第65話 中庭にて

「あれ、伏見さんだ」


 中庭のベンチに一人腰掛け、お弁当箱を膝に乗せた所で少し離れた所から声をかけられた。


「……こんにちは」

「こんにちは。お弁当? ご一緒しても?」

「……申し訳ないんですけど」


 遠慮していただけますか、と続ける前に、呼続は真の横に腰を下ろした。


 思わずじとりとした目で見るが、呼続は全くそれに気付く素振りもない。

 ビニール袋からサンドウィッチと紅茶を取り出して、ペットボトルの封を開ける。


「濡れていないベンチが此処と彼処しかないんだけど、あちらは埋まっていてね。顔見知りで良かったよ。流石にカップルの邪魔は出来ないでしょう?」

「……はあ」

「いつもは職員室で食べるけど、今日はとても良い天気だからね。伏見さんも同じ理由かな?」

「いえ、私は……」


 「友達に避けられているからです」と、素直に理由を言う訳にもいかず口を噤んだ。

 呼続はそこで初めて真の様子に気付いたように笑みを消して、真の様子を窺うように見下ろした。


「首、どうしたの? 随分しっかり包帯が巻いてある」

「これ、は……」

「もしかして、また夢を見た?」


 言い当てられてぴくり、と肩が揺れた。


 真はウロウロと視線を彷徨わせて、呼続の方を見ないようにして頷いた。言い当てられて驚いたからでもあったし、もし、またあのうっとりした目で見られたら殴りそうだった。


「夢の中で首を絞められて、起きたら、……痣が」

「……予想より早い」

「え?」


 ぼそりと呟いた呼続の言葉が聞き取れず、真は怪訝な表情を浮かべた。


「夢を見始めてからのスピードや衰弱具合からして、接触まではまだ猶予があると思っていたのに。もう触られる程接触して、しかも現実に影響が出てる」


 真に話しかけている訳ではないのだろう。独り言のようにぶつぶつと呼続が呟いて、虚空を睨んでいる。


 その表情は思ったより真剣で、何やら脳裏で凄まじいスピードで考え事をしているように見えた。

 ぶつ切りになった音から何やら小さな声で言っているらしい事はわかるが、内容は耳に届かない。


「昨日、寝る前までに精神的にダメージを負うような事があった?」

「!?」


 虚空を睨んでいた呼続が、急に、ぐるりと頭を回して真を見た。

 ホラー映画の演出のような動きを見て、真はびくりと身体を跳ねさせて怯えてしまった。そのせいで、質問を理解するまで数秒を要した。


「……えっと、ありました。嫌な事と、……死んじゃいたいくらい、ショックな事が」

「死にたいくらい」


 呼続は真の言葉を繰り返してそう言って、納得したように一つ頷いた。


 真は先程の動きを警戒して、バクバクと早鐘を打つ心臓を抑えるように手を当てる。


「理由は間違いなくそれだろう。君の心の隙間に、入り込まれた。……触られたという事は、もうそれは家の中に入ってきているんでしょう?」

「はい。土間にいて、気付いたら目の前……玄関の内側にいました」


 真が言うと、呼続はもう一度頷いた。

 そのまま、二人で食事も摂らずに顔を見合わせる。


 ベンチが濡れているせいか、周囲に人は居ない。

 向かいの乾いたベンチが遠かったのが幸いして、二人の様子を見ている者は居なかった。


「干渉が深くて、現実にも影響が出てる。顔色も悪い。食欲は?」

「……昨日の夜も、今日の朝も食べてないです。今も、食欲はないです」

「眠れなくて、食事も摂れていない。このまま続けば衰弱する。睡眠と食事がとれなければ、どんなに健康な人でも病気にはなるよ」

「何、どういう事ですか? ハッキリ言ってください……」


 真が狼狽えて、震える声を搾り出すようにそう言うと、呼続は一度視線を外して、ゆっくりと息を吸った。


「このまま放置すれば、最悪の場合命を落とす」

「!――」


 真の望み通りハッキリと断言して、呼続は真をまっすぐに見た。

 想像していた言葉だったが、存外真はショックを受けた。


 そのまま、揺れた視線を呼続から逸らす。呼続は眉を寄せて、痛ましそうな顔をした。


「原因がわかれば……」

「祖父の家に、行きます。今日、学校が終わったら直ぐにでも」

「ご親族の方が管理なさっていると言っていたよね? その方に連絡は?」

「電話番号登録してるので、今します」


 真がスマートフォンを取り出して電話をかけるのを、呼続は無言で見る。慌てて発信ボタンを押したが、何回コール音が鳴っても相手は出る気配がない。


『――もしもし?』


 十回以上コール音がし、真が諦めかけて切ろうとした頃、低い男の声がした。真は弾かれたように顔を上げて、続ける。


「叔父さん、真だけど! ねえ、今日家行っていいっ?……無理、ピンチなの! り、理由は……言えない。……うん、でも……うん、うん……ありがと。わかった……また電話するね」


 素早く電話を切ると重い疲労を感じ、真は一度大きく深呼吸をして、スマホをポケットに仕舞った。

 呼続は横で静かにサンドウィッチを食べていたが、電話が終わったのを察すると真を横目で見た。


「ご了承いただけた?」

「『明日にしろ』って言われました……」

「うーん……今晩が心配だけど、夜に遠出するのは僕も勧められないから、良かったと思うよ」

「緊急なのに」


 ぼやくと、呼続は仕方なさそうに苦笑した。


 結局、真はお弁当を少しだけ摘んで直ぐに片付けた。

 喉に詰まるような違和感があり、上手く飲み込む事が出来ないのだ。


「放課後、保健室で待っているね」


 呼続はそう言って笑うと、真よりも先に中庭を後にした。


 真はぼんやりとその背を見送って、昼休憩が終わるまで中庭で一人で過ごした。



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