第37話 皇女様は疲れている。3
◆
翌日からの三日間、アデルはトーゲン村で汗を流した。
早朝から畑仕事。
午後からは東の山で薪の調達。
期待通り、アデルの怪力はトーゲン村の役に立っている。
アデル自身も、山歩きや農作業を楽しんでいるみたいだ。
しかし、だ。
アデルの、パワー以外の新たな能力が判明したのは、リィトにとって意外なことだった。
「チキンスープ美味いな……」
バーベキューで余った鶏肉でアデルがささっと作ってくれたチキンスープは、濃厚な鶏出汁が嬉しい。
「こっちの鶏ハムっぽいのも絶妙」
まだ調理していなかった鶏肉も、アデルの手によって調理された。
むね肉を芋のデンプンを使ってつるりと仕上げ、ハーブと塩で味付けをした鶏肉。コンビニで売っていたサラダチキンみたいな味だ。
「帝国のお姫様が、料理上手いなんてな……」
「訂正。アデリアの調理能力は、どうやら鶏肉のみに特化しているようです。野菜やその他の肉については、一般的な調理レベルの域を出ていないかと」
「でも、チキンは絶品だ」
いい歳をして、昼食前につまみ食いをしたくなってしまうくらいには美味い。
意外な才能だ。
アデル曰く、
『チキンを食べると、筋肉の調子がいい』
ということで、それを発見してからずっと食べ続けていたのだとか。
栄養学を自ら切り開いたということか。
「うーん、ずっと一緒にいたけど……ここまでとは」
鍛錬マニアなところはあるな、とは思っていた。
しかし、口にするものまでこだわっていたなんて──アデルのことを『筋肉皇女』と揶揄している連中のうち、ここまで頭を使って鍛錬をしている人間がいるだろうか。
「……アデルに料理を教わりたい」
「むしろ、この村で調理を担当いただくのはいかがですか。マスター」
「いや、それはさすがにさ。相手は皇女様だよ?」
ナビとそんな話をしていると、噂のアデルが帰ってきた。
フラウたちと一緒に東の山で見つけた大きな倒木の運搬に出かけていたのだ。誰も怪我なく帰宅してくれたようで、なにより。
「ただいま戻りました!」
「ああ。おかえり、アデル」
「た、た、た、ただいまっです、リィト様あぁぁ!」
「……うーん、この様子のおかしさ」
どうやら、「おかえり」がアデルの琴線に触れたらしい。
乙女心はわからないものだ。
「今日もありがとう、ハイペースすぎないか?」
「いえ! 東の山での薪集め、よい鍛錬にもなっています。リィト様は、またその鉢植えの世話をされていたのですか?」
「ん、まあね」
謎の芽Xは、少しずつ育ってきている。
虫食いもなくて、みずみずしい。うん、順調だ。
「アデルさん、とてもかっこいいのです! フラウたちではビクともしない木を、ひとりでずりずり動かします!」
「フラウの応援のおかげよ。それに、今日は花人族の集落だったところに案内してもらったのも興味深かったわ」
「隠れ里ですね。リィトさんが畑を貸してくださっているおかげで、フラウたちは山から下りてこられました」
「もっと褒め称えるといいわ。リィト様はいつだって、弱き者や虐げられている者の味方です!」
「いやいや、買いかぶりすぎだよ」
「そんなことは! 対魔戦争のときにも、正体を隠して様々な善行を──」
「目立ちたくなかっただけだって」
結局は、アデルに正体を暴かれて帝国の騎士団に力を貸すことになり、英雄とか呼ばれることになったわけだけれど。
「そんなことより、トーゲン村の暮らしはどうだい」
「そ、うですね……はい、リィト様。思っていたよりもずっと、すばらしい場所だと思います」
思ったよりも素直に、アデルがはにかんだ。
「帝都にはない時間の流れというか、畑に出ると、土と自分しかいないというか……リィト様が植物魔導を使わずに畑仕事をされている意味が、少しわかったような気がします」
「じゃあ、僕は帝都に帰らないって方向でいいかい?」
「……それは、でも──」
「アデルが困っていたら、僕はかならず駆けつけるよ。でも、帝都での暮らしはもう窮屈なんだ」
「……わかりました」
アデルが頷く。
この数日、本当に色々と考えてくれたみたいだ。
「よかったら、いつでもトーゲン村においで。フラウたちも、アデルのことを尊敬してるみたいだし」
