわ」
「私も、です」
「あ、使う? えっとオトモダチ? ごめん、あと十五分だけ待っててくれない? 今いいところでさ」
「え、全然大丈夫です! ね?」
シオリ姉から同意を求められれば頷くしかない。
もう五年生だし我儘なんか言わないし、おれの知らない中学での関係もあるんだろうし。
そう納得しようとするとなぜだか胸が痛んだが、ぐっと堪える。
そういえば初めてセーラー服姿のシオリ姉を見た時にも痛みを感じたっけ。だけど、それとは比にならない。なんだこれ。耐えろおれ。
結局いつもと同じベンチで待つことになった。
先輩に会ったシオリ姉はそわそわしていたが、すぐにプレーに夢中になっていた。
大きな身体でボールを華麗に操る姿は、身近な目標としては充分すぎるほどだったけれど。
「はぁ……格好いいなぁ」
隣から聞こえた思わず漏れた声に、おれは頬杖したまま眉を顰めた。
なんだよ。おれだって。
ハーフコートの中で、先輩とやらはダムダムとボールをつき、シュートを狙う。
ディフェンス相手に右へ行くと思わせつつ、くるりと身体を回転させて逆サイドへ。置いてけぼりを食らったディフェンスが諦めるほどに、ボールはすぐに手から離れ、綺麗な弧を描いた。
空気を切るような音と共に、ゴールネットが揺れた。
上手い。それは認める。
けど、おれだって、もう少し身長が伸びて体格も良くなれば。
「おれだって、できるし」
むっとしたまま隣を見たが、シオリ姉の視線はずっと先輩だ。
真っ直ぐに見つめる眼差しには、見たことのない熱が帯びる。これは本当にシオリ姉だろうか。
隣にいるおれの存在なんてすっかり忘れたように、釘付けだ。
いつもなら「男に見惚れてるー」なんて言って茶化すのに、どうしでも口にはできなかった。
正直、気分が悪い。楽しいバスケをしに来たはずだったのに。くそう、そんな目なんかするから。
名前も知らない先輩をずるいと思った。シオリ姉のこと全然知らないくせに。
悪戯が好きだとか虫は嫌いな振りをしているだけだとか好きなアイスのことだって、絶対おれのがわかってる。
こっちを見ないシオリ姉にも、格好よくドリブルする先輩にもイライラして──気づく。
シオリ姉には、おれを見てほしいんだ。
そう気づいてしまえば、隣に座っていることすらなんだかむず痒くて、持っていたボールを真下の地面に投げつけた。
突然の奇行にシオリ姉は当然おれを見たけれど、もちろん先輩を見ていた目とは全然違う。
焦がれた。
もっと大きくなるしもっと格好良くなるしバスケだって上手くなるから。
どうか、おれを見て。
そんな視線にもシオリ姉は気づくことなく、今度は先輩のスリーポイントシュートに夢中で。
想いを自覚したと同時に、これがおれの今の
「シオリ!」
驚いた顔でシオリ姉がこっちを見た。
「何、急に。呼び捨て?」
「うん。今日からシオリって呼ぶ」
遠くで蝉の声がする。夏の終わりでも諦めていない。しぶとく生きる蝉に励まされるようだった。
おれはこれから弟ポジションを卒業することにする。
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