第8話 ギルド自治区ガルトランド3
◆
酒場をあとにしたリィトは、予約した宿屋に向かうことにした。
おつまみは、やはり種類も少なく、味もしょっぱいか薄いかのどちらかだったけれど、久々のひとり酒は楽しかった。
「はぁ、自由っていいな~。無職って素敵だ~」
青い月明かりが降り注ぐ夜道に風が吹いて気持ちがいい。
ポケットから例の物を取り出す。
元職場から唯一持ち出した、青く美しい光を放つ、謎の種子だ。
月明かりに似た、青い光をまとっている大きな種子。どんな植物に育つのだろう。
「この種子、なんだろうなぁ……ふふふ、育てるのが楽しみだなぁ」
思わず頬が緩む。どんな環境が適している植物かは知らないが、この大きさの種子であればそこそこの巨木に育つはず。
「さて、明日から忙しいぞ。まずは農業ギルドと土地管理局に行って。あとは買い出しと……って、んん?」
宿までは、あと少し歩けば到着するはずだ。
けれど、リィトはそれを見つけてしまったのだ。
路地裏。小さな人影。それを取り囲む、どう見てもガラの悪い連中。
「あー……」
カツアゲだ。
あるいは、リンチ。
どちらにしても、見たくもないものだった。
(……嫌だな、ああいうの)
目立つのは嫌だけれど、それ以上に目の前で不愉快なことが起きているのは耐えがたい。
弱い者いじめは、リィトが一番嫌いなものだ。
目の前で行われている直接的な暴力もそうだし、仕事を押しつけたり陰口をたたいたりするのもそう。そして、それを見て見ぬフリをする奴らもリィトは大嫌いだった。
「おら、お前のとったメモをこっちに渡せ……情報ギルドがこそこそと嗅ぎ回りやがって」
「お嬢ちゃんよぅ、これ以上は乱暴なことしたくねぇんだわ? 頼むぜ?」
「っつーか、おたくがうちのギルドのシマ嗅ぎ回ったのが悪いんだよぉ?」
チンピラ風の男が、三人。
「警邏団に見つかるとやっかいだ、声を落とせ」
「顔は殴るな、売り飛ばすときに値が下がる」
そこそこに実力がありそうなリーダー格のやつらが、二人。
合計で五人。
それに対して被害者は。
「……うにゃあ……まぁったく、粗暴なやつらは嫌だな……」
とか、飄々とぼやいている小柄な少女がひとり。
ボコボコにされて地面にダウンしているのに、やたらと根性がある少女だ。
リィトは種子入れのポシェットに手を突っ込む。
ポシェットの内部はさらにいくつかのポケットに分かれていて、そのポケットの中にはビスケット──ではなく。
「よ、……っと!」
種子が入っている。
リィトの手から節分の豆まきのごとく放り出されたのは、植物の種子だった。ころころとした粒状の種子。
「──すくすくと育て」
ツル科の植物だ。
リィトの命令通りに、とんでもない勢いで生長する。
「うわ、な、なんだ……ヘビか!?」
「どうしてモンスターがこの街に……うわー!」
種子から育った植物が、チンピラ五人をグルグル巻きのミイラのようにしてしまう。仕上げにネムリ草と名付けた花粉に強い入眠効果のある植物を、倒れたミイラの頭に開花させる。
「きゅうっ」
ミイラにされたチンピラたちはすやすやと眠った。
これでよし、とリィトは周囲を見回す。
どうやら誰にも見られていないらしい。少し繁華街からは離れていたのが幸運だった。
「……にゃ?」
ボコボコにされていた少女が顔を上げた。
目立った怪我はないようで、ほっとした。
「あれ? うわ、なにこれ!」
むくりと立ち上がった少女の頭には、耳が生えている。よく見ると、尻にも尻尾が揺れている。ふわふわの毛に覆われた耳と、ふさふさの尻尾。
猫人族(ニャート)だ。
帝都では珍しかったが、ギルド自治区ガルトランドの街中ではちょくちょく見かけている。
「おあ……わがはいをいじめていた連中に……天罰が下った……だとぅ!?」
白くてふわふわの髪をした猫人族の少女の目が、キュピーンと光る。
(え、一人称が『わがはい』なのか……癖が強いな、あの子……)
僕っ娘ならぬ吾輩っ娘とかさすが猫人族、とリィトが感心していると。
猫人族少女の瞳孔がかぱっと開いて、リィトをとらえた。
まずい。
とっととこの場を立ち去ったほうがいい。
そう思って踵を返した瞬間に、路地裏から飛び出してきた猫人族の少女の声が、リィトの背中を追いかけてくる。
「そこなお人ーぅ!」
思わず、振り返ってしまった。
バッチリ目が合ってしまう。
「あなた、そこのあなたですぅ!」
「ん?」
「うしろを振り返っても誰もいませんぞ」
「えー、あー、もしかして僕になにか用ですか?」
よし、しらばっくれよう。
猫耳をぴこぴこさせて、こっちに詰め寄ってくる女の子。
「わがはいを助けてくださったのは、もしかしてあなた様か?」
「違います」
「なう~? ここにはあなたしかいないですぞぅ」
「違います、違う!」
「でーもーでーもー!」
「とうっ!」
ぽいっと投げたのは、たまたま持ち歩いていたマタタビの種子。
〈生長促進〉によって、たちまち実を結ばせる。
「……ふにゃあ~♡」
猫人族の少女は、目をハートにして崩れ落ちた。
「わ、わー! 誰かー! 女の子が倒れているぞー!」
リィトが大声をあげると、大通りの向こうから女性の集団がやってきて、「やだ、大丈夫?」と口々に声をかけていた。
「よし、今だ!」
ダッシュで逃走。
宿屋に飛び込んで、高速チェックイン。
「はぁ、はぁ……」
なんとか逃げ切れた。
あの女の人たちもいい人そうだったし、ひとまずあの子も安心だろう。
好奇心旺盛そうな子だったが、妙な噂にならないといいけれど。
「ふぅ……今日は疲れたなぁ」
熱いシャワーを軽く浴びて、ごろりとベッドに横になる。
シャワーがあるのも自治区ならではだ。ありがたい。
旅が続いていたから、久しぶりの寝床。仰向けに横たわると、疲れが背中から吸い取られていくような気がする。
もちろん、星空の下のキャンプ生活も楽しいけどね。
リィトは深く目を閉じる。
久しぶりのビールの助けもあって、すとんと眠りに落ちてしまった。
明日からは、充実した日々になるぞ。
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