第42話 ミーアの大ピンチ!2
◆
「誤受注!?」
誤発注なら聞いたことがある。
SNSでのバズを狙ってか狙わずか、間違えて大量に発注してしまったらしき同じ商品を山のように積み上げている小売店の写真を前世ではよく見たものだ。
だが、誤受注とは?
「最大手の創薬ギルドから、赤ベリーの発注が来たのニャ……それから、酒場組合からもベリー酒の発注が……」
「それで?」
「ミーは近頃、リィト氏のおかげで大もうけしてるから、大喜びのテンヤワンヤで発注書をよく見ていなかったのニャ……創薬ギルドからは赤ベリーをいつも百カゴ注文してもらってるニャ」
つい先日まで一粒の赤ベリーすらも手に入らない状況だったのもあり、ポーションの生産に追われているらしい。
「それが……一〇〇〇箱になっていたニャ」
「ん?」
「一〇〇カゴだと思ってた発注書が、一〇〇〇箱になってたニャ」
「そんなに!? なにに使うんだよ! ひと箱って、だいたい一〇カゴ」
そんな量の赤ベリーの仕入れは、異常だ。
それこそ戦争でも始めるのかと疑いたくなるレベル。
「酒場組合からのベリー酒の発注も、一〇〇瓶だと思っていたのが一〇〇〇ケースで……」
たしか、一ケースは十瓶だ。
酒場組合とやらだけでも思っていた百倍の量の発注がきた、ということになる。
「……それ、向こうの間違いじゃないか?」
「ニャ……そうじゃなくて、本当に本気で発注してるって言い張られたのニャ! しかも、もし納品できニャかったら……ミーとの取引を打ち切るって……」
泣きそうになっているミーア。
到着したときから元気がなかったのは、これが原因か。
「うーん、なんだか誰かにはめられてる感じがするけど」
「と、とにかく! ミーを助けると思って、ベリーをたくさん収穫してほしいのニャアアァ」
「それは……ちょっと難しいかも」
「そ、そんニャ! なんでニャ!」
「水が足りないんだ」
「み、水……ッ」
リィトの植物魔導と花人族たちの卓越した緑の手で、かなり立派な畑になっている。
収穫量だって安定している。
でも、今が最大限だ。
「地下から汲み上げられる水には限度があるんだ。それに、地下水脈だって枯渇する可能性がある」
この土地の水の乏しさは異常だ。
東の山に見つかった沢だって、本当に小さなものだった。
土地管理局で見せられた地図に、なんだって泉やら川やらが記されていたのか。まったく意味がわからないほどの乾燥地である。
「お、終わったニャ……」
「顔面蒼白だぞ、ポーション飲むかい?」
「う……毛玉吐きそうニャ」
「そ、それはちょっと!」
「むっふっふ~~~、ミーアよ、わがはいのあんよの肉球を舐めるがいいのであるっ!」
「マンマ? どうしたんだ、珍しく酔っ払ってないじゃないか」
「リィト氏はわがはいのこと、なんだと思ってるのですにゃ」
「……酒クズ」
「ふにゃ~~っ!? わがはい、さっきベロベロににゃって水を浴びるように飲んだから酔いなどふっとんだのですにゃ~」
「やっぱりベロベロだったんじゃないか……」
猫人族、自由すぎるだろう。
リィトは少しだけ呆れながらも、マンマの手に一枚の書類があるのに気がついた。
「それって……?」
「ふふふ、トーゲン村の水不足が解消するかもしれないのにゃ~」
「えっ」
マンマの報告書には、こう書いてあった。
『南大陸荒野部における
「水精霊……神殿……?」
「発掘ギルドの連中からのリークだにゃ。この報告書によると、近頃、帝国から流れてきた古文書が情報源らしいにゃ」
「帝国から流れてきた……?」
もしかして、とリィトは嫌な予感に襲われる。
リィトが管理していた、古い資料室──あそこにあったものを『ゴミ』として廃棄していたとしたら、それがギルド自治区まで流れ着く可能性はある。
今の宮廷魔導師団が、そこまで愚かだとは思いたくないけれど。
リィトはマンマから報告書を受け取る。
ずっと昔には、上南大陸をすみずみまで冒険した者達がいたらしい。
彼らの遺した地図や手記が、こうして後世に知らせてくれるものは多い。
「水精霊か……この資料、少し見せてくれる?」
「ふにゃ~……わがはいに感謝するといいですにゃ~♪」
「うん、ありがとうマンマ」
「礼ならマタタビ酒でじゅーぶんですにゃ。あ、ミーアより多めに!」
「りょーかい」
古文書の出所が資料に書かれていないだろうか、と目を通す。
すると、驚くべき発見があった。
「え、この紋章って、あの岩に刻まれてた……」
沢だ。
あの小さな沢に刻まれていた紋章に、そっくりだった。
「にゃ~? なにか知ってるのかにゃ?」
「与太話じゃない……のか……!?」
精霊神殿の跡地がある、などという噂はほとんどがでまかせだ。
古文書由来の情報であっても、それは変わらない。
だが、古文書に記された紋章と同じものを、リィトは東の山にぽつんと存在する、わずかながらも魔力を含んだ沢で見つけたのだ。
(これ、面白いことになってきたぞ!)