「そ、そうでしょうか」
「うん。あと、このチキン料理……また、作ってくれるかい。チキンスープとか」
「えっ!!」
アデルが真っ赤になった。
はわ、はわわ……と震えている。
「あの、その、スープを毎日作ってほしいというのは、庶民の間では、その、その……」
「あっ」
しまった。
リィトは戦慄した。
味噌汁を毎朝作ってくれとか、そういう時代錯誤なアレではないのだ。断じて! というか、異世界でも同じような言い回しなんだなぁ、と転生してから十数年、ちょっと感心してしまった。
「ごめん、アデル! なんかセクハラっぽい言動だったら許してくれ!」
「はら……? それは存じませんが、その、即座にお答えはできないといいますか」
「うんうん、さっきのはナシで頼みます! 皇女殿下に不敬を働いたとかで、軍事制裁とか受けたら困るしね!」
「道ならぬ恋というやつですね……!」
完全に乙女心が沸騰しているアデルと、焦るリィト。それをじっと眺めていたナビと、頭の上にハテナマークを飛ばしているフラウ。
ナビが、人工精霊(タルパ)のわりには人間くさい、大きな溜息をついた。
「まったく。マスターは本当に、アレですね」
今回の「アレ」には、人たらしとかそういう文言が入るのではあるが、ナビの言葉を拾うものはいなかった。
比較的察しのいい猫人族ズが、朝一番で自治区に帰ってしまっているのが悔やまれた。
アデルがやっと落ち着いて、食後のお茶を飲んでいるとき、彼女はしみじみと呟いた。
「本当に、ここはいいところです」
「そろそろ、帝都に帰らねばならないのが惜しいくらいです」
「アデルさん、帰ってしまうのですか」
「ええ。帝国人のギルド自治区への滞在は、帝国市民権を放棄していないかぎりは最大でも十日間と決められています」
「リィトさんは?」
「僕は市民権を放棄したから問題ないよ」
「そんなあっさり……まぁ、そこがリィト様のいいところではありますが」
アデルが眉をひそめる。
くっとお茶を飲み干して、一息つくとアデルは改めて話を切り出した。
「明日にはここを発とうと思います」
「そうか……また来てくれるだろう」
「ええ、リィト様を説得するために」
「えー、まだ諦めてくれないのか」
「当然です。英雄の不在は、誰がなんといおうと帝国の損失ですから!」
「うーん……本当に、買いかぶりすぎだと思うんだけど」
「フラウは、アデルさんがまた遊びにきてくださるのを待っています!」
純真無垢なフラウの言葉に、アデルが微笑む。
この数日の滞在期間に、ずいぶんと仲がよくなった様子。
こないだの戦争のときには、いつも張り詰めた表情であったアデルが年下の女の子と穏やかに話している様子は微笑ましい。
「ええ、私も楽しみにしているわね──また、例の場所で遊びましょう、フラウ」
「例の場所?」
荒野と山しかない土地だけれど、例の場所なんてあっただろうか。
「はい、倒木に隠れていたのですが、小さな沢のようなものが」
「沢! 沢って、水のある!?」
「水がない沢などあります?」
「すごいぞ、これで地下水に頼らず農業用水が──」
なぜかほとんど雨の降らない土地である。雨が降ったとしても、水はけのよすぎる土地だから保水できるかは不明だが。
「残念ながら、本当に小さな沢ですよ……ロマンシアの城にある、手水桶みたいなものです。水たまりかと思ったほどで」
「そ、そうか……なんだ……」
「ただ、不思議なものを見つけました」
「ん?」
「なにかの紋様のような」
「はいっ、花人族(フローラ)の紋章でも、人族(ニュート)の言葉でもないです!」
「フラウも見たことがない紋様か。今度、見に行ってみよう」
「ええ、リィト様でしたらなにかおわかりになるかも」
「だから、買いかぶりすぎだよ」
だが、土地に関する新しい発見はありがたい。
今度、フラウに案内してもらおう。できればアデルも一緒がいいけれど。
「そうだ、アデル」
「はい……?」
リィトはアデルに、ひとつの提案をした。
彼女がトーゲン村に帰ってきやすいように、そして、リィトにも利があるように。
「君に頼みたいことがあるんだ」
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