第51話 猫vsカニ
精霊。
別名、高位魔力生命体。
空気中に満ちる
かつては、自然界には精霊が存在し、精霊の力を借りて人間の魔導師たちは今よりも強大な力をふるっていた。
数百年前に、世界樹が姿を消して以降、精霊たちも少しずつこの世界から姿を消していった──と、伝えられている。
北大陸のロマンシア帝国では、精霊の存在やかつての遺構は、すでにおとぎ話のような扱いだ。
──つまり。
水精霊神殿の復活は、現段階では歴史的大発見であるといえる。
情報ギルド『ペンの翼』の記者であるマンマは震えていた。
普段マンマが手がけているようなゴシップ系のスクープとは分けが違う。
歴史に残る記事になるかもしれないのだ。
しかし。
「よーし、この水量を村に引ければ畑が安泰だ!」
不思議な力でこの神殿をよみがえらせたリィトは、とにかく目の前の「水不足解消」が嬉しいようだった。
拍子抜けしたような気持ちになりながら、マンマはリィトの後ろをくっついていく。
膝下までとはいえ、冷たい水に浸かっているのが、尻尾の先の毛がしびびと逆立ってしまう。
「おお……っ!」
階段を降りきった神殿の内部は、完全に地下にあるにも関わらず淡い光に包まれている。
あちらこちらに繁茂しているヒカリゴケの一種と、不思議な青い光を放つ宝石によって美しく照らされている神殿内部は思わず見とれてしまう美しさだった。
投げ売り同然の痩せた土地、集落はおろか野生動物すらもほとんどいない土地にあった、東の山。
花人族たちが住んでいた、恵みが豊かとはいえない、かろうじて緑が生き残っていたレベルの山の中に、こんな荘厳な神殿があったなんて。
時の流れの残酷さや、かつてここに栄えていた精霊信仰に思いをはせながら、リィトたちはしばしその光景に圧倒される。
神殿の良好な保存状態に反して、自分たち以外に生命の気配がない。
静寂が、より水精霊神殿の神聖さを際立たせる。
最初に口を開いたのは、フラウだった。
「……だれも、いないです」
「うにゃ、怖いのでありますか」
怯えるフラウに、マンマは虚勢を張ってみせる。
「こわい、です」
「ふふん、フラウはビビり屋ですにゃ」
「マンマは、怖く、ないですか?」
「……わ、わがはいは数々の修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の記者ですからにゃっ! な、なにも怖いことなど……」
ふと、そんなやりとりをしているマンマの足下を見たリィトは、小さなカニがよちよち歩いているのを発見した。
水の中にずっと浸っていた
印されていたとは思えないほどに、美しい状態だ。
しかし、小さな水棲生物があちらこちらに生きているのが見えた。
カニ、小魚、それから蛍のように光る昆虫。
立ち並ぶ柱を見回して、リィトは大昔に高校の授業で習った「ヘレニズム文
化」とか「オリエント」とか、そいう言葉を思い出していた。
ちなみに、それぞれの単語が何を指しているのかは知らない。
リィトにとっては、足下に繁茂している薄く発光している目の前の白いカニのほうが少しばかり興味深い。
(……お、白いカニだ。日光が当たらないから色素がないのか)
よちよち。
よちよち。
日光に当たらず、真っ白い甲羅のまま元気に動いているカニは、よく見るとけっこう気持ち悪い見た目をしているな、とリィトはぼんやり思った。
(な、内臓っぽいものが透けている……っ!)
