第53話 待ちぼうけのフラウ


「じゃあ、フラウ。もしもこの赤い花が枯れても俺たちが戻らなかったら、すぐにトーゲン村に戻ってくれ」

 リィトの言葉に、フラウが真剣な表情で頷く。

 草ボンベにもともと繁殖していた蓄光性の苔と組み合わせ、数時間の稼働ができるようにした。

「早めに引き返すつもりだが、万が一がある」

「は、はい」

「マンマも、もしものことがあれば離脱だ……っていうか、本当に大丈夫うなのか?」

「だ、大丈夫なのにゃ……たぶんっ」

 猫人族は、種族として水が苦手だ。

 そこを記者魂で乗り越えて、リィトの水中探索に同行するつもりらしい。

 万が一にもはぐれないように、ベンリ草でつくったロープでリィトとマンマの腰を結ぶ。また、離脱しやすいようにナイフも持たせた。

「リィトはいらんのですにゃ?」

「ベンリ草でできてるものなら、魔導でどうにでもできるさ」

「おお、さすがは帝国の大魔導師ですにゃ」

「いや、それはやめろって……マンマは大丈夫か?」

 マンマはナイフをしゃきんと構えて見せた。平素酔っ払っている人物が持っているナイフは普通に怖いなと思ったリィトであったけれど、口にはしなかったのだった。

「うにゃ! いざとなったら、爪でスパッあるっ!」

 猫人族キャッタの手は、人族ニュートのものとほとんどかわらないけれど、出し入れ自在の爪の鋭さと身体の柔軟さや敏捷性は各種族を凌駕する。

 愛玩用の猫人族は爪を綺麗さっぱり切られてしまっているほどだ。鋭い爪の代わりに安定した生活を手に入れたというわけだ。

 だか、マンマには爪がある。

 ギルド自治区で、ひとりの記者として生きる猫人族である。

 危険な探索への同行を何度も止めたけれど、自らの爪と牙で生きる彼女を無理矢理に止めることはできないし、するべきでもない。

「じゃ、頼んだぞ。フラウ」

「はいっ!」

 ぴし、といつにも増して気合いの入った敬礼をするフラウ。

 地上での待機には不安もあるだろう。

 たった一人で、ほの暗い神殿で待つのだから。

 けれど、フラウの表情はきりりと引き締まって明るい。

 つまりは、リィトとマンマの命をあずかったということだ。

「まかせて、くださいっ!」

「うん」

 リィトの不在時には、フラウがマンマやミーアとのやりとりを代理で行うこともある。

 何かを任せてもらえることの楽しさを知って、少し背筋が伸びるフラウなのだった。


 ◆


 フラウはリィトとマンマが消えていった水面を見つめていた。

 祭壇の下の隠し階段の水に足を浸して、ちょこんと座っている。

「……ふふ」

 思わず笑みがこぼれてしまい、両手で頬を押さえる。

 心配な気持ちも、もちろんある。

 けれど、リィトに頼ってもらえることがフラウにとっては本当に嬉しいことだった。

 ちゃぷ、ちゃぷ、と。

 足で水を蹴る。

 花人族の足は、植物の根のように水を吸い上げることができる。

 水に浸された足先から、水の冷たさと、こんな地下に貯まっている水なのに新鮮な感触が伝わってくる。

 フラウは、ころんと天を仰いで横たわる。

 天井にもヒカリゴケや、青く光る石があちこちにちりばめられていて、まるで星空のようだ。

「リィト様、だいじょぶ……かな」

 懸命に覚えた人族ニュートの言葉で呟く。

 草ボンベを使って水の中に潜るのはどんな気分なのだろう。

 マンマのように、自分の仕事に誇りを持って危険に飛び込んでいくのはどんな気持ちなのだろう。

 かつて、マンマに人族ニュート語辞典をくれた魔導師のように一人各地を旅するのは、どんな毎日なのだろう。

 フラウはそんなことを考えながら、目を閉じる──と。

「……っ?」

 背後で、何かが動いた。

 ひた、ひた、ひた。

 湿ったものが、何かを叩くような音が。

 ……足音が、した。

「ひぁっ!」

 振りかえったフラウは、息をのむ。

 そこには──、ぬるりと鱗に覆われた、魚人の目が光っていた。


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