第40話 自由研究『謎の種子X』2-3
◆
死ぬ。ぜったい死ぬ。
リィトはぜぇぜぇと息を弾ませながら、前を歩くフラウとアデルの後ろを必死についていく。
東の山に足を踏み入れたのは、花人族の集落を助けたときと、何回か薪集めを手伝ったときくらい。
今回歩く道は、そのときとは比べものにならないくらいに野性味あふれる山道だった。
「は、はぁ……はぁ……」
「大丈夫ですか、リィト様~?」
「だ、大丈夫、です」
「フラウのおやつの春ベリー、食べますか? 元気でます」
「ぜ、ぜぇ、ありがとう……食欲はないかな……」
ちょうど腰掛けられそうな倒木があったので、少し休憩をとることになった。小まめな休憩が山歩きには欠かせない。
水筒の水をごくごくと飲み干し、ふぅ、と人心地つく。
植物魔導への突出した才能以外は、リィトは本当に普通の人間だ。
しかも、インドア派。
山道を歩けば、当然息が切れる。
白い第十五騎士団名誉団長の装いを少しも汚さず、余裕綽々で歩いているアデル……については、いいだろう。もともと彼女はフィジカルエリートだ。
予想外なのは、いつもの辞書を両手に抱えたままのフラウも、さくさくと山道を進んでいくことだった。
(ふぅ……きっつ……。でも、これで仮説が立ったなぁ)
花人族が畑仕事に精を出し、様々な植物を愛でて育てたがる理由だ。彼らはどうやら、周囲に植物があればあるほど、身体能力や生命力が底上げされているようだ。
その昔、花人族が東の山に逃げ込んで、そのままこの場所を離れられなかった理由もそれだろう。
植物がないと、極端にパフォーマンスが落ちてしまうのだ。
となれば、カラカラに乾いた荒野を突っ切って別の土地に移動するというのは難しい。
「……だとすると、水不足には理由がありそうだよなぁ」
もともと、花人族はこのトーゲン村の周辺で暮らしていたらしい。
ならばほぼ間違いなく、平野部分も緑に溢れていた、ということになるだろう。それなのに、今はこの有様だ。
昔から同じ気候や降水量だったとは考えられない。
気候や天候だけではない。
そもそも、花人族が栄えるためには水場が必要だったはず。
これだけの土地に、川のひとつも見当たらないことが本来であれば異常なのだ。
水は高いところから低いところに流れる。
東の山、という「高いところ」があるのに、川がない。
それはつまり、水源が失われた──ということではないだろうか。
「沢まで、あとどれくらい?」
「あともう一息ですよ、リィト様」
「そうか……よし、頑張って歩かなきゃね」
「マスター、休息は充分でしょうか」
ふわりと空中に顕現したナビに、リィトは頷いて見せる。
いいなぁ、人工精霊。
「うん、あまりのんびりしていたら日が暮れちゃうし」
「リィト様、よろしければ、わたくしがリィト様を抱きかかえて──」
「遠慮させていただきますっ!」
お姫様にお姫様抱っこで運ばれるのは、少し、いや、だいぶ気が引ける。
物事にこだわらないタイプのリィトだが、やっぱりちっぽけなプライドというものがあるのだ。
「むぅ」
不満げなアデルをなだめて、なんとか自力で歩くことにする。
「確認。マスター、植物魔導を使った歩行補助も可能なはずですが、実行しますか?」
「いや、それじゃつまらないだろ?」
「そうなのですか」
「リィトさん、がんばってくださいっ」
「ありがとう、フラウ」
なんとなく元気のない木々の間をしばらく歩くと、不意に視界が開けた。
「ここです」
