第56話 水精霊とサシ飲み

 ◆


「……ぷはぁ~っ!」

 トーゲン村名物、マタタビ酒。マンマが密かに水筒に詰めて運搬してきたマタタビ酒を、水精霊は一気に煽った。

 全身を構成する水が波打って、わずかに赤く色づいた。

 酒に酔うと顔が赤くなるのは、人間の血が赤いからだが……水精霊が赤くなるのは、一体どういう原理なのだろう。

「ぐぬぬぅ……」

「村に帰ったら、また、のめますっ」

「ふにゃ……ありがとうなのである、フラウぅ」

 マンマが飲み干されていくマタタビ酒を名残惜しそうに見つめている。

 フラウが持ってきたサンドイッチのベントーは、魚人族たちの水泡に守られて奇跡的に濡れずに済んでいる。

 水精霊は固形物を食べることはないとのことで魚人族たちに振る舞ったが、具になっているハーブや葉物野菜は食べたことのないに、まん丸い目を見合わせていた。

 魚人族たちは、きょとんとした表情が意外とキュートだという発見があった。

 くだをまきはじめた水精霊の隣に、リィトは腰掛けた。

 春ベリージュースを片手に、水精霊の話に相づちを打ち続ける。

「はぁ~~~愚か! 寝て起きても怒りが収まらぬ!」

 水精霊は、頷くリィトに気を良くしたのか饒舌さに拍車がかかる。

 フラウとマンマが魚人族たちとじゃれあっているのは、ありがたい。

 床にベントーを広げ、水筒から思い思いのドリンクを飲んでいる。

 これが青空の下ならば、陽気なピクニックだ。実際は、少しも日の差し込まない神殿の奥の奥なのだけれど。

「人間どもが悪いのです。我らから学んだ魔導を調子に乗ってバカスカ使い、空中魔力エアルマナを枯渇させた……おのれどもが空気がなくては生きられぬ存在のくせに、我ら精霊が空中魔力エアル・マナがなければ存在を維持できぬことをとんと理解しようとせぬ……」

「うんうん、なるほど」

「リィト、とやら」

「はい」

「そなたは、なかなかの使い手とみえる……」

「そうですか」

「わらわの一撃をあのように受け止める……あれは水と土に属する術だろう。人間にしてはよくできておるぞ」

「ど、どうも」

 いやいや、なんだこの状況。

 これぞファンタジーという見た目の水精霊と、居酒屋にでもいるような会話を繰り広げることになるとは。

「我ら精霊の力が失われている中で、あれほどまでの術を行使できるとは……カッスカスの大気魔力エアル・マナでは苦労もあろう」

「ん、あれは過大評価というか」

 水精霊の一撃を受け止めた盾を思い出す。

 おそらく、リィトの植物魔導だけであれば、あっという間に水刃に切り裂かれていただろう……それこそ、リィトごと。

「過大評価?」

「術の威力が増幅されているというか」

「それは……まさか空中魔力エアル・マナを根こそぎ吸い上げる、おまえたちの使う忌まわしい術のことか?」

 一瞬、水精霊の声色が剣呑になる。

 リィトは「いや」と短く否定をした。

 基本的に、今の魔導師が使う術の多くは体内の魔力を使って実行する。補助的に周囲の空中魔力《》

「……たぶん、リコのおかげだ」

「リコ?」

「うぅん、確証はないんだが──」

 本物の水精霊を目の前にして、リィトのなかであることが確信に変わる。

「──世界樹の精霊だ」

「なっ!」

 ざぱぁん!

 神殿中の水が激しく波打った。

 水精霊の興奮が、彼女の領域である神殿内に伝わったのだろう。

 マンマが打ち寄せる水から逃げ回り、リィトの膝の上に乗ってきた。 

「世界樹のっ! 精霊であるとっ!?」

 水精霊が眠っていた棺を安置していた祭壇は、周囲を水で囲まれている。

 波打ち際で遊んでいた魚人族が「ぴゃー」と声を上げて波に攫われて流されていった。

 フラウが心配そうに駆け寄ったけれど、とうの流された魚人族たちはうねる波のなかで楽しそうにはしゃいでいる。

 この短い時間だけれど、ぎょろっと大きな目をした魚人族たちにも表情の変化があるのだなということがわかってきた。

「その話、まことか!」

 ずいっと身を乗り出す水精霊ウンディーネ

 その表情はまるきり酔っ払いだ。

「推測だけどね」

伝達ちなみに。水精霊、あなたの再起動をする際にマスターの取得された称号が活性化アクティブになっています。経緯ログをお見せしましょうか」

 ナビが目を閉じると、その身体が薄く発光する。

 その光が伝わって、水精霊の全身が光を帯びる。数秒後、水精霊は息をのんだ。

「……リィト・リカルト」

 水精霊の声は、感動に震えていた。

 ひし、と両手で手を握りこまれる。

 人の身体ではありえない、水そのものの温度がした。

 膝のうえにいるマンマの猫のごとき高い体温とのギャップで、そのひやりとした感触が際立つ。

「再び世界とわらわが繋がったとき、確信していた。わらわを目覚めさせたのは、悪しき人間の業であると……聖なる樹を枯らし、我らを世界から遠ざけ、かつての精霊たちの神殿を穢し貶めた……」

