第16話 新天地2


 テント。

 焚き火台、すすけたランプ。

 折りたたみテーブルと簡易チェア。

 ……すべて破損してしまった。

「嘘だろ……」

 無事なのは毛布くらいだ。苦労して家財を運んだのに、まさか到着してすぐに破損するとは思わなかった。上手くいってばかりじゃつまらないとはいえ、これはツイてなさすぎる。

 リィト自身が身につけていたポシェットや貴重品は無事だったのが不幸中の幸いだ。

「ま、特にこいつが無事でよかったよ」

 謎の種X。

 隠居生活のお楽しみのひとつが、こいつの育成だ。

 数年間の宮廷魔導師としての社畜生活で得た退職金代わりだ。ここで紛失でもしようものなら立ち直れない。

 なくさないように、謎の種X入りの小瓶をポシェットの奥に改めて押し込んでおく。

「しかし、悠長なこと言ってられなくなったな……」

 テントも焚き火台も、簡易家具もなにもなくなってしまった。

 せめて今夜寝泊まりする場所くらいは確保しないと、野宿だ。それはさすがに、ちょっと嫌だ。

 仕方がない。

 ベンリ草の出番のようだ。


 さて、と。

 リィトはかろうじて無事だった杖を構える。

 別に杖なんてなくても魔法は使えるが、こういうのは気分が大切だ。

 宮廷魔導師時代は、「杖なんて使うやつはニワカ」みたいな風潮があったので無駄に指パッチンとかしていた。かっこいいと思うんだけどね、杖。

「まずは小屋だね。すくすくと育て!」

 杖を掲げて、『生長促進』の魔法を使う。

 リィトの魔力と相性抜群に品種改良したベンリ草が、リィトの思い描いていた通りの小屋を作り出す。

 見た目は完全にログハウスだ。

 高床式になっていて、もしここが水はけの悪い土地だったとしても床上浸水の心配はしなくてもよさそう。

 階段を六段上がると小屋をぐるりと取り巻く縁側というかベランダというか、という空間がある。鉢植えを育てたり、朝食を食べたりするのにもってこいのスペース。

 ドアの向こうは楽しい我が家だ。

 今回は種子をばら撒かずに、色々と考えながら地面に配置した。

 小屋全体は広すぎないほうがいい。

 気ままなひとり暮らしだから、1LDKあたりがいいだろう。広々した3LDKなんて持て余すし、毎日の掃除が大変だ。

 こんなふうに建物自体の構造や間取りをイメージして種子を置くと、魔法での操作が最小限に済む。

 こないだの戦のときには、あらかじめ斥候に種蒔きをしておいてもらってモンスターたちの群れでいきなり発芽──というテロじみた作戦もとったわけだが、それと似たような考え方だ。

 準備八割、仕事は二割。

 これ、物作りをやり込むときの鉄則である。

 内装は思い描いたとおりの仕上がりだった。

 ベンリ草の匂いが瑞々しい、木の空間。

「ベッド、すくすくと育て!」

「椅子とテーブル、すくすくと育て!」

 最低限の家具も揃えたところで、日が傾き始めた。

 夕食はどうしようか。

「……ついでだから、家庭菜園の下準備だけしておこうかな」

 ひとりで管理できる畑の大きさをイメージしてみる。

 実際に農業や園芸をするのは初めてだから、小さめから始めよう。

 畑にするための土地を決めて、種子を置く。

 ベンリ草の種子だ。

 別にベンリ草をさらに育てようというわけではない。

 もの作り以外にも、こいつはリィトの手足のように使えるのだ。

「──すくすくと、育て」

 ぼこ、ぼこ、ぼこ。

 太く逞しいベンリ草のツルが、まるで大蛇がのたうちまわっているかのように土を掘り返す、掘り返す、掘り返す!

