第9話 土地を買おうと思う。
翌朝は快晴。微風が気持ちよい天候だ。
リィトはガルトランドの街へと繰り出した。
運送ギルド御用達の宿だったこともあり、朝食はものすごく豪華。味は相変わらず、しょっぱかったり味が薄かったりだったが、特にぶ厚く切ったハムだけは、それなりに悪くなかった。
ギルド自治区の都市『ガルトランド』では加工肉やチーズが盛んに食べられているらしい。ロマンシア帝国に比べれば豪華な食糧事情だが、少し胃にもたれてしまう。
リィトに限って言えば、野菜だったら上等なものを食べ放題なんだけど。土地さえあれば。
「そう、土地だ」
リィトはガルトランドの中央地区にやってきた。
中央地区にある土地管理局。
南大陸にある、ギルド連合が管理する土地の売買や貸与を行っている公の機関だ。
土地管理局の見た目はというと、大きなビルのような建物。威圧感がすごい。
リィトの背丈の五倍はありそうな鉄の扉をくぐると、くたびれた中年のおじさんが「受付はこっちね」と案内をしてくれた。
うん、優しそうな人だ。
「ご用件は?」
「はい、えーっとですね、実は……」
今日するのは、大きな買い物だ。
前世でも今世を合わせても、人生で最大の買い物かもしれない。
そう思うと、緊張してしまう。大きく深呼吸。落ち着け。
「なんだい、坊ちゃん。もじもじして……あ、もしかして」
「は、はい!」
「おしっこか?」
「違いますっ!」
どうしてギルド自治区の人間はすぐに他人がおしっこを我慢していると思うんだろう。
ちなみに大きいほうでもない。
「大きいほ」
「違います、全然違う!」
リィトの出した大声は、思ったよりも反響してしまった。
仕切り直しだ。
「こほん」
リィトは大切に持ってきた財布代わりの革袋を、どさっと机の上に置く。
こないだの大戦での報奨金や、溜め込んでいた宮廷魔導師としての給料だ。
色々あって目減りしているが、それなりの額は確保してある。
「え?」
「土地を買わせてください」
「あんたが、土地を?」
「はい」
こういった商談では堂々としていないと。
リィトはゆっくりと人差し指をたてる。
「ガルトランドでは南大陸の土地を自由に売買することができると聞きました」
「ええ、そうですが……あなた、所属ギルドはどちらです?」
リィトの堂々とした態度のおかげか、受付のおじさんが敬語で質問をしてきた。。
「ギルドには入っていません」
「ふむ、そうなるとガルトランド周辺の土地で買えるところは限られてしまいますよ」
ギルド構成員に優先の売買権がある、ということだろう。
それは仕方がない。得体の知れないよそ者や無所属の人間よりも、街を作り上げている人たちを大切にするのは道理にかなっている。
「問題ないですよ」
「はぁ……どんな土地を探してるので?」
「なるべく、人里離れた土地を買いたいんです。金額についてはある程度余裕がありますので、いくつか条件を出させてくれますか。
ひとつ、平地が確保されていること。
二つ、敷地内に川が流れているか泉が湧いているか……とにかく水場があること。
そして、三つ目は──それなりの荒れ地がいいです」
平地、水場、そして人目のなさ。
前の二つはリィトの目的──もうとにかく、大好きな植物と魔導の研究をしまくることのために必要な条件。三つ目の条件は、リィトの自由のために必要な条件だった。
とにかく目立たず、話題にならず、のんびり自由に暮らしたい。
さらにいうなら、荒れ地を耕して植物でいっぱいにするというやり込みプレイを思う存分堪能したい。
英雄とか聖者とか、新進気鋭の魔導師とか。
もうそういうのは充分に味わったから、しばらくひとりになりたいのだ。
「そうですね、その条件に合うのは……」
受付のおじさんが土地の目録から一枚のペーパーを取り出した。
「この地図は、古文書ギルドが見つけてきた大昔の地図をもとに作られています。ので、まぁ、参考程度に」
「古文書!」
「北大陸のモンスターの大量発生やら対魔戦争やらの余波で、この百年開拓はあんまり進んでないんだ」
「でも、古文書はあるんですね……」
「昔は物好きの測量家がいたんでしょう。一応、現地に土地管理局が視察にも行っているよ。ずいぶん前に一度だけだが。危険はない土地みたいだが、地図と多少の違いはあるでしょうね」
「なるほど……それも織り込み済みで、この値段ってことですね」
「話が早くて助かります。広さのわりには破格ですよ。それに、地図からそんなに大きく状況が変わっているとは思えない。ほとんど誰も寄りつかないような僻地ですからねぇ」
リィトは、ペーパーに書かれた条件と頼りにならない地図を見て、大きく頷く。
「ここにします」
「えっ、即決?」
「はい」
「辺境のクソ田舎……じゃなかった、閑静な土地とはいえ安い買い物じゃないよ?」
受付のおじさんが、値段を指さす。ギルド自治区の管理する土地の中では安い値段で買えるものだが、リィトのような若者が普通に買える値段ではない。
「見間違えてないかい」
受付のおじさんが、リィトの持ってきた財布をちらりと見る。
「というと?」
「ここ、大金貨(ゴルゴルド)って書いてあるだろう。銀貨や金貨じゃなくて大金貨(ゴルゴルド)だよ? 普通は大金貨(ゴルゴルド)なんて使わないけど、土地売買独特の記法なんだよねぇ。金貨や銀貨と勘違いしてない?」
