02:初恋の思い出
『きみは、こういう花。好きかな?』
ぼくはその声をずっと憶えている。そっと包み込んでくれるような、何か一文字分を聞くだけで安心できてしまう、そんな声。頭の中には常に、もう一度あの人に会いたいという思いがあった。
「花のことにすごい詳しくて、声がきりっとしてるんだけどほんわかもしてて。確か姉ちゃんと同じ西高の制服だった気がするんだけど、心当たりとかある?」
「んー? パッと出てくるのは
「……あっ、こ、この人」
「なに? もしかして春香のこと好きとか?」
「そっ……そういうのじゃないって」
姉ちゃんが見せてくれた修学旅行のアルバムには、確かにぼくがあの時会ったお姉さんが写っていた。
「春香に会いたいなら言っとくけど」
「いいってそういうの、……お節介だから」
「しっかし、あんたにもそういう感情があったとはねえ。どこで会ったのか知らないけど」
「だから、そういうんじゃないって」
姉ちゃんにはそう言ってみるものの、説得力がないなと自分でも思う。だって春香さんは、ぼくの全てを変えた人なのだから。
『ん? あ、そこのきみ。そんな離れたとこで見てないで、こっちおいでよ』
初めて見かけたその時、ぼくは一瞬で春香さんから目が離せなくなった。離させてくれないとさえ思った。電柱と電柱の間の距離くらい離れていても、さすがに立ちすくんでいれば春香さんも気づいてしまって、ぼくは声をかけられた。
『ね、これなんの花か分かる?』
『い、いいえ……』
『ハコベラ。春の七草、学校で習ったかな。順番に言ってみて?』
『セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ……あっ』
『そう。ちっちゃくてかわいいでしょ』
ぼくならそんなに小さな花なんて見逃してしまいそうなのに、まるで春香さんの視界にはそれしかないくらいに一生懸命、いろんな角度から観察していた。
『きみ、何年生?』
『えっと……四年生』
『そっか、じゃあずいぶん年下だね』
『え?』
『んー……きみもお花好きそうだし、友達にはなれそう? なっとく?』
春香さんが手を差し出してきた。ぼくはちょっとだけ迷ったけれど、右手を出し返して、ぎゅっと握手をした。女の人と握手をするのは初めてだったけれど、だからと言って別に変わったことはなかった。
『きさらぎ、はるか。よろしくね。そこの北公園、分かる? この時間は大体そこにいるから、また話そうよ』
ハコベラの写真を撮り終えたのか、春香さんはそう言ってにこっと笑って、それからひらひらと手を振りながらぼくの家とは反対方向へ歩いていった。お母さんとか姉ちゃんのつけている香水や、花の匂いっぽくもない、「春香さんの匂い」みたいな香りがふわっと漂った。
ぽた、ぽた、ぽた。
最初は何も考えずにズボンのポケットからティッシュを取り出そうとした。姉ちゃんも花粉症で目がかゆいと言っていたし、ぼくも鼻水が出たんだろうと思ったから。でもそれは鼻水ではなく、鼻血だった。お風呂に長く入りすぎてのぼせた時にしか出たことがなかったのに。ティッシュが真っ赤になったのを見てから、ぼくは頭がものすごく熱いことに気づいた。とっさに、春香さんのことで何かすごくダメなことを考えてしまってるんじゃないかと、そんなことを思った。春香さんは友達じゃなくて、もっと違う感じの人。今までだれかと会って話をして、友達じゃなく、もっと仲良くなりたいと思ったことなんてなかった。ティッシュを次から次に真っ赤にしながら、ぼくはぼくだけに聞こえるくらいの声でつぶやく。
『す……好き、……好き、です』
それからいくらか経って、ぼくはスマホを買ってもらった。一番にやったのは、春香さんとのLINEの交換。姉ちゃんにはもちろん内緒だ。
そして今日、ぼくは春香さんと駅前のハンバーガー屋さんで待ち合わせをしている。初めての北公園以外での待ち合わせ。これがたぶん、デートというやつなんだ。
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