第29話 怖い夢

「……おじいちゃんの家にね、大きい桃の木のある、広い庭があるの。その縁側に、私が立ってる。夢はいつもそこから始まるの」


 真の顔を、ゆうりは真剣過ぎる程の表情で見つめた。


 ゆうりにしては珍しく、相槌も打たない。けれど時折小さく頷いたり、一瞬眉を顰めたりする。


「……て感じで、昨日はずっとドアを叩かれて終わった」


 結局ゆうりは真が話し終わるまで、一切口を開かなかった。


 呼続に一度感情を爆発させたからか、なるべく客観視して話が出来た。そう安堵する気持ちが僅かにあった。

 一連の流れを話し終えた真は、気持ちを切り替えるように深呼吸をした。


 夢の話をすると、奇妙な気持ちになる。まるで意識がそちらに持って行かれるような。


 自分をしっかり保たないと、今直ぐにでも眠って――そして二度と目を覚まさなくなるような。


「……怖い、夢だね……」


 黙り込んでいたゆうりが、ぽつりと呟いた。

 真は一度頷いて、繰り返すように考える。


(そう……ただの、怖い夢……でも)


「……あれが入ってきたら、私、どうなっちゃうんだろう。目が、覚めなくなったりするのかな……なんて、ね」


 誤魔化す為に笑って、オムライスの最後の一口を押し込む。


 ゆうりは暫く黙って俯いていたが、それを不思議に思う前に、小さな声で

「……ごめんね」

と言った。


「え、なんでゆうりが謝るのっ?」

「……怖い事思い出させちゃったね」


 ゆうりがまっすぐに真の目を見て、少し早口になって言った。見つめ合った目の、コントラストのはっきりした白目に蛍光灯が反射して、つるつるとして見えた。泣くのを堪えて、潤んでいるように。


 改めて「ごめん」と小さく言って、ゆうりは更に深く項垂れた。


「ゆうりが謝る事じゃないよ。なんでこんな夢、続けて見るのかわかんないけど……多分、今だけ。その内見なくなるよ」

「……」


 ハハ、とわざと声に出して笑う。真がなるべく明るく返しても、ゆうりは何か考え込むように押し黙っている。


 何だか様子がおかしい。


 どうしたら良いのかわからずに、真も思わず小首を傾げる。 


「どうしたの? 本当に、ゆうりに話した事、別に気にしてないよ」

「ううん、そうじゃなくて……。なんでそんな事になってるんだろうと思って」

「え……うーん……まあわかんないけど、でも所詮夢だと思うしかないよね。どうにもできないし」

「うん……」


 真の楽観的な発言を聞いても、ゆうりは尚も納得がいかないという風に、暫しの間考え込んでいる様子だった。


 真は弁当箱の最後に残しておいた、小さな緑色のゼリーの蓋を開け、人差し指と親指で挟むように力を加える。指の力で歪んで押し出された、柔らかい緑色のゼリーを慌てて口の中に放り込んだ。


「……ふふっ」


 ぼんやりと考え込んでいたゆうりが、真を見て思わずといった風に噴出した。


「んぉん?」

「んふふ」

「……?」


 口を開けないように「なに?」と、真が返事をする。それを見て、ゆうりは更におかしそうに笑う。

 真は意味が解らずに、ゼリーを殆ど丸呑みにして、ゆうりに再度問いかけた。口の中を空っぽにしたおかげで、今度はきちんと言葉になる。


「なに?」

「ふふ、……んーん。変わってないなって、思って」

「……なんなのさぁ」


 真を見て一人で納得している。ゆうりは楽しげに笑っており、先程までの悩んでいるような、思いつめた表情ではない。


 真はそれにやっと安堵し、嬉しくなって、釣られて一緒になって笑った。

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