たしかに、そこには大金貨(ゴルゴルド)での支払い枚数が書いてあった。
大きな買い物を誰しもすることのできる、ギルド自治区独特の通貨だ。
貴族や宮廷が富を独占する傾向のあるロマンシア帝国では流通していない。
提示された金額は、だいたい一億円くらいの価値だろうか。
かなりの広さの土地の値段としては妥当かもしれない。
荒野だし、未開拓だし、やや割高感はあるけれどギルドに所属していない人間は多めに金を支払うのがガルトランドの基本らしいということは、リィトもわかってきている。
むしろ、売ってくれるだけ御の字だろう。
なにせリィトは、どこのギルドにも入る気がないのだ。
ほら、人付き合いとか、もうこりごりだし。
「ふむ……」
受付のおじさんは、暗に「手持ちがちっとも足りないだろう」とリィトを諭しているわけだ。ローン払いはギルド構成員にしか認められていない、という別に知りたくもない情報も教えてくれた。
「なるほど……参ったなぁ」
「うんうん、残念だけど大きな夢を抱くこと自体は悪くない──」
「細かいのがないんです」
「え?」
どさ、どさどさどさ。
リィトは追加の革袋を鞄から取り出した。
「これが全財産で……」
「いやいや、待って! 革袋一杯の硬貨はいいけど。さっきも言ったが、金貨だったら足りないよ? 全然足りないよ?」
日常生活での買い物は、ほとんどの場合は銀貨や銅貨、あるいは鉄貨が使われる。最大でも金貨で、鉄貨より細かいやりとりには通貨を用いたやりとりではなく、物々交換も盛んだ。
しかし、リィトが取り出した通貨は、そのどれでもない。
「ミスリル貨なんです」
「へ……?」
受付のおじさんの顔色が、みるみる青くなる。
「ミスリル貨って、あのミスリル貨?」
「そうです、細かい貨幣は帝国と自治区では扱いが違うと聞いたので」
ミスリル貨。
これは滅多にお目にかかれない代物だ。大金貨よりも、さらにレア。
希少金属で作られた硬貨で、多くの国でほぼ等価値で取引することができる優れもの。
一枚当たりの価値はだいたい百万円程度──大金貨(ゴルゴルド)の十倍ほどになる。
「百枚あります」
「うわあああああ!」
「し、静かにしてください!」
受付のおじさんが叫んだので、周囲から注目が集まる。
リィトは焦った。目立ちたくないのだ。
「おじさん大丈夫ですか、顔色が悪いですよ……あ、もしかしておしっこですか」
「違います!」
そうか、違うのか。
受付のおじさんが、大きく溜息をつく。
「あなたがいきなりミスリル貨なんて出すからですよ」
「でも、土地の売買では使うでしょ」
「若い子がいきなり百枚出してくるのは、なかなかないです。初体験です。もらわれてしまいましたよ、おじさんの初体験」
「ほ、欲しくなかった……」
受付のおじさんの目の前で、資産を数える。
ミスリル貨のおかげで購入のメドは立っているが、諸々の手数料や登録料のぶん少しだけ購入金額に足りなさそうだった。
「ギルド非所属だと、手数料や登録料の値引きはできないからねぇ……」
「こんなに高いのか……登録料って……」
そんなぁ、とリィトは肩を落とす。
他にもいくつか地図を見せてもらったが、最初の土地よりピンとくるものはなかった。なにより、大きな買い物なだけに妥協はしたくない。
これだけ資産があれば、すんなり理想の土地が手に入ると思っていたのだけれど……こういう面では自分は少し世間知らずなようだった。
「ギルドに入ってはどうです? 見たところ魔導師さんみたいだし。魔術師ギルドか魔導具ギルドにでも入ってくれれば、値引きも多少はできますし、ローンも組めますし」
「急に親切になりましたね」
「いや、ミスリル貨百枚を見せられたら……」
「僕、もしかして金の力で敬意を払わせてしまったってことですか?」
「そういうわけじゃないですよ。そんなことより、やっぱりギルドで稼ぐのはダメなんですか。ここはギルド自治区の一大都市ガルトランド。どんなギルドも選び放題、稼ぎ放題!」
「いや、それは嫌ですね」
リィトは即座に否定した。
もう人付き合いとかが発生する組織に入るのは嫌なのです。
「では、諦めますか?」
「いえ」
そっちも、否だ。
「稼いできます。夕方……いえ、昼過ぎまでには戻りますので、土地購入の準備をしておいてもらえませんか。こんないい土地、すぐに売れてしまうかも」
「は?」
ぽかん、とする受付のおじさんをあとに残して、リィトは財布を鞄に戻して駆け出した。
土地を購入しても無一文になってしまったのでは仕方ない。
購入資金の他にも、がっつり稼いでおかないと。
ギルドなんていう人間関係の巣窟に足を踏み入れなくたって、できることは、あるはずだ。
「じゃ!」
駆け出すリィトの背中を呆然と見つめる受付のおじさん。
「いやぁ、いい土地って……こんな荒野が?」
妙な子だ、と呟いて、あれこれと書類を取り出す。
普通なら虚言としか思えない「昼過ぎまでに大金を稼いでくる」という言葉だが、とりあえず登記の用意だけはしておこうと思ったのだ。
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