第3話 日常(2)


 隣の席の東浦は、通学鞄からノートを数冊出して机の上に乗せる。この席になってから1ヶ月余り、彼が教科書を持って帰るところを一度として見た事がない。


「ん? なんか伏見、眠そうじゃね?」

「……そんなにぱっと見でわかるくらい、眠そうな顔してる?」

「……んー、……まあ、授業中に寝てんのはいつもだけどさ」

「いつもじゃないし、見るなよ」

「はー? 隣の席だぞ、無理言うなよ。それより、ちゃんと夜に寝てんのか?」


 顔を顰めつつ東浦は言って、顔を近付けて真の顔を覗き込むように見た。至近距離にある東浦の顔から逃れるように、真は仰け反って睨み上げる。


 助けを求める為にゆうりを視線だけで見たが、彼女は微笑ましそうな笑顔でそれを見ているだけだった。


「有松、伏見寝てないのか?」

「何でゆうりに聞くの……東浦には関係ないんですけど」

「うーん……」


 突き放す真の言葉にもめげる様子は見せず、東浦はじっとゆうりの答えを待っている。ゆうりはと言えば、困った顔で真をちらりと見た。


「……真、最近怖い夢を見るんだって。東浦君、怖い夢を見なくなる方法とか

、知ってる?」

「怖い夢……」


 東浦は予想外とばかりに僅かに目を見張ったが、ややあって困った顔で頭を掻いた。


「俺、普段全然夢見ないんだよなぁ」

「あー、わかる、わかる。見なさそう。東浦って毎日爆睡してそうだし、寝相悪そうだし、イビキも酷そう!」

「お前は、俺の、寝てるとこ、見たこと、あんのかよ?」


 ひくり、と頬を引き攣らせた笑顔の東浦が、真の頭を大きな手で鷲掴んで揺さぶる。

 真は「うがー!」と顔をしわくちゃにして「触るな」という意思表示をしつつ睨みつけ、強く頭を振ってその手を払った。

 そんな二人を見て、ゆうりがまた先ほどのように微笑んだ。


「真と東浦君って、本当に仲良いねぇ」

「ゆうり!? こんなチャラ男と仲良くない!」

「どこがチャラいんだよ! 硬派を絵に描いたような男だぞ、俺は」


 はーあ、と、わざとらしいため息を吐いて、東浦は腕を組んで軽く胸を張った。真はそれをじろりと横目で睨み、それを見るゆうりは変わらずにこにこと笑っている。


 確かに、野球部で汗水垂らして走り込みをして青春の汗を流しているこの男は、外見も相まって硬派に見えるだろう。


 ただ、何となく女子への距離が近い男だと真は感じる。


 先程のスキンシップ然り、特別な好意もない女に何なく触れる事が出来る男だと思うのだ。だから、真は東浦の事を『誰とでも親しくできるし、女友達も多い、チャラい男』だと認識している。


 真がそんな事を考えている間に、話題は先ほどの夢の話へと戻っていた。


「てかさあ、検索してみれば?」

「なに?」

「怖い夢、見なくなる方法、みたいな感じで」


 東浦がポケットから自身のスマートフォンを引っ張り出し、手早く検索ワードを打ち込む。ずらりと出てきた検索結果を見て、真やゆうりにも見えるように画面を軽く傾けた。


 夢というワードのスピリチュアルな響きからか、検索結果はどれも胡散臭い。閲覧数稼ぎだろうタイトルや、夢占いの類の検索結果が上位を占めている。


「……占いとか、なんか胡散臭くない?」

「……あ、現実的なやつもあるじゃん。やっぱりストレスって事なんかな。えーっと、……ゆっくり湯船に浸かる、リラックス効果のあるアロマを焚く……伏見、お前アロマなんか持ってるのか?」

「私がアロマなんて洒落たもの持ってると思う? 東浦は?」

「逆にお前、俺が持ってたらどう思う? 毎晩、ラベンダーの香りを嗅いでから眠ってるって言ったら……」


 真はその言葉を聞いて、思わずゆうりと目を合わせる。ゆうりも、恐らく同じように考えているのだろう。きょとんとしたまん丸の目で真を見ていた。


 アロマを焚いて、うっとりと相好を崩す東浦。ムーディーな間接照明の下、リラックスするBGMを流し、良い匂いに包まれる東浦……。


「ふっ! あはは! 似合わない! 本当、無理! そんな東浦、想像するだけで笑える!」

「東浦く、……っごめん……ふふ」

「伏見も酷ぇけど……謝るのもどうかと思うぞ、有松……」


 少し憮然とした顔で眉を寄せた東浦だが、二人ともエスカレートする想像に涙を流して笑いが止まらない。

 むすっとする東浦の背を軽く叩きながら、真は溢れる笑みを噛み殺して咽せつつ謝っておく事にした。


「ごめんって……」

「まあ、目も覚めたみたいだし、良かったわ。結果的に役に立てたみたいでさ」

「うん、なんか笑ったら元気出た! ありがとね!」

「おう。まあ、アロマは有松に借りな。絶対持ってんだろ」

「ははは!」

「いや、笑い過ぎだろって……」


 ゆうりならばラベンダーのアロマくらい持っていそうだが、真はそれは是非東浦に貸してあげて欲しいと思ってしまった。何というか、絵面が見たいのだ。先ほどの妄想を現実にしたい。


 ゆうりも涙を目の端に浮かべながら笑っていて、軽くお腹と口元に手を当てている。大口を開けて机に突っ伏している真との差が大きい。

 爆笑している時でさえ、ゆうりはお姫様のようにおっとりとしている。


――リーンゴーン!!


 その時、大きな鐘の音がして、教室内はパタパタと移動する室内靴の音ばかりになった。


「一限から移動教室って嫌だよね」


 笑いを納め、息を整えてから肩を竦めるゆうりは、小学生の時よりももっと綺麗になった。窓から入ってきた温い風に目を伏せて、そっと髪を抑える仕草まで芸術品のようだ。


 誰よりも美人で優しい、真の自慢の親友だ。


「体育が良かったな」

「それは真だけ。眠いんじゃなかったの?」

「伏見は走り回った方が、夜よく眠れるかもな」


 呆れたように笑うゆうりと、歯を見せて快活そうに笑う東浦に、真は明るい笑顔を見せた。

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