第38話 詳しい人?
「真、もしかして、今日も見たの?」
真の顔を見たゆうりが開口一番口にしたのは、朝の挨拶ではなかった。
用意していた作り笑顔のまま、真は「んー」と誤魔化す為に視線を外す。
(何も言ってないのに、顔を見ただけでどうしてわかるんだろう……流石親友って事なのかな)
勿論理由は明白だった。真の目の下にはくっきりとした隈が浮かび、明らかに寝不足という顔をしているのだ。
真自身も鏡で見た際、顔色が悪いなと思った程だった。
「見た。……見た、けど、ごめん。その話はまた今度でもいい?」
「……う、うん。真が言いたくないなら……でも、その、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
早口でそう言ったけれど、当然のようにゆうりは納得していないようだった。
顔を隠すように、咄嗟にゆうりの顔を見ずに窓の外を見た。
ガラス越しにゆうりの顔が見える。真の横顔を見ているだろう表情は、心配そうに曇っている。
(ごめん、ゆうり……)
理由はわからないけれど、口に出すのが恐ろしかった。話題を探す為にも景色に目を向ける。
ゆうりと話す内容も浮かばないけれど、何か話題を変えたい。
夢の事を考えたくない。
しかし、何か没頭して考えようとすると、脳裏に夢の女が浮かぶのだ。細部までは思い出せないのに、感じた恐怖だけはありありと浮かぶ。
それが、現実をも侵食されているようで、真は恐ろしかった。
「……そういえば、今日は課題、やった?」
「……やったやった! ちゃーんとやってきたよ。もう岡センに嫌味言わんのやだもん!」
「ちょっと独特な先生だよね」
恐る恐る問われて少し間が空いたものの、ゆうりのお陰で話題を変える事が出来そうだ。
英語教師の岡崎の話題を苦笑いしながら言われて、真は子供のようにあからさまに膨れて見せる。
「独特っていうか、嫌なやつだよ! ゆうりは気に入られてるからなぁ……一年担当で、ゆうりの事嫌いな先生なんて居ないんじゃない?」
「そんな事ないよ。別に私、クラス委員でもなんでもないし。目立たないただのイチ生徒だよ」
「そのかわいさで、目立たない、は無理!」
「なぁにそれ」
バスに揺られながら真がゆうりの頬を人差し指でつつくと、はにかむように笑った。他の乗客の邪魔にならない程度の小さな声で、二人でこそこそと囁き合う。
ふと、思い浮かんだ疑問を投げかけてみる。
「そういえば、何で今年はクラス委員やらなかったの? 中学の時は毎年やってたのに」
「うん、断れなくて、仕方なく、ね……。でもクラス委員って結局雑用だし、別に私じゃなくてもいいから」
特に他意はない質問だったが、ゆうりは少し考え込むようにそう言って、眉を下げて笑った。
『間も無く目井澤高校〜』
バスの自動音声が、目井澤高校のバス停に到着するアナウンスを流した。二人は通学バッグを肩にかけ、降車する準備をしながら話し続ける。
「そっか。私はゆうりじゃない人がクラス委員って、未だに変な感じっていうか、違和感ある」
「三年もやってたからね」
「もし今年もやってたら、高校も三年やってたかもね」
「そうかも。逆に、高校一年のタイミングじゃないと、変われないから」
「高校デビューだ?」
「そうそう」
ゆうりが受け流すように軽く言い合って、バスを降りた。降り注ぐ朝日に、咄嗟に目を眇めて歩き出す。
(あつ……最近、毎日暑い……まだ五月なのに、真夏みたいに)
そういえば、夢の中の日差しも夏のそれだった。真の記憶の再現ならば、盆の景色なのかも知れない。
夏になるまでに夢を見なくできるだろうか。否、出来れば、一刻も早く、あの夢をもう見ないで済むようにしたい。
頭の中の憂鬱な気持ちを押し隠して、真はゆうりと雑談に興じる。
バスからは同じ制服の男女が複数人降りて、同じように校門を潜っていく。
「真、早く行こ。遅刻しちゃう」
「そうだね。東浦みたいにギリギリになっちゃう」
「ちょっと」
冗談めかしてクスクスと笑い合いながら、校舎を目指した。
現実はこんなにも穏やかなのに、夢の中だけが不穏だ。
(……どうしたら、夢を見なくなるんだろう)
詳しい人に聞けばいいだろうか。
(……詳しい人)
そこまで考えて、真の頭の中にあの感情の読めな微笑が浮かんだ。
咄嗟に軽く頭を振った。追い出そうとするが、夢、夢、と考える度に彼の顔が現れて、離れない。
そして、悲しい事に他に誰もヒットしない。
(……うーん、でも、出来れば親しくしたくないんだよなぁ)
女子から人気のある人物と距離を縮めたくない。
考えながら靴を履き替える。ゆうりが怪訝そうにこちらを見て名前を呼んだ。
「真ー? 行かないの?」
「ごめん、行く」
無意識に足を止めてしまっていたらしい。
頭の中に周囲の人物を再度思い浮かべてみるけれど、悲しい事に結局他の選択肢はいつまでも浮かばなかった。
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