第12話 美琴

「ただいまー」


 玄関ドアを開け、大きな声で挨拶をする。


 リビング兼ダイニングの方から真の母、美琴の静かな「おかえり」が返ってきたのを聞き流しながら、玄関に重たい通学バックを下した。


「マコ、あんたご飯食べたの」


 美琴がソファーに体を預け、冷たい無表情で真を見上げる。その言葉に込められた怒気を理解した瞬間、どっと冷や汗が滲む。


(やば……連絡忘れた)


 ファミレスで一瞬思い出したけれど、直ぐに忘れてしまった事を後悔した。だが、もう遅い。


 美琴は睫毛を伏せ、じっとりとした目で真を睨んでいる。ダイニングテーブルに視線を向けると、オムライスやサラダがラップをかけて並べてあった。


 胃の空き具合を確認する。食べようと思えば食べられるくらいには空いている。


 駅で買い物をして遅くなった、ご飯は食べてない、と嘘を吐く事も出来る――が。


「……食べ、た」

「晩御飯要らないなら連絡しろって言ったよね?」

「……ごめんなさい! 一瞬思い出したんだけど、ハンバーグの誘惑に負けて忘れました!」

「皿洗ったら許す」

「う〜……」


 正直に謝罪したが、案の定条件付きのお許しだった。顔を顰めて唸ると、ギロリと目付き悪く睨まれる。

 母に申し訳ない気持ちと、面倒臭さが戦い、出来ればやりたくない、という気持ちがあからさまに表情に出ている。


「誰が悪い? 食べない人の分も夕食作ったのは誰?」

「ごめんなさい! ご飯作ってくれてありがとう! お皿洗います!」

「よし!」


 これ以上ごねれば間違いなく30分以上説教コースだ、と判断し、即座に謝罪した真の判断は正しかった。


 真はひとまず着替えようと、自室へと向かった。

 アパートは古いが個室が二部屋あり、一つが真の部屋だ。


 真の父は真が小学生の頃に亡くなった。

 それから母子二人暮らしだ。

 以前、真が受験の際家事がほとんど出来なかった時期に真が謝罪した時、「学生の内は学業優先。私は学生の頃家事をしていなかったから、手伝ってくれるだけ有難い」と言って笑っていた。


 口が悪く態度もデカいのが難点だが、見習うべき所の多い人だと、真は母を尊敬している。


「そういえば、最近駅の方に変質者が出るらしいよ」

「え、今日駅行ったよ」

「帰り気をつけな。遅くならないように」

「うん、わかった。どんな変質者なの? コート脱ぐの?」

「もうすぐ夏だから最初から全裸なんじゃない?」


 そんなの直ぐに警察に捕まるでしょ、と笑うと、美琴は顔だけ振り返り、フライパンを洗う真をしっかりと見詰める。


「本当に気をつけな。変な人はどこにでもいる。やってる事が一般的じゃない、正しくないって思ってても、それを止められない人もいる」


 美琴は感情の読めない無表情でそう言った。感情表現が豊かな美琴にしては珍しいことだ。

 真は突然の事に少し驚きながらも真剣に聞いて、頷いて見せた。


「ちゃんと見極めな。その為に、相手を理解する努力をすンだよ。……ま、危ない時は直ぐ逃げて欲しいけどね」


 そこまで言って、美琴は話は終わったとばかりにテレビに向き直った。またつまらなさそうにニュースを眺め始める。


 真は最後にシンクを洗って、手を洗って終わりにする。


「お風呂入るね。オムライス、ありがとう。明日の朝食べるね」


 美琴に声をかけると、はいよ、と怠そうな返事がした。

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