リィトのやり込み気質と旺盛な好奇心がうずき出す。
精霊という、高位魔力生命体は観測されなくなって久しい。
精霊の力の痕跡を宿した、精霊神殿も今やほとんどが失われている……だが、水精霊の神殿があったということは、ここはもともと水が豊かな場所だったことは間違いない。
(待てよ、ということはトラ……猛虎型のモンスターがこんな場所で、あそこまで強く育ったのも頷けるな。精霊由来の魔力の痕跡……トラがあの沢の水からその影響を受けたのだとしたら)
山の様子を思い出す。
沢の周囲だけ、不自然に木々が開けていた。
濃度の高すぎる魔力は、ときに生命にとって毒となる。
魔力に耐えうる個体であれば、その恩恵を受けられるが──そうでなければ、死んでいく。おそらく、沢の近くの木々は湧き出る水の魔力に耐えられずに枯れてしまったのかもしれない。
魔力と生命体の関係は、複雑かつ繊細なのだ。
だからこそ、植物という生命に直接働きかけるリィトの植物魔導への適性は希少なのだ。
自分以外の生命に自らの魔力で干渉し、それを操る……ほぼ禁術に近い仕組みなのだから。
「なるほど……それは、調査してみないといけないね」
リィトは踊り出したくなるほどの高揚感をおさえて、努めて冷静を保とうとする。
そうでなくては、今すぐ沢に駆け出していきたくなってしまう。
真夜中の山の中を進むなんて、怖くて仕方ない。トラも出るような山だし。
「水精霊の遺跡を調べて、もし水不足の原因が解決すれば……もっと畑を広げられるかもしれない」
「ニャ!」
「そうすれば、もちろんベリーを始め色々と収穫量が増えるだろうね」
「ニャーーーーーッ! ミーの命が助かるのニャッ!?」
「わがはいも神殿発掘をスクープしたいにゃ~……」
「うーん、外に情報を出すかどうかは、ちょっと保留だね」
このトーゲン村は、のどかでまったりした場所にしておきたい。
リィトののんびり隠居ライフの本拠地なのだから。
「そんにゃぁ……」
「でも、多少の情報は流すよ。いつも通りね」
「むふふ~、そうこなくっちゃ~!」
ほっとしたのか、ミーアはマンマを連れて宴の輪に入っていった。
食べるのと飲むのが大好きな二人は、たちまちご機嫌な酔っ払いになっている。なるほど、猫は夜行性だ。それに、目の前の楽しいことが大好き。
花人族たちは半分くらいはもう眠ってしまっているけれど、フラウはまだ起きてアデルと話し込んでいる。
焚き火に照らされた、そんな賑やかで穏やかなトーゲン村の風景を眺めるリィトに、ナビが囁く。
「マスター、楽しそうですね」
「え? そうかな」
「はい。まるで、幼少期のようなお顔をされています」
「子どもの頃の顔なんて、ナビは見てないでしょ」
「近くであなたの気持ちを感じてはいました」
転生して、物心ついてからずっと一緒に過ごしてきたナビは少し誇らしげに胸を張った。
「……うん、そうだね」
リィトは頷く。
「おかげさまで、とても楽しいよ」
自由で、少し不自由で、気ままで心躍る生活。
戦いの中で英雄と呼ばれたり、宮廷魔導師をしているよりも、ずっと楽しい。
夏が来たら、新たに植えた作物の収穫が本格化する。
種類が増えたら、美味しい料理のレシピ開発にも乗り出したい。
水精霊の神殿探索なんていう、考えてもみなかったお楽しみまで降ってきた。
これから、忙しくなりそうだ。
世界樹疑惑の湧いてきた、謎の苗Xの様子も気になるところだし。
「……あ、そういえば。採取してきた沢の水ってどこにある?」
「わかりません、ナビの管理下にはありませんが」
「えっ! ってことは」
しまった。
リィトはあたりを見回す。