「あー……」
たしかに、水場があった。
ただそこを「沢」、というにはあまりにも小さい。
水たまりという呼び方が、本当にしっくりくるほどに小さな沢だった。
ただ、たしかにそこには湧き水があった。
「量は少ないけど、綺麗な水だ」
かすかに、清らかな魔力を感じる。
水質がいい。
けれども、これを農業用水にするには量も足りなければ、畑までの水路を引くのもひと苦労。水路はベンリ草でどうにでもなるだろうけれど、せっかく見つけた水場を万が一枯らしてしまったら目も当てられない。
水場の近くのマイナスイオン的な癒やしパワー(この世界ハルモニアでいうところの、空中魔力だ)をあてこんで、沢のほとりで一休みすることにした。
魔導の発動に使うことのできるエネルギーのひとつだ。
ただし、北大陸では
それにともない、人が体内に持つ魔力で魔導を使うようになったわけだが、どうしても出力は落ちてしまう。リィトは生まれつき、かなりの量の魔力を体内に備えているため苦労はしていないが、人族のなかには魔力を持たない者も増えているとか。
「はー、気持ちいいなぁ……」
小難しいことは置いておいて、空中魔力が満ちている空間は心地がいいし、癒やされる。
トーゲン村にも、こういう水場があったらなぁ……とリィトは物思いにふけった。
「きもちいい、です……って、はわっ!?」
冷たい沢の湧き水に足を浸していたフラウが、ぷるるっと身を震わせた。
嬉しいときや興奮したときに満開になる、フラウの髪の花がぽぽぽぽん!っと音を立てて咲いていく。
「わ? わわ?」
恥ずかしそうにおろおろするフラウ。
「これ、もしかして
「
「まぁ、これはお花見にぴったりね」
「アデルさん、フラウでお花見しないでください~っ」
「ふふ、ごめんなさいね」
仲よさげにじゃれ合っているフラウとアデル。
その横で、リィトはあるものを見つけた。
沢は、リィトの小屋にあるシングルベッドよりも一回り大きい程度の大きさ──要するに、ダブルベッドくらいの大きさしかない。
深さも、フラウの足が底につくくらい。奥のほうは多少は深さがあるようだ。
その、奥のほう。
大きな岩が横たわっているのだけれど、そこになにか紋様が刻まれている。
「アデル。君が見つけた紋様って、あれのことかい?」
「あ、はい! そうですわ、リィト様」
「たしかに、人族のものではないね」
少なくとも、現代に伝わっている言語や魔導紋章ではなさそうだ。
だが、どこかで見たことがあるような。
「……どこで見たんだったかなぁ」
「っ! さすがリィト様です、なにかご存じなのですか!?」
「うーん、いや、全然思い出せない……」
今度、マンマになにか情報がないか調べてもらおう。
情報ギルド『ペンの翼』のお手並み拝見だ。
「せっかくだから、ここの水を少しもらっていこうか」
「はいっ」
水筒に、沢から水を分けてもらうことにする。
不可解な紋章といい、周囲に満ちている空中魔力(エアル・マナ)といい、自分で飲むのは少し腰が引けてしまうけれど、サンプルとして手元に置いておきたいところだ。
「……よし、と」
水筒にたっぷりの水をいただき、リィトは立ち上がる。
さぁ、と風が吹く。
すでに夕方の匂いがする。肌寒い。
日が沈む前に帰らなくては。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「はいっ」
「ええ、リィト様」
「──警告」
警告。
……警告?
