第7話 ギルド自治区ガルトランド2


「ぷっはぁ~っ!」

 美味い、ビール美味い。

 渇いた喉を潤すしゅわしゅわ発泡、鼻に抜ける芳醇な香り。

 しかも、どうやらガルトランドではビールを冷やして飲む習慣があるようだった。

 いや、最高かよ!

 帝都にもビールはあったが、あれは常温で飲むものだった。要するに、ぬるいのだ。

(ま、冷やすって温めるのに比べて大変だしな……)

 というか、モンスターとの戦いが続く日々だったし、食文化については壊滅的だった。

 ──リィトは残念ながら神童だった。

 そう、未成年。

 早くから魔導師としての頭角を現していたリィトだったが、帝都では成人するまでは飲酒が禁じられていたのだ。帝都の成人年齢は二十才。なんだよ、異世界。お堅いことを言いやがって。リィトは常々そう思っていた。

 まぁ、ぬるいビールなんて、隠れて飲む気にもならなかったけれど。

 本場ヨーロッパのビールは常温だ、とか知らん。日本人ならキンキンに冷えたビールだ。

 なお、念のため確認したところ、今のリィトはギルド自治区ではバッチリ飲酒可能年齢だそうだ。よきかな。

「はー……旅の疲れが癒やされる……」

「ははは、いい飲みっぷりねぇ。はい、おつまみサービス」

 カウンター席でニコニコとビールを楽しんでいると、女将らしき人が注文していないおつまみを出してくれた。チーズと漬物だ。いぶりがっこチーズ的なものだろうか。

 一口食べて、リィトはうぐっと目をつぶる。

(ぐ……ビールは冷えてて美味いけど、食べ物は相変わらずかぁ)

 チーズが、めちゃくちゃ煙臭かった。

 燻製どころではない。火事で焼け出されたのかってほどだ。

 しかも、漬物自体の塩っ気がすさまじい。何かの根菜と、干し肉の漬物のようだが……

おつまみではなく、これでは、ただの保存食だ。

 塩気のないマッシュポテトみたいなものを主食にしていた帝国よりはマシだけれど、煙臭いチーズもなんだか味が薄かった。

 異世界ハルモニアは、飯がまずい。

 塩辛いか味気ないか、の両極端だ。

 まぁ、転生前の現代日本、すなわち飽食の時代と比べたらダメだけれども。

(でも、ここで変な顔したらダメだよな……)

 リィトは何も言わずに、漬物とチーズをビールで流し込む。これでも、気を遣うほうなのだ。

 むしろ、気を遣いすぎるくらいの性格だから、英雄扱いも宮廷生活もいまいちしっくりこなくて、疲れてばかりだったのだ。

「……ビールがすすむ味ですね」

 と、一応言っておいた。嘘ではない。

 おかみさんはニッコリと笑う。

「そりゃよかった!」

 出されたものは、「美味い!」と食べる。これ、人付き合いの秘訣である。

 それにしても、なかなか繁盛している店だ。

 人族(ニュート)以外にも色々な種族の姿が見える。酒とつまみのレベルと値段の折り合いを考えれば頷けるし、女将の人柄も人気の秘訣なのだろうとリィトは納得した。

「どんどん飲んでね、あなた若いし可愛いし、カウンターに座ってくれているだけでうちの店の品がよくなるねぇ!」

「あはは、ありがとうございます」

「帝国からの旅人さんなんて珍しいからねぇ。北大陸の帝国とは長らく国交を断絶してるから。そこへきて帝国を追い出された荒くれ者でもない、こんな美形の旅人さんが来たら、サービスしないとねぇ」

「あはは……僕、そんなに帝都から来たように見えます?」

「だって、マントに帝国の紋章があるわよ」

「げっ!」

 気付いていなかった。

 思えば、持ち物のほとんどが帝国から支給されたものだ。

 明日、に行くついでに、装備も新調しよう。幸い、今まで溜め込んだ給与のおかげで懐には多少の余裕がある。

 持っている硬貨はどれも帝国通貨だったので、ギルド自治区内で使えるように残りの財産はギルド自治区内で使えるガルトランド通貨に換金した。

 ほとんど価値は目減りしていないか、少し得をしたかという換金レートだった。よかったよかった。

 まぁ、目的のための資金は残しておかなくちゃだけれどね。

(……そういえば)

 ふと気になって、リィトは女将に訊ねてみた。

 帝国であれば、絶対に持ち出さなかった話題だ。

「あの、お姉さん」

「はいはい、なにかしら」

「えぇっと、リカルトって名前に聞き覚えはありますか? リィト・リカルト……」

「……んー、ごめんなさいねぇ」

 女将は申し訳なさそうに、眉毛をハの字にした。

「聞いたことない、ですか?」

「ええ。商売柄、色々なお話は聞くほうですけどねぇ。お知り合いなの? それとも、帝都で有名な方?」

「いえ、違います……僕の名前です」

 冗談めかしてリィトが言うと、女将がぷふっと可愛らしく吹き出した。

「ふふ、あはは! 面白い人ねぇ、若いのに!」

「いやぁ、そんな」

「帝国人で私たちが知ってる人っていったら、皇帝とか将軍……それから、えーっと、あの人ね。『侵略の英雄』でしたっけ。すごく強い魔導師さん」

「……なるほど」

 冷や汗がぶしゃっと吹き出た。

 侵略の英雄、はさすがに知っているか。気をつけないといけない。

「すみません、変なことを聞いて」

「いいえー。そういえば聞いた? 街道を塞いでた巨木の話。あれのせいで帝都に行く人たちが困ってたんですけど、なんと帝都の魔導師さんがたったひとりで撤去してくれたんだって!」

「へ、へぇ?」

「すごいわよねぇ、どんな屈強でマッチョな人なのかしら……」

 うっとりとする女将さん。なるほど、マッチョがお好き。

 そんな噂全然知らなかったです、と笑顔で話題を変えておく。

 あのメルって子、口が軽いにもほどがあるだろ。

「こ、このチーズとっても燻製が効いていますねっ!」

「それはよかったわ。とにかく、あなたも頑張ってね。まだまだ若いんだから」

 女将はそう言って片目をつぶってみせると、他のテーブルに注文を取りに行った。女将が行く先々で笑い声が起きる。

 うん、本当にいい店だ。

(それにしても、そうか……二つ名しか情報が流れてないのか……)

 さきほどの女将の反応。

 どうやら、リィト・リカルトの名には本当に覚えがなさそうだ。

 追い出された宮廷魔導師としての汚名は届いていないらしい。

 ギルド自治区ガルトランドの『壁』はやはり高いようだ。

 北大陸で大量発生するモンスターから領土を守るために築かれた高い壁のおかげで、モンスターもリィトの噂もここまでは届いていなかったらしい。

(うん、これはいいぞ)

 リィトは酔い覚まし、というか興奮を冷ますためにビールのおかわりではなくフルーツジュースを注文した。

 青臭くてすっぱくて味の薄いジュースを一気に飲み干して、リィトは思わずニンマリと笑ってしまう。

 非公式で帝国と自治区を往き来する運送ギルド『ねずみの隊列』に所属するメルですら、リィトが名乗ったときに少しも驚いたりはしていなかった。

(やっぱりだ……自治区までは僕の名前は届いてない……!)

 つまり。

 ここでは本当に、自由なのだ。

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