 生長と枯死を高速で繰り返すことで、まるで意思を持っているかのように動くベンリ草。

 リィトの力では、到底耕すことのできない深さまで容赦なく土を攪(かく)拌(はん)していく。土に空気を含ませて、ふんわりさせるのがコツである。

 暴れ回るツルによって土がかき混ぜられていく。

 ベンリ草は、朽ちれば良質な肥料になってくれる。

「──朽ちて眠れ」

 ぴた、とベンリ草の動きが止まる。

 ぼろぼろと朽ちて柔らかくなった土の上に散らばっていった。

「よし、ちょっとは肥やしになるかな」

 作った畑の広さは、だいたい二十五メートル四方。

 大農場などではないけれど、リィトひとりが幸せに暮らすための畑としては充分な広さ。

 試しに、いくつかリンゴの種子を蒔いてみた。

 使い捨てではなく、これから手をかけて面倒を見る畑なので、木と木の間には適度なスペースを空けておく。

 今蒔いた種は帝都に出回っている、赤くて小さくてちょっと酸っぱいリンゴだけれど、これからは品種改良にチャレンジするのもいいな。

 蜜がたっぷり入ったリンゴを、久々に食べたい。

「すくすくと育て」

『生長促進』の魔導で、畑の一角が小さなリンゴ畑になった。

 実った果実をもいで、一口囓ってみる。

 じゅわっと果汁が飛び出てきた。

「す、酸っぱい!」

 うん、やっぱり酸っぱい。

 それでも、長い一日で乾いた喉が潤った。

「……っていうか、これはクレームものだぞ?」

 リィトは土地管理局でこう言ったはずだ。

 なるべく平地で。

 人目につかない。

 水源の確保できる土地、と。

「全然、ないじゃないか。水源なんて」

 事前に見せてもらった地図によると、泉のようなものがあると記載されていた。そこから流れる川もあるはずだ。

 だが、まったくもって見当たらない。

「うーん……騙されたのか? あのおじさん、そういうタイプには見えなかったけど」

 人は見かけによらない、とはいうけれど、彼が悪意ある人間には思えない。

 おそらくは、単純なミスによるものだろう。それはそれで困るけれど。

 とにかく、水の確保についても考えなくてはいけない。

 一応、荒れ地を開拓してのんびりスローライフをやり込もうという意気込みでここまで来たのだ。もしものときのために、水の確保のためのちょっとした策はある。

 水の問題は死活問題。あと回しにするのは気が引ける。

 畑仕事に使う水の調達は、ぜひ自分で取り組んでみたい。

 けれど、まずは自分が使う生活用水を早急に確保するべきだろう。

「……うん、ここまできたらやっちゃおうか」

 リィトは種子入れのポシェットから、その他の種子とは別に取り分けていたものを小屋の近くに埋める。一応は、これもベンリ草の一種。

「さて、上手くいくかな」

 さっそく、『生長促進』で育てる。

 地中深くに根が伸びていき、行き着いた地下水を汲み上げた。

「よし、あとはこうして……こう……っ」

 集中、集中だ!

 水を汲み上げることに特化したベンリ草は、地中に生えている部分はリィトの鳩尾あたりまでの低木。

 リィトはその低木の枝に集中して、『生長促進』と『生命枯死』を繰り返す。

 ねじって、ひねって、管をつなげて──蛇口を作る。

「よし!」

 とりあえず見た目は、完璧に木でできた水道の蛇口だ。

 地中深くには、おそらく水脈もあるだろう。

 これだけ地表がカラカラに乾いていると不安だけれど……まぁ、なるようになるさ。

 期待半分、不安半分。

 おそるおそる蛇口をひねる。

 ちょろ。

 つー……。

「うん、少ない!」

 水が出た。

 労せずして、清潔な水が出た。

 でも、とても少ない。

 リィトは前世の出張先で宿泊したビジネスホテルの水圧がまるでないシャワーを思い出していた。しかし、地下水脈までこんなに水が乏しいのだとすると、この土地は本当に乾いているんだな。先行きが不安だ。

「……ま、時間かければちゃんと水も溜められるし」

 これで、リィトが使うくらいの水は問題なさそうだ。

 となれば、もうひとつ。

「……種のひとつくらいは、育てられるかな」

 ベンリ草細工で、小さな鉢植えを作り上げる。

 軽石と柔らかく耕した土を鉢植えに重ねていく。

「うーん、埋める深さはこれくらいかな?」

 いきなり地植えにするにはリスクがある。

 まずは鉢植えで発芽させたい。

 大きさと形状からして、おそらくは樹木の種子のようだから、地面に植えるまでに苗木くらいまでは育てておきたいところだ。

 鉢植えの表面を、地下水で軽く湿らせておく。もう夜だから、水をやるのは明日の朝だ。

 植物魔導を操り、様々な植物の知識を蓄えてきたリィトすらも知らない謎の種子X──ついに、植えてしまった。

 いったいなにが育つやら。

 宮廷魔導師の資料室にあったということは、貴重なものであることは間違いないと思うのだけれど。正直、かなりドキドキする。

 それと同じくらい、ワクワクも。

 やりきった感とともに眠気に襲われたリィトは大きくあくびをした。

「ふぁ……ちょっと早いけど寝ようかな」

 鉢植えを眺めながらリンゴを三つ平らげて、リィトは新築の我が家に入った。

 寝室のベッドは、いい感じの雰囲気があるアンティーク調にしてみた。

 でも、マットレスがない。

 なにかふかふかの植物でも生やそうか、と少し考えたけれどリィトはそのままごろりと横になった。

 数少ない無事だった荷物に、毛布があったのがラッキーだ。

「……おやすみなさぁい」

 ナビも休眠モードだし、誰が聞いているでもないが、そう呟いた。

 満月が昇ってすぐにベッドに入ったのなんて、久しぶりだ。

 いいね、隠居生活っぽい。

 鉢植えはベッドサイドに作った、小さなテーブルの上に。

 東の山に面した窓から朝日も差し込むはずだし、ちょうどいい。この世界ハルモニアでも、お日様は東から昇るのだ。

 さあ、明日はなにをしよう。

 あれこれ思いを巡らせながら目を閉じると、すぐにリィトは眠りの世界へと落ちていった。


 ──その窓の外に、小さな人影が動いていることにも気付かずに。

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