「神殿、を?」

「……汚れた神殿は、汚れた魂を生む。わらわは我が神殿と眷属たちが汚れることをよしとしなかった。ゆえに我が体躯をここに埋もれさせ、我が眷属たちを長らえさせることとした」

「待ってくれ、それって……地下迷宮は、もともと精霊たちの神殿だったっていうことか?」

 ロマンシア帝国で発見された地下迷宮のことを水精霊に伝えると、そこはかつての精霊神殿の場所と一致しているという。

 精霊神殿は人による創造物ではなく、精霊という存在の一部として存在しているのだとか。

「じゃ、じゃあ──」

 リィトは震えた。

 膝の上のマンマも耳をピンと立てている。

「北大陸の対魔百年戦争は、人間が世界樹を枯らしたせい……?」

「それ、大スクープにゃっ」

 愕然とした。

 森林破壊だか環境汚染だか知らないが、昔の人間の狼藉のせいでリィトの異世界生活が作業ゲーと化していたというのか。

 百年前、北大陸で栄華を誇ったロマンシア帝国を突如として襲ったモンスターの大発生は、人間たちにとっては非常にゆゆしき事態だった。

 地下迷宮ダンジョンという人間の英知の及ばない事象と、無限にあふれ出てくるモンスターたち。

 人間世界の生活が脅かされた。

 この百年間、帝国は軍備力ぞ増加に努め、モンスターの大量発生の震源地である北大陸と接しているギルド自治区は徹底した鎖国のために国境線に長大な石の壁を作り、自分たちの領土と民を守る選択をした。

 料理はまずく、生活も快適とはいいがたい。

 異世界ハルモニアは、そういう状況になってしまっていたのだ。

「じ、自業自得っ!」

 リィトは頭を抱えた。

 過ぎたことは仕方がないとはいえ、あまりにもしょうもなすぎる。

 前世では、環境問題とか持続可能社会とか、「大切ではあるが、自分の人生とは関係ないものだと思っていた。

「……再びこの世界に世界樹が芽吹いたのならば、じきにこの森の水源も復活するだろう」

 ……と、水精霊。

 とりあえず、リィトにとっては願ってもいない事態だ。

「じゃあ、川が復活したら村まで水をひいて畑を──」

「百年も経てば、川も泉も我が清流に満ちるであろう」

「ひゃっ」

 ……百年?

「いや、じきにって言わなかったか?」

「百年程度、瞬きする間であろう。人の子が三度子を成すころには、すべては元通りだ」

「そ、それってどうにかなりませんか?」

「む」

 水精霊が表情を曇らせて、フラウに目をやる。

 きょとんと首をかしげる。

「聖なる樹がこの地に再び根を下ろした。だが、水が流れ、地を満たすには水だけではならんのだ」

「水だけでは……あっ」

 トーゲン村の周辺と、東の山のありさまを思い出す。

 平地は荒れ果てた荒野であり、山にはかろうじて木々が残っていたけれど、豊かな山とはいいがたい。

「どういうことでありますか?」

「木だよ」

「ふにゃ?」

「水が豊かな土地になるためには、木が必要だ。……けれど、木が育つには水がいる」

「つ、つまりにゃ?」

「……たしかに、少しずつ状況を改善するしかないのならば、百年で土地が生き返るなら御の字ってことだな」

 乾いた土地に水があふれた場合に、どうなるか。

 答えは、「そこらじゅう水浸しになる」だ。

 水が地中にしみこみ、土地が潤うためには植物が必要だ。

 植物の張った根が、大地を柔らかく耕し、流れる水を土中にため込む役割をする。

 逆に、植物がなければ水はその地にとどまることができない。

 木々の伐採の進んだ山に大雨が降ると、地滑りや土砂崩れが起きるのはそういう仕組みだ。

「ふにゃ……じゃあ、村に水を引くのは……?」

 リィトは肩をすくめる。

「フラウ」

「は、はいっ」

「ちょっと、お願いしたいことがあるんだ」

 リィト・リカルト。

 二つ名は、『侵略の魔導師』。

 彼が戦ったあとの土地は、見る影もなく荒れ果てる。

 ──人間たちにとっては。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る