第58話 蘇る清流



 一方その頃、東の山。

 至る所に待機している花人族たちは、今まで感じたことのない気配に「ひゃっ」と声を上げた。

 遠くから、どどど……と響く、低い音。

 多量の魔力を含んだ川が山全体に行き渡る。

「い、きますっ!」

 トーゲン村で育てた苗木を植えた場所に、花人族が数人ずつスタンバイしている。

 一週間。

 苗木を育てながら、リィトが立てた策。

 水精霊を開放し、トーゲン村へ流れる川を確保する。

 水と魔力が流れるその瞬間に、一気に苗木を育てる。

 それにより、数十年分の植林を進めるのだ。

 土壌の定着。森林の再生。それらを一気に片付ける。

 トーゲン村に水を引き、ますます発展する道筋をつける。

 ただし、この作戦にはひとつ問題があった。

 術者であるリィトから遠い場所にある苗を、リィト本人は一気に生長させることができないのだ。

 世にも珍しい植物魔導。

 対魔百年戦争のなかで、モンスターと渡り合うために様々な魔導が発達したロマンシア帝国であっても、リィト以外の術者はいない。

 だが──、

「みんな、おねがいっ!」

 フラウの声と、ボディランゲージ。

 それを合図に、苗木の近くに待機していた花人族たちが、いっせいに声を上げた。

「「「「せいちょうそくしん《すくすくとそだて》」」」

 喋るのが苦手なはずの花人族たちが、舌足らずに叫ぶ。

 それと同時に、水精霊の魔力を含んだ水を一気に吸い上げながら、苗木が急激に生長していく。

 太く、たくましい幹。

 地中深くに張った根。

 水精霊の神殿から、下流を眺めるリィトは黄土色の地面が緑色に染め上げられていく様子に息をのんだ。

 植物魔導を、自分以外の人間が使っているのを目の当たりにして、リィトは思う。

 ──ああ、なんて美しい魔導なのだろうと。

 かつてのリィトには、絶対にとれなかった作戦だ。

 花人族たちに、植物魔導を教えたのだ。

 基本中の基本である、『生長促進』だ。

 だが、花人族たちの腕前は、付け焼き刃とは思えないものだった。

 暴走も、枯死もなく、すべての苗が健やかに育っている。

「これは、壮観だな!」

「……さすがです、マスター。花人族たちには植物魔導の特性が備わっていることを見抜くとは」

「フラウのおかげだよ……魚人族の泡の中、水馬に乗っている時間はそこそこ長かったはずなのに、ちっとも苦しくならなかったんだ」

 人工精霊タルパであるナビは呼吸が必要ない。

 リィト、フラウ、マンマの三人分の呼吸をまかなってくれたフラウの頭にある花の光合成だった。

「あいつ、自分と共生している花を操ってたんだよ」

 喜怒哀楽にあわせて花が咲く、花人族と共生している植物。

 リィトはそれを植物魔導のひとつとして定義したのだ。

 農作業の合間に『リィトさんのよくわかる植物魔導講座』をひらいたところ、花人族たちは驚くべき早さで『生長促進』を習得した。


 緑、緑、緑。

 山が染まっていく。


 リィトは革袋から、最後の種を取り出す。

「水精霊」

「……なんですか、リィト・リカルト」

「魚人族たちに、これを」

 神殿の入り口には、魚人族たちが外の様子をこわごわうかがっているのが見えた。

 誰が最初に外に出るのかを伺いながら、お互いに背中を押している。明るいところで見る魚人族は、意外とサンリオっぽい愛嬌のある顔立ちをしているのだった。

 水精霊に促されて、リィトのもとに魚人族たちが集まってくる。

 つぶらな瞳で、じっとリィトを見上げる魚人族たち。

 ほとんどの時間を水中で暮らす彼らは、言葉によるコミュニケーションはできない。

(よ、よし、やるぞ……。俺はできる、俺はできる)