周囲の木々を枯らしている可能性もあるほどの、高濃度の魔力を含んだ水だ。フラウは足を浸しただけで、頭の花がコントロールできないくらいに咲き乱れていた。
「えぇっと、水筒に入れてこのあたりに……」
「警告! マスター、あれを!」
「げっ、マンマ!?」
マタタビ酒でさっそく酔いどれているマンマが、水筒を手にして千鳥足で歩いている。
それはどう見ても。
……どこから見ても、沢の水をたっぷり詰めた水筒だった。
「あああーーーーっ!!」
「ふにゃぁ~……酔っ払っちゃったにゃ~……お水お水ぅ」
とろんと蕩けた顔。
マンマが水筒の蓋を開け、今にもごくごくと飲もうとしている。
「飲んじゃダメだ、マンマ!」
「ふにゃっ!?」
しくじった。
珍しく切羽詰まったリィトの大声に、酔っ払いのマンマはフリーズした。
それだけならよかった。
強ばったマンマの手から、水筒がぽろりとこぼれ落ちてしまったのだ。
──蓋が開いたまま。
沢の水を、まき散らしたまま。
しかも、その近くにある植物は──リィトが手塩にかけて育てている、謎の苗Xだった。
頭痛の種ではあるけれど、育つのが楽しみな世界樹(仮)だった。
「ぎゃああああ!」
「ふ、ふにゃ……」
目をまん丸にして、ぷるぷる震えるマンマ。
リィトはどうにか、水が落下するのを止めようとしたが──。
「あっちゃ……」
ばしゃ、と。
沢の水が、地面にまき散らされた。
多量の魔力を含んでいるとおぼしき水が、謎の苗Xに。
「ご、ご、ごめんなさいですにゃ……」
「あー、大丈夫。大きい声出してごめん、マンマ」
「うにゃあ……」
普段は飄々としているマンマが、目を潤ませて硬直している。
大変なことをしてしまった、と軽いパニックに陥っているようだ。
アデルがマンマを抱き上げて、慰めてくれている。
「うーん、とりあえず、見た目は変化なしかな……?」
沢の水をかぶった謎の苗Xは、今のところ特に問題なさそうだ。
急に大樹に成長したり、あるいは触手っぽいバケモノ樹に変化したりはしていない。不幸中の幸いだ。
「とりあえずは経過観察だな」
ふぅ、とリィトは胸をなで下ろす。
アデルが「あら?」と周囲を見回す。
「……トラの姿が見えないわね」
「ん?」
「山に帰ったのかしら?」
猛虎型モンスターといっても、マンマやミーアと同じく猫の魂を持つ生き物だ。気ままな性質なのだろう。
夜も更けてきた。
花人族たちは、ほとんどが眠りにつこうとしている。
「そろそろ、僕らも寝ようか」
リィトの一言で、今夜の宴はおひらきになった。
煌々と月の明かりがトーゲン村を照らしている。
「明日は、沢を調べてみよう」
「ふにゃっ、わがはいも一緒に行きたいですにゃ……さっきのおわびは、体で支払うのにゃ」
と、マンマ。
すっかりしおらしくなって、酔いも覚めてしまったらしい。
「そうだね、なにか情報を探るならマンマの出番かも」
「まっかせてくれですにゃ!」
「では、明日に備えて眠りましょう。わたくしは、少々鍛錬をしてから休みますわ」
「え、アデルも来てくれるのかい?」
「ええ、もちろんですわ。リィト様」
にっこり、とアデルは微笑む。
リィトを帝国に連れ戻そう、という目的はいったん忘れてくれるらしい。
トーゲン村の暮らしを、かなり気に入ってくれているらしい。
「遺跡を探して散策なんて、楽しそうです……それに」
「それに?」
「もしも水精霊の神殿に、まだ水精霊がいたとしたら、とんでもない発見です! リィト様の素晴らしさを、宮廷魔導師どもに知らしめなくては!」
「いや、本当にやめて! そういうの!」
訂正。
まだ、アデルは諦めてはいなかった。
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