第53話 呪い?(3)


 真はそわそわと落ち着かないまま、呼続から視線を逸らした。自然と声のボリュームも下がっていく。


「……何だか最近、気が滅入ってるんです。このまま、また夢を見たら私、負けちゃうんじゃないかって、そしたらもう、目が覚めないんじゃないかって。でも、そんな自分がらしくないって、今も、情けなくて……」


 言いながら、これも愚痴だ、と嫌な気分になった。


 真自身は普段、そこまで深刻に思い悩む方ではない。だからこそ、今のような気持ちの対処法もわからなければ、過剰に自分を責め立ててしまう。


 真の様子を見て、呼続は緩く首を振った。


「睡眠の質が低下すると集中力も欠くし、メンタル面の影響は大きいよ。ナーバスになるのは当たり前の事で、君が自分を責める必要はどこにもない」


 そう言い切った呼続の表情は真剣そのもので、いつもの人を惑わせる笑顔は浮かべていなかった。生徒のメンタルケアをする教師そのものの表情だ。


 真は暫く返答も忘れてぼんやりとその顔を見ていた。


 思えば、誰かに本心から弱音を話したのは久しぶりだった。


 思春期である事も含めて、年々、母である美琴にすら言えない事が増えてきていた。

 けれど何故か、呼続に愛想や誤魔化しの笑みを浮かべる気にはならなかった。一番シンプルな気持ちで接する事ができた。それがどうしてか、真自身にもわからなかった。

「呪いに強いのは薬師如来様だそうだよ。僕の周りに、昔から不運に度々遭うタチの人がいてね。彼は祖母から呪文を教わって、不安な時や怖い時はそれを唱えるらしい。伏見さんも、暗い気持ちになったら薬師如来様にお祈りすると良いかも知れない」


 そう言うと、呼続は真が間取りを描いた紙の端にサラサラとペンを走らせた。折り畳んで折り線をつけると、器用に指で線に沿って千切る。


 真は口を小さく開けて無言のままそれを見ていた。

 自分には出来そうもない早業だ。


「オン……コロコロ、センダリ……マトウギ、……ソワカ?」


 馴染みのない真でも読みやすいように区切ったそれを、大事に受け取る。


 真はまじまじと文章を読むと、続けて何度か練習のつもりで小さな声で呟いてみた。練習しておかないと、咄嗟に唱える事も出来ないだろう。


「悪霊に対処する時の呪文、みたいなものもない訳ではないけれど、伏見さんは今、精神的に疲れているみたいだから」


 じわりと胸に温かな物が広がるのがわかった。最近の悪夢で疲れていたからか、優しさが沁み入るようだった。真は信仰を持たないが、縋るものがあるというのは確かに安心するようだ。


 きゅっと唇を引き結んで、気持ちしっかりと頭を下げる。

 そのまま、ゆっくりと感謝の気持ちを口にした。


「話、きいてくれてありがとうございます。何だか少し落ち着きました」

「何の役にも立たなかったけどね」


 顔を上げると、呼続が肩を竦めて笑っていた。

 それが真から見ると自嘲のようにも感じ、慌てて言い繕うように言葉を重ねる。


「いえ……やっぱり不安だったので……原因もわからないし。でも、意思の強さで勝てるなら勝ってやろうって気になってきました!」

「意思の力というのはあくまで仮説で、問題解決が最優先だけど、前向きさはいつだって力になるよ。伏見さんの前向きさは美徳だね」


 鼻息荒く、拳を握って宣言した真に苦笑して、呼続は一つ頷いた。どこか眩しいものを見るような目で真を見る。


「一説によると力技より浄化の力の方が呪いには効くという。優しい心を持つ事、だね。僕の方でも何かわかる事がないか調べてみるよ」


 寝ぐずる子供に聞かせるような、優しい声だった。

 真は「はい」と簡潔に言って頷く。


 あんなに毛嫌いしていたのに、呼続と話した事で何やら胸の内が軽くなった気がする。

 それが自分でも意外で、その単純さに些か呆れながらも、表情は気持ちを裏切る事は出来ない。


 緩んだ口元をそのままに、真はぺかぺかとした笑顔を浮かべる。嬉しくなった真は、晴れやかな気持ちで思うままに口を開いた。


「折角だから、祖父の家にも行ってみようと思います。何か解決の糸口もあるかもしれないし、鈍行で二時間位の距離なので!」

「えっ? お祖父様のご自宅に?」


 そのどこか浮き足だったその返答をきいて、呼続の表情が一瞬で変わった。


 本当に一瞬だった。


 その顔を見た真は、口を開けたまま固まってしまい、背中をぴっと反らせて正面を見た。


 浮いたその背中からどっと、汗が滲んだのがわかった。


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