第39話 呼び出し


「伏見、ちょっといいか」

「え? 私ですか?」


 化学室にいた真は突然名指しで声をかけられ、自分を指差したまま小首を傾げた。談笑していたゆうりも、不思議そうな顔で真と栄を交互に見た。


 教室のホワイトボードの横、隣の化学準備室に繋がるドアから男が一人顔を覗かせていた。


 化学教師であり担任でもあるさかえが、ちょいちょいと犬を呼ぶように手招きしているのが見える。


(え、担任から呼び出されるような事、なんかやったっけ……?)


 流石に小学生の頃とは違い、教師に呼び出されるような悪戯はしていない筈だが。


 そう思いながら、席から教室の前へ移動する。

 周囲の生徒が何事か様子を伺うように見てくるのを、どこか居心地悪く感じながら部屋に入ると、栄は準備室との境になるドアをそっと閉めた。


 科学準備室には、栄と真の二人しか居なかった。


 彼は真のクラスの担任ではあるが、特別親しい間柄でもない。何を話すのか全く想像が出来ずに、真は落ち着きなく周囲を見渡した。


「とりあえず、その椅子にでも座って待って――あ、いや、大丈夫だ。……お疲れ様です」

「――?」


 教師が真の肩越しに、焦った様子でぺこぺこと誰かに二度頭を下げた。真は栄が恐縮している人物が誰なのか確認しようとし、振り返って無言で瞠目した。


 真の視線の先、化学準備室と廊下を隔てるドアが静かに閉まる。


 真が驚いている事にも、栄がぺこぺこと落ち着きなく頭を下げるのも全く気にしていない様子で、柔らかい笑みを浮かべた呼続が立っていた。


「お疲れ様です、栄先生。すみません、ノックもせずに。取り次いで下さってありがとうございます」

「いえいえ、とんでもないです!」


 呼続が柔和に微笑んで丁寧に挨拶をすると、栄は過剰な程恐縮した。真は栄の異常な様子を眺めて、怪訝な表情で呼続を見る。呼続が真をまっすぐに見ていたせいで、予想外にしっかりと目が合った。


「伏見さん、急に呼び出してごめんね?」

「えっと……何事ですか? 全然呼び出しの理由がわからないんで、正直気味が悪いんですけど」


 担任から呼び出される理由もわからないが、呼続から呼び出される理由はもっとわからない。

 真意を問うようにやや険のある声を出した真を見て、栄が焦ったように慌てて両手を振った。


「ふ、伏見、呼続先生に失礼だぞ」

「構いませんよ」


 言葉通り気にした様子もなく、ゆったりとした足取りで真の前まで歩いてくる。

 よく解らないが、何か不思議な力関係が存在しているような応酬だった。


 栄と呼続はどのような関係なのだろう。ただの同僚に対しての態度とは思えない。栄の様子はまるで――。何だか呼続の方が偉そうに見える事から、真の中に新しい疑問が増える。


「どうして呼び出したんですか?」


 もう一度理由を尋ねると、呼続が笑みを深めたのがわかった。


「実は、伏見さんに『お願い』があるんだ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る