 リィトは意を決して、フラウに教わったボディランゲージを開始した。

 珍妙な踊りにしか見えないそれを、全力でやりきる。

「ほっ! はっ! よっ!」

 謎のダンスか、あるいは特撮ヒーローの登場シーンのようなポーズを繰り出すリィトを魚人族がじっと見つめている。

「このっ!」

「種子をっ!」

「蒔いてくれ!」

 リィトは魚人族たちに革袋に入っていた種子を渡す。

 水精霊神殿から採集してきた水草を、トーゲン村で栽培したものだ。

 水草に植物魔導をかけるのは初めてだったので非常に苦労したが、どうにか種子を作ることが出来た。

 川の中の生態系でも一番の基礎になるのが、水草だ。

 水棲生物の操ることは出来ないが、水中の植物を整えておけば遠からず豊かな川になるだろう。

 釣りとかできるようになるかもしれない。

 そう。釣り、それはスローライフの象徴。楽しみだ。

「……ぷぎゅっ」

 魚人族たちは、リィトが必死に覚えてきたボディランゲージを理解したようだ。

 お互いにポーズを決めながら、次々に川のほうへ泳ぎだし始める。

「は、はっや!!!」

 ギュンッと音を立てて泳ぎ去って行く魚人族たち。

 あのサン●オのキャラっぽいきょとんとした見た目で俊敏なのは、ちょっと意外だった。

 先日の探索のときにはは、水馬に乗るリィトたちへの気遣いもあってゆっくり泳いでくれていたのだろう。

 あっという間に、水精霊神殿の周囲にはリィトとナビ、そして体からこんこんと水を生み出し続ける水精霊だけになった。

 やがて、水精霊が放っていた光が収まっていく。

 大量に生み出し続けていた水もとまり、あとには清涼で静かな湖と、そこから流れる川が残った。

「あ、水馬!」

 神殿から、水馬ケルピーたちが顔を出して湖を駆け回り始める。

 リィトたちを背中に乗せてくれた水馬が、人懐こくリィトにすり寄ってきた。つぶらで優しい瞳に、長い顔。

 馬、可愛い……っ!

 リィトは、思う存分に水馬を愛でた。

「今後は、我が神殿が水源となるでしょう」

 と、水精霊が呟く。

 なるほど。神殿からの湧き水とか、ものすごく高く売れそうだ。水素水とか、そういうかんじで。

 前世の記憶にある水にまつわる、ややうさんくさいビジネスに思いを馳せ、

遠い目をしてしまうリィトであった。 

「……定額制ウォーターサーバーは、ちょっとこの世界にはまだ早いかなぁ。一応、ミーアに話してみるか……」

 赤ベリーの発注ミスにまつわる問題は、水源が確保できたことで遠からず解決するはずだ。

 手元には、わずかに水草の種が残っている。

 川の中は流れが速いため、魚人族たちに任せるしかない。

 封印された神殿内部は、どう考えても豊かとは言えない状況だ。

 そこでどうにか水精霊を守るために種族をつないできた魚人族たちは個体数も少ないため、圧倒的に手が足りない。

 東の山で暮らしていた花人族と同じ状況だ。

 まぁ、大所帯よりも、暮らしやすくていいのだけれど。

「……よし、ここは俺たちでやるか」

了解はい

 ナビとともに、湖の中に種まきをはじめる。

 湖は小さな沢だったことが信じられないくらいの広さになっていたが、水馬たちが背に乗せて手伝ってくれたおかげで、ほとんど時間はかからなかった。

「……おぉっ」

 すべての種まきを終えて、顔を上げる。

 豊かな水源と、緑の山。

 見違えるような光景だ。

 しかも、その水源は失われていた水精霊神殿──ナビによると、川の水に含まれる魔力量は通常の五倍近い。

 魔力を含んだ水は、植物の育成を大きく助けることがリィトの研究でわかっている。それを応用したのが、リィトの魔力にあわせて品種改良をしたベンリ草による植物魔導だ。

「これは……また村づくりが捗るな」

 種まきを終えた魚人族たちが、リィトの元に戻ってくる。

 あとは川を下りながら、魚人族たちが植えてくれた水草の種子に植物魔導で発芽と育成を促すだけだ。

 日光は、さんさんと照っている。

 日照も魔力も十分だ。

 花人族たちは、植物魔導は初心者だ。

 ここはリィトがやらねばならない。

 水馬たちは、すっかりリィトに懐いてくれているため川を下りにも付き合ってくれるようだ。

 乗馬の心得のないリィトにも難なく乗りこなせる。

推測おそらく、称号『世界樹の祝福者』の効果と思われます」

「称号……って、ちょっとした隠しステータスじゃないのかよ……」

 基本的には、称号なんてステータスは意味を成さない。

 ナビのおかげで、ややゲームじみたステータス分析ができるリィトであるが、今まで見たことがある称号なんて『肝っ玉母ちゃん』『万年二位』『褒め上手』などのギャグみたいなものばかりだった。

 どうやら称号というのは、スキルセットのようなものらしい。

 様々な経験、スキルや特技を取得することで、称号として記録されるらしい。

 『世界樹の祝福者』のスキルセットのなかに、魔力生命体と心を通わせられるような効果があるのだろう。

 高位魔力生命体である水精霊を目覚めさせ、水棲の魔力生命体である水馬がここまでリィトに懐くのは、そういった理由があるはずだ。

「水精霊。ありがとう、精霊の復活に立ち会えて、ひとりの魔導師として光栄に思うよ」

「そ、そうか。我らが聖なる樹を再び芽生えさせたのだ、並の魔導師ではあるまい」

「精霊に褒められるとむず痒いけど」

「こほん、その」

「……ん?」

 水馬に乗って立ち去ろうとしたとき、リィトの肩を水精霊が掴んだ。

「リィト・リカルトよ。その聖なる樹はどこにあるのだ?」

「村だけど」

「そうか。この目で見てみたいのだが」

「じゃあ、村まで来るか?」

「そうしたいのだが……わらわは神殿から離れることはできんのだ」

「ふむ?」

 リィトは思い出す。

 地下迷宮から生み出されるモンスターたちは、迷宮から這い出してきたばかりのころは弱々しく、あまりに迷宮と離れた場所に移動すると弱体化して消滅するという特性があった。

