第4話 五限目の誘惑
(眠たい……瞼が言う事聞かない……寝落ちる……坊主先生って絶対、安眠機能搭載されてる……)
午前中こそぼんやりとはしたものの、何とか眠れずにいられたが、腹も満たされた今は眠気に抗う事も難しい。
真は落ちそうになる瞼に力を入れて、板書する教師を見つめた。教師の後頭部がつるりと光っている。「坊主」なんて不名誉な呼ばれ方をするのは、抑揚のない声のトーンのせいもだが、頭髪の薄さのせいも間違いなく関係あるのだろう。
失礼な事を考えながらふと隣を見ると、東浦は教科書を立てて教卓から机を隠し、完全に眠る準備を整えていた。
「……ちょっと東浦、抜け駆けするな」
「ん?……いや、俺はまだ寝てない」
「寝る気満々じゃん」
人目を気にして小さな声で責めると、東浦はむずがるように顔を顰めてこちらを向いた。
薄目を開けて、東浦が真を見上げる。その視線が、すいと上を向いて、真の前の席を見た。
「……有松、ちゃんとノートとってるかな」
「毎回毎回、ゆうりのノート当てにすんのやめてよ」
「いやいや、お前も同罪だろ?」
意地悪くにやりと口端を上げた東浦に、真は少しむっとして押し黙り、視線を前へ向けた。ゆうりは二人の様子に気付いていないのか、気付いていて授業に意識を向けているのか。こちらを振り返る様子はない。
(私はそんなに見せて貰ってないもん……そりゃ、わかんないところはちょっとは見せて貰ってるけど……)
ゆうりは優等生で、教師陣の覚えも良い。
よくよく考えてみると、真はゆうりの欠点らしい欠点を知らない。
「……ねえ、ゆうり」
背中を指でそっと突いて小さな声で名前を呼ぶと、一拍置いてゆうりがこちらを振り返った。
教師の視線はずっと教科書と黒板の往復ばかりで、生徒の方を滅多に見る事はない。だからこそ、古文の授業で寝ている生徒は多い。
隣の東浦は、一瞬目を離した隙にとっくに夢の中だ。
「さっき、東浦君とお喋りしてたでしょ」
小さな声で、軽く咎めるようにゆうりは笑ってそう言った。
真はちらりと、目線だけで東浦を見た。俯せになって眠っているけれど、息は苦しくないのだろうか。
「きこえた?」
「何か喋ってるな、くらい。……真、眠そうだね」
「……正直、もう限界くらい眠い」
「少し寝ちゃえば?」
その珍しい言葉に、真は目を軽く見張った。
ゆうり自身はサボる生徒ではない。例え周囲の生徒がサボっていても、それを止めるような事も別にしない。
けれど、真がサボっている時はいつも軽く嗜めるような事を言って止める。
ゆうり以外に言われれば、真は少し鬱陶しく思ったかも知れない。けれど、ゆうりに言われるそれは、姉を持ったようで少し好きだったのだ。
だからこそ、居眠りを推奨する言葉は意外だった。
「顔色悪いよ。あんまり眠れてないんでしょ」
「……そんなに?」
ゆうりの表情は気の毒そうに曇っている。
真は確かめるように自分の頬に手を伸ばして触れ、小首を傾げて見せた。手で触れた体温も、通常と特に変わりない。
確かに数日夢見が悪く、眠った気がしないとは感じているが、睡眠時間は確保出来ている。顔色が悪くなる程とは思わなかった。
だが、何も言わずに見つめてくるゆうりを見ていると、確かに少し眠った方が良いような気がしてきた。実際瞼が落ちそうなくらい、眠いのだ。
まるで免罪符を得たような気持ちで、真は素直に仮眠をとる準備を始める。東浦を真似て教科書を立て、上手く角度を調節した
目を閉じると、すぐに独特の浮遊感が訪れる。
開かれた窓の外からの日差しが頬を照らして温かく、もうすぐ梅雨がきて、あっという間に夏が来るんだ、と眠りに誘われながら思った。
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