第36話 変化する夢(2)


 それは虫の羽音に似ていた。


 チリチリ、カサカサと、羽根のある虫同士が擦れるような音。それは次第に音を大きくしていき、やがて耳を塞ぎたくなる程大きな音になる。


 次にザアザアと電子的な音がし始めた。


 混線しているラジオの音のようで、不快だ。

 平時なら顔を顰めて電話を切り、すぐにその場を立ち去っただろう。


「だ……だれ……でしょ?」

「……きな……」


 途切れ途切れに子供のような高い声がする。音量としては大きいのだが、言葉として耳に届かない。


 真の意志とは裏腹に、耳がその音の意味を理解しようと意識を研ぎ澄ます。


「いっしょ…………ぶっ?」

「おか……こ……!」


 電話の声は不明瞭で、何を言っているのか欠片もわからない。子供の明るい声しか聞こえない所が、不気味さをより増殖させた。


 真は顔を真っ青にしてそれを聴いていた。


 声は次第に大きくなり、けれど耳を塞ぐ事も出来ない。受話器は手から離れず、指先すら動かす事ができない。


(もう、やだ……もう無理……)


 不意に、無力感から膝の力が抜けそうになった。


 出たくもない電話から逃れる事も出来ず、毎晩続くこの夢から逃れる術もない。


 自分にはもうどうする事もできない絶望感が、爪の先の乾いた泥のように頭にこびり付いて剥がれない。


――ガチャ。ガンガンガンガン‼︎


 引き戸を無理矢理にこじ開けようとする音が辺りに響いた。緩慢な動きで視線だけでそちらを見る。


 体は少しも動かないというのに。


 引き戸の古い鍵が何故か暴れる戸に合わせて、少しずつ少しずつ、振動に合わせるように回っていく。

 それを見た真の喉が、引き攣ったように鳴いた。


(なんで……ッ!?)


「ずっ……ね!」

「ずっ……しょ」


 右耳から聞こえていた声は、いつの間にか無邪気な子供ではなく、どろどろとした執念を溶かしたような低い声音になっていた。


 低過ぎて、最早女の声なのか、男の声なのか、それすら解らない。


――ガチャガチャ!!

――ガン!!


「なんで?」

「なんで? なんで?」

「なんで、なんで私」

「なんで」


(もうやめて――!!)


――カチャン。


 発狂した方がいっそ楽だと感じるような音の洪水の中、ついにその鍵は開いた。


 さっきまでの喧騒が嘘だった様に、辺り一面静寂に包まれた。


 ゆっくり、ゆっくりと、焦ったい程緩慢な動きで、引き戸が開かれていくのを、真は目を見開いて見た。――見させられていた。


「やくそくしたよね」


 うっそりとした、愉悦混じりの重さを感じるその声は、電話と引き戸の両方から聞こえた。


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