第29話 ロマンシア帝国の筋肉皇女
ロマンシア帝国、帝都。
北大陸を支配する大帝国の、軍事中心地だ。
白亜の城と名高きロマンシア城に、凜とした少女の声が響いた。
「リィト・リカルトを追放した?」
アデリア・ル・ロマンシア。愛称はアデル。
ロマンシア帝国第六皇女だ。
ついでに、第十五騎士団の名誉騎士団長でもある。
皇族、しかも皇女が名誉騎士団長に就くというのは、通常は名前だけ。
式典に騎士団の制服を模したドレスを纏って、形だけ出席する。そのはずなのだが、アデルは違った。
北大陸を百年にわたって苦しめたモンスターとの攻防の最前線に立ちたがる、じゃじゃ馬おてんば姫だ。
第六皇女という、継承権争いと薄い存在であることや、与えられたのが第十五騎士団という、いわば予備隊に近い弱小騎士団であることもあって、お目こぼしをされている状態だ。
いや、正確にはアデル自身がたゆまぬ努力によって、騎士団を率いて実務に耐えうる──あるいは、それ以上の実力をそなえているのだが。
北大陸の各地にある
「信じられませんわ、リィト様を追放……? あの方が、いったいどれほど我が帝国の勝利に貢献してくださったか、宮廷魔導師たちはわかっていますの?」
皇女アデルはロマンシア帝国の騎士として、対魔戦争の最後の一年間だけだがリィトとともに戦った。
いわば、戦友。
リィト本人が、身分や実績を隠して宮廷魔導師として暮らしたい──要するに、英雄という栄誉を捨てたいと願ったときに、紆余曲折ありながらも手を回した張本人だ。
自分の活躍を頑なに隠そうとするリィトの功績を、皇帝に知らせたのもアデルだった。植物魔導などという、戦闘には役に立たないとされてきた超マイナーな魔術を操る者が巷で噂の「天才」であるとは、誰も思わなかった。
リィトを、尊敬していたから。
彼が幸せに暮らせるならば、リィトの望みを叶えたいと思ったのだ。
なにより、リィトの優秀な力を帝国に留め置くことができるなら──それは、ロマンシア帝国にとっても、そして、アデルにとっても喜ばしく多大な益になることであると判断した。
それなのに。
不在中の報告を宮廷魔導師から受けている最中に、思わぬ報告を受けることになったのだ。
リィト・リカルトが追放された。
「……恐れながら、リカルト殿の実績を考えると必要以上の好待遇であると、宮廷魔導師団内からも不満の声があがっておりましたゆえ」
「……不満?」
実績に、不満がある?
好待遇というのは、彼の正体を知っている一部の皇族や有力将軍が、リィトに親しげにしていたから?
──なんと、くだらない。
アデルは震えた。
怒りに、震えた。
「気に入らないとか、生意気だとか……女だから、とか……っ!」
みし、めき、と不穏な音が煌びやかな姫君の部屋に響く。
美しく着飾った第六皇女アデル。
その手には、扇が握られている。
ロマンシア帝国では、古来から貴婦人は優雅で優美な扇を持つことが通例となっているのだ。
しかし。
アデルの扇は、貴婦人の持つ艶やかな木製、あるいは象牙でできたものではない。
鉄扇である。
その扇がミシミシ、メシメシと嫌な音をたてているのだ。
魔導の類いではない。
種族特有のスキルでもない。
──アデルの、筋力である。
怒りのあまりに握りしめられた扇が、悲鳴をあげ──
「……わたくしの走竜車の用意を!!」
バキャッ、と断末魔とともに、砕け散った。
麗しい姫君から放たれるはずもない、剣呑な眼光が宮廷魔導師を射貫く。
「は、はい?」
「リィト・リカルトを追います。お父様には文にてお知らせいたします。準備ができ次第、南方へと出発します」
「し、しかしアデリア様。今週は上級貴族と軍上層部との会食が予定されておりまして、」
「どうでもいいです」
「なっ」
「ですから、どうでもいいと申しています。お父様の差し金でしょう、わたくしの婚約相手を見繕うための……」
アデルの指摘に、宮廷魔導師は押し黙ってしまう。
図星だった。
対魔戦争と戦後の混乱で遅れたアデルの結婚話が急ピッチで進められている。第六皇女ともなると、おそらく有力伯爵家との政治的な繋がりを強めるために嫁がされる、あるいは、まるで武勲の褒美のように軍上層部の独身将校に嫁がされるのだろう。
いずれにせよ、アデル本人にとっては面白いものではない。
アデルが望むのは、騎士団の一員としての自分なのだ。
幼い頃から鍛え続けてきた肉体は、もはや鋼鉄のフィジカルと化している。
宮廷魔導師は、ごくりと固唾を呑む。
(こ、こ、殺される……っ、筋肉皇女に殺される……っ!)