「ナビ? どういうことだ、警告って」
「敵性反応。マスター、先日の猛虎型モンスターです──周囲の魔力反応により索敵精度が低下していました、申し訳ございません……奇襲です」
ナビの声が終わるか終わらないか。
そのとき、低いうなり声が地面を震わせた。
『GYAAAAAAA!』
トーゲン村を襲撃し、花人族たちのマタタビ酒で撃退された猛虎型モンスター。
「二人とも、下がって──」
リィトは、魔力を集中させる。
ベンリ草の種子を発芽させていたら、間に合わない。周囲にある植物の力を借りることにした。
リィトの魔力を吸い込んだ下草が、爆発するように巨大な背丈に成長する。
トゲトゲと固い草が目を引っ掻いたらしく、ヌシが驚いて少し怯んだ。
その隙を見て、リィトたちは大きく撤退する。
「マタタビ酒はあるか、フラウ!」
「ご、ごめんなさいっ。持ってないです」
「問題ない。あの虎には悪いけど、少々手荒なまねをしないと」
「だ、ダメですっ!」
「え?」
「あのトラさんは、フラウたちと生きてきたお山のヌシだから、あの、だめ、傷つけたり、やっつけたりしたら……っ!」
「でも、」
リィトは困り果てる。
たしかに、あの猛虎型モンスターと共生関係にあったおかげでフラウたち花人族たちは、ここの東の山で生きてこられたのかもしれない。
けれど、今は命の危機だ。
どう見ても、ヌシと呼ばれた猛虎型モンスターは興奮して怒り狂っている。
戦わねば、食われる。
今は、そういう状況だ。
しかも、肝心のマタタビ酒もないのだから。
「フラウ、ダメだ……やっぱりここは」
ベンリ草に手をかける。
リィトの二つ名は『侵略の英雄』。
大量のモンスターを相手に、大地を蹂躙する植物魔導でもって、彼らのテリトリーを侵略しつくした帝国の英雄だ。
中級から上級の猛虎型モンスター程度ならば──
「リィト様」
「……アデル?」
「よくわかりませんが、あのモンスターを傷つけずになだめればいいのですね?」
「アデルさん、できるのですか?」
「いや、ちょっと待てって! 危ない、アデル」
「危ない?」
つかつか、と迷いなく目を押さえてグルグル唸っているヌシのほうへと歩いているアデルが、背中越しに呟く。
「リィト様、今のお言葉は撤回を」
アデルが、ヌシに手を伸ばす。
「わたくし、危ない目にあって守られるような、」
「や、やめろアデル!」
「か弱い姫君ではありませんの──」
目にも留まらぬ速さで、ふさふさの毛皮を掴んで──
「──フンッ!!」
「な、投げたーーーーっ!?」
投げた。
ぶん投げた。
空中をぶっとんでいくヌシを追いかけたアデルは、地面に落下する寸前のヌシを掴んで、地面に叩きつける。
ずぅん、と重い地響き。
「ひゃっ」
とフラウが固まった。
ロマンシア帝国第六皇女、
鬼神のごとく戦う勇猛果敢なさまは、モンスターたちですら震え上がった。
──リィトの知り合いでどういう理屈か知らないが大型モンスターを飼い慣らして使い魔にするという離れ業を行う馬鹿がいた。
そう。
今も、目の前に、いる。
「危ない? 危ない、危ない、危ないって、敵から守られるお姫様なんてたくさんなのよ……わたくしはね、民を守る側でありたいの!」
アデルは、誰にともなく呟く。
目の前の猛虎型モンスターに、その思いを叩きつける。
「どっちが強いのか、わからせてあげますわよ!」
『GYAAAAAッ!』
彼女はいつだって、自らを鍛え上げていた。
誰にも馬鹿にされないように。
誰にも負けないように。
『GYA……』
「こんな山の奥で、その強さを持て余していたのね──」
猛虎型モンスターが、アデルに腹を見せる。
まるで、子猫のように。
「いいわ、あなたもわたくしの弟子になるのね……いつでも、稽古の相手になりましょう」
『GYAO!』
フラウが信じられないものを見るように、アデルの背中を見つめている。
「す、すごいです。アデルさん」
「……相変わらずだなぁ、まったく」
猪突猛進で、一生懸命。
そのまっすぐな、まっすぐすぎる心根が、モンスターをねじ伏せる。
対魔戦争のときに、アデルが力でねじ伏せて
今でもそのうち何頭かは、決して人を襲わない野生の個体として生き延びているとか、いないとか。
ただ打ち倒すだけではなく、場合によっては心を通わせる。
アデル曰く。
対話をする機を得るために、力というのはある……のだとか。
リィトには、アデルの心中はわからない。
けれど、焼き払い、なぎ倒す──それを誉れとする騎士団の男たちでは成し得ないことを、何度もアデルは達成していた。
実際、対魔戦争のときにはアデルの存在がなければ乗り切れなかった局面が何度もあったのだ。
「……危ないって、あのモンスターに警告したつもりだったんだけどな」
リィトは、ふーと息をつく。
ひとまず、事態は落ち着いたようだ。
「アデルさんって、すごい人……ですっ」
フラウが目を輝かせている。
同じ女として、規格外のアデルの姿は胸を打つものがあるのかもしれない。
「うん。すごいやつなんだよ、アデリア殿下は」
──こうして、南大陸の地でもアデルの使い魔が誕生したのだった。
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