まじまじとカニを見つめるリィト。
わりかし大きめのカニは、おそらく生まれて初めて──どころか、数世代前まで遡ってもみたことがないであろう、頭上で揺れるふわふわの長毛種猫人族のしっぽに──はさみを伸ばした。
「あっ」
「ふぎゃああああっ!!??」
マンマが、天井まで飛び上がる。
ふさふさの尻尾なぶん、小さなはさみが肉に食い込んでいることはなさそうだが、急に敏感な尻尾に攻撃を加えられたマンマは完全にパニックを起こしている。
「マンマ、大丈夫かっ!」
「ふにゃあぁあぁっ、お、お、おばけである~~~~っ!」
「は、わわ……っ」
「ほぎゃにゃあぁぁっ!」
日々、たくさん眠り、たくさん酒を飲み、徹夜で記事を書いては、朝からリィトからすれば味気ないドーナッツもどきを食べることを何よりの楽しみにしている、退廃的文豪ムーブに余念がないマンマである。
のんびり、ふにゃふにゃ。
そんなマンマが、全力で、神殿内部を縦横無尽に走り回っている。
「ナビ、スキル『探羅万象』起動」
「
スキルを起動すると同時に、魔力が全身を駆け巡る。
視界や聴覚、皮膚感覚が鋭敏になっていく。
脳がカリッカリにチューンされていき、すべての処理速度が上がり、周囲の何もかもがスローモーションに感じられる。
ふさふさの尻尾をハサミで挟んだまま、走り回るマンマにぶんぶん振り回されている哀れな白いカニすらも、しっかりと認識できる。
心配そうにマンマを見つめているフラウにいたっては、完全に静止画ようだ。
(とりあえず、周囲に危険なし。マンマのパニックが収まるのを待って──ん?)
周囲の魔力の流れに、わずかな変化が発生した。
階段を降りきった神殿内部の中心にある、空っぽの祭壇。
その近くに、何かが動いた。
「敵性反応か?」
「いいえ……ただ、ナビのデータベースにはない反応です」
「っ!」
ナビのデータベースは、この異世界ハルモニアにおける一般的な認知に基づいて作成されている。
一般的な認知、というのは秘匿されていない情報のすべてを指す。
つまりは、村の長老の多くが語る昔話だとか。
子どもたちがベッドの中で聞くおとぎ話だとか。
口頭伝承、教育機関での指南、信仰、そういったあらゆる「一般的」な知識を網羅しているはずなのだ。
美女型Wi●ipedia(異世界版)というイメージが一番近いだろう。
だからこそ。
(ナビが知らない反応……マジで精霊、か……?)
どきん、と心臓が脈打つ。
精霊がどんなものか、わからない。
今まで、ナビがいたことでリィトは本当にわからないものに対峙することはなかった。
だからこそ──未知の存在に対して、薄らとした恐怖を感じた。
「……戻れ、マンマ──
「うにゃふぅ~~……っ、がばっ!?」
リィトはポケットのベンリ草を植物魔導『生長促進』で操り、マンマをつかまえた。
蔓にぐるぐる巻きにされたマンマは、やっと落ち着いたようだった。
たらんと垂れた尻尾から、白いカニがぽろりと落ちた。
マンマをベンリ草の蔓から下ろしてやる。
目をまん丸にして硬直しているマンマを抱き起こす。
普段から、マンマとミーアになでなでを要求されているリィトだが、猫人族をこうして抱っこするのは初めてだった。
(ぬ、ぬくい)
前世からの夢が、猫を飼ってまったり暮らすことだった。
こんな形で、念願の猫をだっこする夢が叶うとは。
「……にゃ、ふ」
カタカタと小刻みに震えているマンマが、リィトにしがみつく。
少し戸惑いながら、抱きしめ返す。
マンマの猫耳からは、インクと日だまりの匂いがした。
ロマンシア帝国では、猫人族は愛玩用に金持ちに飼われて《・・・・》いることが多かった。
心身ともに傷ついた猫人族の存在を知っていたぶん、リィトはミーアやマンマに触れるときには慎重になっていた。
マンマの耳に帝国の愛玩猫人のイヤータグの跡があることは、リィトだけが気づいているだろうから。
「──簡易スキャン。バイタルに異常はありません」
「そうか。よかった」
ほっと胸をなで下ろす。
「だ、だいじょぶ、ですかっ」
「……う、う、うぅ~」
フラウの言葉がきっかけに、フラウが堰を切ったように泣き出した。
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