筋肉皇女。
それが、アデルの数ある二つ名のうちの一つである。
もちろんその二つ名は、本人のいないところで使われているのだが。
鍛え上げた肉体は着痩せする。
ドレス姿のアデルからは想像できないが、彼女は正直──脱いだらすごい。
宮廷魔導師のおびえを感じ取ったのか、アデルは低く呟く。
「……御安心なさい。ロマンシア帝国の直営墓地が新しく整備されているそうですから。走竜車の手配、お願いいたしますね」
「は、は、はいぃっ!」
逃げるように部屋から転げ出ていく宮廷魔導師の背中を、磨かれぬままに曇った水晶玉のような目で見つめる。
暴力姫騎士、筋肉皇女。
自分が揶揄されていることは知っている。
それでも、近くにリィト・リカルトがいるのなら耐えられた。
アデルが心から尊敬する彼だけは、アデルを「女ながらに騎士の真似事をしている」と馬鹿にすることはなかったから。
「……はぁ」
思わず、深い溜息。
帝国からの追放となれば、南下して南大陸へ入ったと考えるのが順当だろう。リィトほどの魔導師であれば、海を渡ったと考えることもできるが──リィトは前々から、『誰もいない広大な土地でのんびり植物を育てたい』みたいなことを漏らしていた。
ならば、追いかける他はない。
「……リィト様」
追放なんて許せない。
もし、リィトが望んで出ていったのだとしても、説得しなくては。彼はロマンシア帝国になくてはならない存在だ。
少なくとも、さよならも言えずに別れるのは嫌だ。
アデルは立ち上がり、外出用の軍服に袖を通した。
走竜車の支度ができ次第、出発しよう。
「……その前に」
くぅ、と切ない音を立てる腹を押さえる。
「そ、その前に腹ごしらえねっ。腹が減ってはステゴロはできぬよ」
アデルは、ある場所へと向かう。
第六皇女の身分を最大限に発揮して作らせた、秘密の場所。
──アデルの食料庫だ。
「ふふ、うふふ……」
宮廷魔導師に作らせた、氷魔導で半永久的に真冬の気温と湿度を保ち続ける氷室。そこには、塩辛いばかりの加工肉でも芋でもなく──新鮮な鶏肉が保管されていた。
「うふふふ、やっぱり筋肉には──コレですわね」
第六皇女アデリア・ル・ロマンシアは自ら包丁を取り出す。
彼女は自らの肉体を磨き上げることに関しては、一切の妥協を許さなかった。その結果として、トレーニング効果を最大限に発揮するためのタンパク質補給に、たったひとりでたどり着いたのだ。
「ササミ♪ ササミ♪」
アデルは厳しい鍛錬の傍ら、あらゆる肉を美味しくいただくための工夫も積み重ねてきた。
軍用食品の開発以外には手が回っておらず、料理の文化が大きく衰退して久しいロマンシア帝国──その国に生まれ育ってなお、プロテインを愛するアデル。
彼女はやはり、変わり者の姫君であった。
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