 地下迷宮が精霊神殿のなれの果てだとすれば、水精霊にも同じ現象が起きると考えてもいい。

 ただし。地下迷宮から出てきたモンスターの弱体化には、ひとつ例外があった。それはモンスターたちを束ねる『首領』と呼ばれるモンスターが進撃した場合だ。

 首領を倒せば、すべてのモンスターが消滅する。

 逆に言えば、首領を倒さない限りはモンスターの弱体化は起こらない。

「えっと、たしかあれは……」

検索たしか……首領が擬似的な地下迷宮として機能していたかと」

 きらっと水精霊の瞳が光る。

「愚かなる人の子のなかで、そこに思い至るとは。神殿というのは建物ではなく、在りようなのだ──」

「う、わっ!」

 音もなく滑るように近づいてきた水精霊が、リィトの顎に細い指を添えた。

 涼やかな表情が、目の前に、迫っていく。

「さぁ、わらわの力をその身に受けるとよいぞ、リィト・リカルト」

「……え、は?」

 近い。近い。

 近い、近い、近い、近い。

「……そなたが、我が神殿となれ」

 ささやき声が、リィトの耳をかすめる。

 唇が、目の前に迫った──そのとき。

「失礼、水精霊殿」

「うわ、ナビ!?」

 ナビがリィトの襟首を引っ張り、水精霊とリィトの間に割り込んだ。

「……我らが同胞──によく似てはいるが、まがいものか。わらわの成すことに何か申そうというのか」

 威嚇でもなんでもなく、ただただ、事実を並べる口調だ。

 思えば、目覚めた当初から、水精霊は目の前にいるはずのナビに一瞥もくれていなかった。

 高位魔力生命体。この世界から、一度は姿を消した存在だ。

 本調子ではないであろう水精霊は、トーゲン村一帯をすっかり変えてしまうほどの魔力を持っている。

 本来の姿であれば、それこそナビなど「精霊の姿をした何か」としか思えないだろう。

「……ナビはマスターにより生まれた人工精霊タルパです、水精霊にひとつ確認を」

人工精霊タルパとな……世界樹の祝福者の眷属よ、わらわに何か?」

「水精霊殿の実行する操作に、マスターとの身体接触は必要ないかと」

「……ほう」

「高位魔力生命体による身体接触が、マスターにいかなる影響を及ぼすか分かっていない以上、ナビはそれを許可することはできません」

「悪いが、わらわとこの者の魔力同調のためには肌に触れねばならぬ。人の魔力は微弱ゆえな」

「そうですか。高位魔力生命体の行動についての認識を更新します。ただ、申告の通りであったとしても、頭部への接触である必要はないかと」

「……人工精霊タルパよ」

「なんでしょう、水精霊」

「もしや、ヤキモチというものか?」

「なっ!」

 無表情だった水精霊が、わずかに笑った。

「わからんでもないが、この者は今後さらに多くの精霊とまみえることになるだろう……わらわ一柱にそこまで魔力を荒ぶらせていては、身が持たぬぞ」

「ま、まぁまぁ! 待てって、ふたりとも!」

 リィトは慌てて仲裁に入る。

 万事上手くいっているところで、リィトを巡って諍いが起きては困る。

 トーゲン村の水不足を解消としようとして、せっかく豊かになってきた村を洪水で水浸しにしてしまってはかなわない。

 本調子の水精霊であれば、その程度は造作もないことだろう。

 なんとしても、それは避けなくてはいけない。

 冷静冷徹なナビゲーション・システムのようなふりをして、ナビは意外と嫉妬深い。

 朝寝坊をしたリィトがナビの呼びかけに三回応答しなかっただけでも、かなり冷ややかな対応をされるほどだ。

「とにかく、平和に! 精霊同士、仲良くっ!」

 リィトは、有無を言わさぬ速度で水精霊の手を握った。

「なっ」

「ほら、ナビも!」

 何かを言われる前に、ナビの手を握る。

 水馬に乗ったまま、ふたりと手を繋いで村へと向かう。

 両手に花ならぬ、両手に精霊だ。

 水草を育てながら、トーゲン村に向かう。

 途中、水精霊とナビで一触即発の状況が何度か起きたが、リィトの必死の調整で大洪水の危機は免れた。

 ああ、中間管理職。

 前世の胃痛が蘇るリィトなのであった。


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