08:デイジー・ブルー

 あいにくの雨。

 五月の雨だから五月雨でいいんだっけ。それとも昔と季節が違うから違うんだっけ。

 まあいいや、そんな事は今はどうでもいいよね。

 ぼくは大雨を着込んだレインコートでさえぎって、あかりちゃんの家の花壇に向かう。



――そんなにお花が好きならうちの庭の花壇を使ってくれていいよ



 男なのに花が好きな事にちょっとだけ悩んでいた頃、ぼくは幼なじみのあかりちゃんの家に誘われた。

 ぼくの家はマンションだから、満足に土いじりもできない事を分かってくれて、誘ってくれたんだ。

 半年前に見せてくれたあの時の笑顔を、ぼくの頭の中にずっとある。胸のドキドキもずっと感じてる。

 花が好きなのは間違いない。花を育てられて嬉しい気持ちは確かにある。

 だけど……、たぶんぼくの胸が騒いでるのはそれだけが原因じゃない。

 ずっと胸の奥にあるのはあの笑顔。

 家族ほどではないけど、幼稚園の頃から近くでぼくを見守っていてくれたあの笑顔を意識してしまったからなんだ。

 こんな事言い出せない。誰にも相談できない。特に姉ちゃんになんて口が裂けても言えるはずがない。



――何を育てるつもりなの?



――色々育てたい花はあるんだけど、デイジーがいいかなって思ってるんだ



――へえ……、デイジーが好きなんだ?



――うん、好きなのもあるんだけど……



――けど……?



 思い出す半年前の会話。それ以上はごまかしておいた。

 デイジーは咲くまで時間がかかるから、その間通い続けられると思ったからなんて伝えられるはずがない。

 デイジーが咲く頃には、ぼくの気持ちの整理もできるかもしれないって思っていたなんて。

 そんなぼくの弱虫な心を見抜いてくれたのか、植えたデイジーは予想以上に遅咲きだった。

 開花時期がこんなにギリギリまで遅れるなんて予想外過ぎる。

 でも……、今日こそは間違いない。

 雨に降られる花壇を見渡す。

 つい笑顔になってしまってから頷く。

 雨の中でもはっきりと分かる。



「デイジー……、咲いたのかい?」



 ぼくのレインコートに降っていた雨が大きな傘にさえぎられる。

 何より先に庭に駆け込んだぼくの姿を見つけてくれたんだと思う。

 雨の代わりに、ぼくの心を高鳴らせる優しい声が降ってきてくれた。



「うん……、だいぶ遅咲きだったけどもう大丈夫。このデイジー、しっかり咲いてくれたよ」



「そっか……、よかったじゃない」



 青いデイジーの真ん中くらい明るい笑顔と優しい声にぼくは包まれる。

 気付いた。

 ううん、気付いてたけど怖くて目をそらしてた。

 でも、デイジーとこの笑顔に包まれてしまったら、もう嘘をつく事なんてできない。

 ぼくはきっと初恋をしてしまっているんだ。

 目の前の温かい笑顔に。

 ずっとぼくを見守ってくれていた視線に。

 思った時には口を開いてしまっていた。



「ねえ、よかったらだけど……」



「あっ、ヒロくん、急にどうしたの。そのデイジー咲いたの?」



 ぼくの気持ちを伝えるより先に、家にいたらしいあかりちゃんが傘も差さずに駆け寄ってくる。

 こんな雨なのに相変わらず元気だなあ……。

 ぼくの大好きな笑顔が苦笑いになってあかりちゃんに向けられる。



「ちょっとあかり……、雨の日は傘を差しなさいってお母さんいつも言ってるでしょ?」



「いいじゃない、自分の家の庭なんだから。まったく……、お母さんったらいつも細かいんだから」



「あんたも来年には中学生なんだから、もうちょっと常識を知りなさいよね……」



 ため息をついたあかりちゃんのおばさんと笑い合う。

 困った感じではあるけれど、本気で嫌がってるわけじゃない笑顔。

 ぼくはずっとその笑顔の事が大好きだったんだ。

 花が好きだって言った時も、馬鹿にしたりからかったりせずにぼくの事を考えてくれたその笑顔が。



「ねえねえヒロくん、デイジー咲いたんならあたしにもちょうだいよ。あたしの家の庭なんだから」



「その図々しさには逆に憧れるけど、ダメだよあかりちゃん。このデイジーはぼくだけで育てたわけじゃないんだから」



「えっそうなの?」



「そうだよ、分かるでしょ? ぼくがいない間、面倒を見てくれたのは……」



 視線を向けておばさんと頷く。

 ぼくは知っている。

 ぼくがデイジーの世話をできない間は、おばさんがずっと気にかけていてくれた事。

 ぼくにしてくれたようにデイジーを大切に思ってくれていた事を。

 ずっとぼくにしてくれていたみたいに。

 だから……、



「おばさん、今日までずっとぼくのデイジーを育てさせてくれてありがとう。お礼というわけじゃないけど……、このブルーデイジー貰ってくれる?」



 おばさんは少しだけ驚いた表情をしてから、それでもぼくの大好きな笑顔をぼくに向けてくれた。

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